「美濃義直がレアスキルで構築した疑似生命さ」
 耶徒音の正体を暴露されたジジイは、もう自分の罪を誤魔化せないと悟るや、あっさり耶徒音という殺人鬼を認めて役立たずの人形と呼んだ。
 しかし詩都音については真逆に、死ぬまで疑似生命である事実を隠し続けようとしていた。それだけジジイは詩都音を心から愛していたのだろう。
「それで、ノートがあんなことになっとったんやね」
 あの九九から始まった算数ノートの内容は、ページが半分を過ぎ去って書き込みが最後に達しても、ずっと九九だけが続いていた。 いくらなんでも、九九を憶えるだけでここまで書き続けるはおかしい。
 他のノートを開いてみても、やはりこの現象は起きていた。漢字の書き取り用のノートは、一定の漢字がループして縦書きで並べられている。理科も同じ実験の説明と結果ばかりが何度も何度も繰り返され、社会の歴史のでき事も一定の範囲まで進めばまた時代は逆行して先の導を示さない。
「詩都音のノートはどれもこれもが、無限ループに陥っていた」
 始めは耶徒音が書いたかと疑ったが、ノートはどれも詩都音の名前が書かれている。それに、たとえ耶徒音が書いたとしても、わざわざこんな不可解な物をジジイが残しておく意図はわからない。
 これの意味に気付いたいのは、まさに耶徒音の正体が人工の人形に過ぎないと悟った時だった。
「だからって、どうして詩都音の勉強が同じ場所を繰り返してたんや?」
「必要ないからだよ。元々ジジイは孫の代替品が欲しかった。だったら勉強内容なんてそんなディティールに拘る必要はないし、逆に精巧につくり過ぎたら、絶対に何処か細部で矛盾が生じる」
「矛盾……そうか、もう詩都音が学校に行けるわけがないんや」
 突き詰めれば、もっと無理が生じる部分はあるだろう。そういう部分を詩都音に考えさせないことによって、問題を回避させてきたのだろう。
「耶徒音だけでなく、詩都音という存在もフェイクに過ぎなかったんだ」
 そう考えれば、いたる話につじつまが合う。
 仏壇に飾られた写真は家族四人が写っていたのも、あの中にいた美濃家の双子と両親は、例外なくあの事故で死んでいたため。美濃加代が、孫二人に等しく苦しかったろうと呟いたのだって同様の意味を持つ。二人揃って死んでいるのだから、扱いは平等だろう。
 それならそれで、ジジイが耶徒音に冷たかったのはどうしてだか疑問が残る。あるいは生前の耶徒音は詩都音みたいにジジイへ懐いておらず折り合いが悪かっただの、何かしら家族としての確執でもあったのかもしれない。まぁ、それを知るのはもはや不可能となってしまったので、どれも空想で補うしかない。
「詩都音が耶徒音をありのまま受け入れていられたのだって、そうプログラミングされてたためで説明可能か」
「だろうな、俺もそう考えていたよ」
 クロノの気付きにしても、俺が詩都音を疑似生命と考えた判断基準の一つだ。殺人行為すら飲み込み愛していたとしても、いきなり首だけになって冷蔵庫にいた妹を、疑問もなくキスする理由にはならない。そこで死を連想せず生者として扱えたのも、そう認識するようにプログラムされていたから。
「あうぇ?」
 悲痛な喚き声が絶えなかった詩都音だが、それでもバラけていく尋常ではない己は知覚したようだ。
「詩都音ぇ!」
 フェイトは、疲れきってろくに力も入らないのに、俺ごと引きずってでも詩都音へと向かおうとする。耶徒音の崩壊にも大きなショックを受けていたのに、詩都音の死を黙って見られる訳がない。少しは自分の身を顧みてほしいね。
「そっか。私も詩都音ちゃんと同じだったんだね」
 崩れいく自分の姿を見た詩都音は、だがしかし、急に涙も止まり落ち着きを取り戻す。今ようやく全てを理解し、心も穏やかに、少女は微笑んだのだ。
「幸せだなぁ」
「詩都音?」
「フェイトちゃん、私は今すごく幸せだよ」
 フェイトにそう語りかける詩都音は、本当に満たされたような雰囲気で、これまでの狼狽やヒステリックな態度が嘘のようである。「だって、私は詩都音ちゃんで、詩都音ちゃんは私だったんだもん。そして耶徒音ちゃんがお空に消えたから、私も消えるの」
 耶徒音が、両手を広げ、天を仰ぎ見る。目に見えて死に接近していく自分に、もはや何の興味も湧かないように。
「私達は最初から最後まで一緒なんだよ」
 自意識は違えど、根源は同じ。美濃義直が産み出した、偶像崇拝のシンメトリー。
「幸せだなぁ」
 フェイトに語るかけるでもなく、詩都音はもう一度そう呟く。
 欠けていく器の中で、心は満ち足りていて、少女は神すら妨げられぬ希望を感じている。
 契り千切れても。自分達は同じく生まれて、同じく消えるのだと。
 双子のシンパシーが、死の恐怖さえも凌駕した。
 紛れもない愛だ。
「だけど」
 渦巻くように散り昇り行く花びらに囲まれ、少女は一筋の涙を零す。
「できれば、もう少し早く知りたかったな――」
 その言葉を辞世の句に、美濃詩都音は、世界から消去された。
「うぇ……」
「フェイト、気をしっかり持て!」
 咄嗟に口を覆い、フェイトはその場で跪く。それでも酸味の漂う液体が、指の隙間から零れ落ちる。限界地点で酷使し続けた肉体を、残り僅かな精神だけでカバーし続けていたというのに、詩都音の死で最後の壁すら崩壊してしまった。
 このままでは、心だけでなく命まで危険だ。
「フェイトぉ! しっかりして!」
 真っ先にこっちへ飛びつくように走ってきたアルフが、瞳に涙を貯めながら共にフェイトを支えた。ぎしり、と奥歯を噛みしめて悔しさと、主喪失の恐怖に耐えている。
「僕とザフィーラ、鏡は急いで加世さんの保護をする。シャマルはフェイトに応急処置をしつつ、他のメンバーと共に一旦撤退してくれ。義直氏の処理は、別に行う」
 クロノが新たな指示を出し、皆に殊更現実が重く圧し掛かる。義直についてをほとんど省いたような説明は、可能なレベルまで伏せる気遣いだと判断した。
 俺達は負けたんだ。
「待って、あそこ!?」
 だけど、こうまでしてやられて尚、戦いは終わってなかった。
 なのはが給水ポンプの上に佇む人影を発見し、身構える。
 布を被った、体格から察するに大柄の男だ。表情は伺えず身動きもせずに立っているため、感情は読み取れない。
 男の傍らには、ジジイを解体して、俺達に敗北の運命を運んだあの扉。
 こんこん、と。男は扉を軽くノックした。
 運命は扉を叩くようにやってくる、とでも言いたいように。