はっきりと言い切ったフェイトに、ジジイの眉が上向きに曲がる。お前とは違うんだと、フェイトはそう言ったも同然なのだから。
「失ったからこそ、次は護りたいと願う。こんな悲しみは誰にも感じて欲しくないと、そう思って、私はずっと自分と戦っています」「儂の六分の一も生きてない小娘が綺麗事を!」
「一人でも悲しい涙を流さなくてよくなるなら、私の戦いは綺麗事でいい!」
「ぐぬぬ……」
 ジジイとフェイト、どちらも嘘偽りのなき本音だろう。しかし怯んだのはジジイだった。
 心から絞った二人の言葉。等しく吐き出したはずでも、厚みがまるで違う。
 ジジイは現実から逃げ狂い、フェイトは現実を受けとめ立ち向かい、その難しさを経験した上で理想を掲げた。綺麗事だとか、理想論が耳に心地好いとか、そんなおべんちゃらでは断じてない。
 自らに苦痛を強いても、未来へ進むと覚悟を決めているフェイトに、ジジイが並び立てるわけもないのだ。
「それに、貴方にはまだ詩都音がいるはずです。どうして、耶徒音や失った家族の愛まで、詩都音に向けてあげられなかったんですか? そうすればこんな事件だって」
「馬鹿を言え。わしは誰より詩都音を愛しておるわ! のう、詩都音?」
 自分の心を晒す対象者を、フェイトから詩都音に向けたジジイは、先程までとは打って変わった優しげな表情を作っている。
「ねえ、ここにいる皆は、何のお話をしてるの? 耶徒音ちゃんは、ちゃんとここにいるよ」
 しかし話を振られた本人は、壊れかけの耶徒音を抱いて、きょとんとした顔で辺りを見回すだけだった。
 ここまで説明して、ただ一人理解が行き渡っていないのが詩都音だろう。彼女は元々耶徒音という存在に対して、理解を放棄している。理不尽をわかろうとすらせず、耶徒音の全てを受け入れ共に生きてきた。盲目こそが詩都音の処世術だからだ。
 そんな少女に真実を認めさせるとしたら、こんな推理ショーなんてダイレクトに現実を突き付ける行為は、むしろ逆効果でしかない。
「全部お芝居だったんじゃよ。それはただの人形だから、こっちにおいで詩都音」
「耶徒音ちゃんはお人形なんかじゃない!」
 そんなことも露知らず、ジジイは詩都音に真実をダイレクトにぶつける。
 壁にボールを当てる行為と同じで、強く投げる程、強い力で返されるのみなのに。
「詩都音ちゃんは生きてる! 詩都音ちゃんは動いてる! 今は怪我してるけど、すぐ元気になるもん!」
「人間が花びらになるわけがないじゃろう? 手を離してこっちにおいで」
 宥めながら、ゆっくりと詩都音との距離を詰めようとする。クロノはそれを止めず、監視混じりでジジイの姿をただ捉えていた。
 手を塞がれと、当人は戦闘力を一切持たないためもあるが、これからこの家族は、否応なしにばらばらになると考えての、人情的な理由もあるのだろう。
「嘘吐き」
「詩都音?」
「嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き」
 詩都音の口から漏れだしたそれは、言語でありながら完全に意思の疎通を放棄したものだった。
 延々と紡がれる暗く燃え盛る呪詛に、ジジイの足どりも思わず迷いを孕む。
「後生じゃから話を聞いておくれ」
「こっちに来ないで! 嘘吐きのおじいちゃんなんて、大っ嫌いだ!」
「詩都音ぇ……」
 語尾が半端に上がり、情けない声をジジイが発したその時だった。
 ジジイの影のかかる後方に、ドアが出現した。黒縁で黒いノブの、木製ドアだ。華々しい装飾も付かないシンプルな作りの扉だが、どことなく年季を感じさせ、質素な安っぽさはない。
 ドアは独りでに開き、詩都音の怒気に退がったジジイの足元を、狙いすましたように奪った。
「義直さん!」
「え?」
 数瞬の奇怪なでき事に、ジジイを救え者はいなかった。
 まずジジイの前にいた者はドアが開いて初めて異常を認知したし、唯一救助が可能かもしれなかったフェイトは、戦闘の疲労から走れるようなコンディションですらない。
 そしてジジイは、吸い込まれるように、ドアの向こうへと消えた。
「一体何が起こったんや?」
「まさか逃げられたのか!?」
 何がなんぞ、説明可能な奴がいるなら仕掛人くらいだろう。クロノすらもいきなりの事態で把握を許されず、安い推測しか疑えない。
「今度は扉が空中に!」
 なのはは指さした先には、ジジイを呑み込んだ扉が、何もない空中に張り付けたみたいに固定されていた。
「皆、気を付けろ! まずはあれが何のかを見極めることが先決だ」
 クロノが号令をかけずとも、全員が静止する扉に警戒を集中させる。
 扉の性質がわからない以上誰も手が出せない。もし短絡的に扉へ攻撃を仕掛け、ジジイが死んだなら目も当てられない。まだジジイには聞かなきゃいけない情報はあるのだ。恐らくはこの扉にも繋がる情報が。
 そんな俺達の意思を無視しているのか、それとも嘲笑いたいのか、扉は己を続行する。
 どん。と、扉の叩かれる音がした。
 どん。どん。どん。
「…………」
 その音だけが、この空間を支配する。音の原因は、外部の者達には脳内で妄想を膨らませ、手前勝手な補完で埋めるしかない。
 やがて音は止み、沈黙を取り戻した扉は、再び開き内部の異物を解放する。
。 落ちてきたのは、間違いなく義直のジジイだ。
 ただし、もう生物というカテゴライズに分別できなくなっているが。
「なのは、フェイト、はやて! 君達は見るんじゃない!」
 瞬時にそれだけでも指示を飛ばせただけで、クロノは大したものだと思うが、すでに手遅れだ。
「う……あ……」
 三人の内誰の声かはわからないし、三人以外であっても、なんら不思議はない。今さら彼女逹が目を瞑ろうが、この光景は網膜に焼き付き離れやしないだろう。
 バラバラと。
 バラバラな。
 バラばらの。
 バらばラに。
 死体となったジジイが積み上げられた。
 デキの悪い三流ホラーを連想させる展開だ。
 チープ過ぎて、逆にそれが吐き気を催してくる悪夢に見えてくる。
「な……んで……」
 突如生産された非現実的な光景を目にして、ようやく絞り出したフェイトの一言だった。
 ここまで足をもつれさせながらでもなんとか走り抜き、ゴールテープまで後数歩にして、いきなりこの仕打ちだ。今はただ、抑え込んでいた疲労が吹き出し、崩れ落ちるフェイトの肩を抱きしめ支えてやるくらいしかできない。
「おじいちゃん……? どうしたの?ねえ、お巡りさん、おじいちゃんはどこ? あれは何?」
「たった今死んだ。してやられたよ」
「たっ君!」
 思い遣りもないまま、詩都音に事実を告げた俺に、なのはが非難の声を荒げる。これだけ残酷な惨劇を不意打たれて、まだ他人を思いやれる余裕が残っているのか。もしくは彼女に根付いた優しさが反応したのだろう。
「え? え? え……?」
 また一人家族を失い、詩都音の逃避がまた一つ増えた。しかし、これからお前に降りかかる現実はそれどころじゃあないぞ詩都音。 唖然とする詩都音の世界に、一枚の花びらが映り込み、自分が抱く耶徒音の異変に気付いた。
「耶徒音ちゃん!」
 既に数多のパーツが不足している耶徒音の身体が、さらに崩れていく。美濃耶徒音というスキルを発動していたジジイが死んだため、魔法が自動で解除されてるのだ。
 その証に耶徒音の解体と同時で、封鎖結果も解除されていく。ジジイの望執も、本人の死で妄想が現実に還った。
「やだ、どうして!?」
 俺達の話に耳を傾けなかった詩都音には、最愛の妹が消える理由もわからない。わからないままに、詩都音は死の味を噛み締めねばならないのだ。
「どうすればいいの? 助けて。誰か! 耶徒音ちゃんが消えちゃうよ! 助けて、助けてフェイトちゃん! もう悪いことしませんから。良い子になります! だから、お願いだから、耶徒音ちゃんを殺さないで!」
 主が死ねば疑似生命も共にデリートされる。
 これは誰にも止められない。造られた命の宿命だ。
 神より高い絶望を前に、糾える運命へ謝罪する少女は、ただ涙を溢すのみしかできない。
 耶徒音は散りゆく腕で、詩都音の頬を撫でた。それは魂の宿る人としての意志がない、ただのプログラムに従う行動でも、詩都音には意志を感じるものだったのだろう。
「耶徒音ちゃん……大好きだよ」
 詩都音はその手を握しめ、耶徒音の手は崩れた。
 折り重なる悲嘆にまた顔を歪めながらでも、自分の唇を耶徒音の唇に重ねようとする。
 だが、それより先に耶徒音は終わった。
 身体も。
 服も。
 命も。
 美濃耶徒音を形容するデータは、総べて虚空へと。
「耶徒音ちゃん…………」
 耶徒音という銃のトリガーを引いた義直は、人間と形容するのもはばかる肉の塊となった。
 この街を震撼させた弾丸も後を追い、散々ばら撒いた傷痕だけを残して裁かれる暇さえなく消失した。
 これが俺を緋色な裏側に引き込んだ者達の顛末。
 海鳴市連続殺人事件の犯人達は、ここに息絶えた。
 フェイトの想いは報われない。
 被害者の家族も救われない。
 これだけ残酷で無残な結末にも関わらず、傍から観ればとてもじゃないが話がズレて噛み合わない、喜劇に等しい悲劇模様だ。
 どうせなら俺は、ポップコーン片手にB級映画を楽しむような気楽さで、この事件を観ていたかった。
「うああああああああああああああああああああああああああああ!」
 魔法仕掛けの人形を心から愛した少女の、魂まで吐露してしまいそうな慟哭だ。
 心の支柱を完膚無きまでに砕かれて、逃げたくても逃げられない、圧倒的な破滅。どん詰まりに嵌ったそばから洪水がやって来て、濁流の流れに詩都音は呑み込まれた。
「詩都音!」
 詩都音の破滅を前にして、フェイトは彼女の元へ駆けようとするも、後ろに振った手を俺が繋ぎ留めて離さない。
「離してたっ君! 今の耶徒音には誰か付いててあげないといけないんだ!」
「それは駄目だフェイト」
 両親を事故で失い、祖父が目の前で惨殺されて、ついには最愛の妹までがたった今無に帰したのだ。彼女が一人では壊れていくだけなのは、言われるまでもない。
 そんな少女を支えてやらねばという、フェイトの行動は道徳的には最良だ。僅かでもフェイトと詩都音には人間としての繋がりもあり、フェイトこそ詩都音を慰めるには最適だろう。
 そして、これらがそっくりそのまま、俺がフェイトを止める理由になる。
「もう全て終わっているだよ。俺達は、負けたんだ」
「これは勝ち負けの話じゃないよ!」
 親切さとは感情移入から生まれる。そうなるよう策として仕向けたのは俺なのだけど、これは裏目に出てしまった。
「詩都音をよく見ろ」
「そんなのさっきからずっと……!?」
 腕に力を入れ俺を払おうとしていたフェイトが、硬直する。
 耶徒音の存在は零になり、跡に佇むのは詩都音のみ。しかし花びらは未だ散りばめられ、舞い続けている。
 その発生源は――美濃詩都音だ。
「これはどういうことなんだ!」
 終わらぬ異常事態に、クロノが説明を求めるコンタクトを送る。この現象を事実を交えて的確に応えられるのは俺だけだろう。こんなのはもう敗戦処理だが、説明はせねばならい。
「どうもこうもないさ。美濃詩都音もあの電車事故で、死んでるんだよ。輪廻さんにしていた質問は事故の生存者リストについてだ」「たっ君、それじゃあ詩都音ちゃんも……?」
 もはやたった一つしかない答えを、なのはが確認するように問うた。