ここでは誰しもが旅人だ。
 学校砂漠の外に出ることは許されず、我らは授業という名の熱砂を放浪し続ける。

 さして興味もないジャンルの授業に、五十分も集中力がもつわけない。
 それを一日に何度も繰り返す。これはもう狂気の沙汰というべきだ。

 故に昼の長期休憩とは、砂漠の中にできたオアシスのようなもの。
 一限目や二限目から昼休みマダー? とか言ってたら、三限目以降が辛すぎて、むしろ遠ざかっていく蜃気楼のような気分にもなるのでマジオアシス。

 そして今、教室中の生徒達はようやく辿り着いた泉で豪遊するが如く、与えられた休息を思い思いに消費している。

 机を並べてグループを作り談笑を楽しむ者達。
 購買部へダッシュして、焼きそばパンを抱えてホクホクの笑顔で戻ってくる者。
 話す相手もなくトイレでぼっち飯を嗜む者。

 そうして皆がひと時の自由を謳歌する中、一人だけ終わったはずの授業を継続して、孤独に机へ向かい続けている哀れな少年がいた。紛うことなき俺だった。

 ガヤガヤと騒がしい教室の片隅で、原稿用紙に数行文の文字を書き込んでは、こうじゃないと消しゴムをかけるという作業を延々と繰り返している。

「まだやってるの?」

 そんな様子を見兼ねた女子が一名、俺の隣に立って様子を見にやってきた。
 肩口までかかる艷やかな黒髪が、白いブラウスの制服に映える。落ち着いた物腰も相まって、清涼感のある少女だった。

まどかか。しゃーないだろ。課題ソッコで提出したはずが、そのままカムバックだよ」

 本日の授業は特例で、人権問題などに取り組んでいる権威ある講師が招かれ『人の個性』をテーマとして講義が行われたのだ。
 授業後半は生徒にも考えてほしいと原稿用紙が配られて、個々が思う個性について書くという課題が出された。

 ここで困った問題が一つ。
 俺、あかつき拓馬たくまはこの手の課題がとても苦手としている。
 作文が苦手なわけではない。むしろ国語の授業は数少ない分野得意ですらある。

 しかし、こと道徳となると、俺の思考や在り方はどうにも他人の理解を得られない。そういう風にできている。

「たっくんは個性的だから」

「皮肉かな?」

「そういうつもりはないけど、普段は器用なのに、こういう時は頑固だよね」

 クラスメイトである麻美あざみまどかも、さっきの有り様を目撃している。

 十分程で思うことを書き連ねて、誰より早く提出された俺の文章。
 その冒頭『人間なんてだいたい雑草』の時点で、講師に付き添っていた担任教師が大激怒した。

『お前は今日これまで何を聞いてたんだ!』

 それを第一声に、あれやこれやと怒鳴られた。

 そうなると大方の生徒は萎縮して黙るか、言い訳するか、謝るかだろう。
 けれど俺は例外の側だった。

『えー言論弾圧ですか? 個性の前に基本的人権認めてくださいよ』

 表現の自由は守られるべきだ。
 小学生以下の可愛らしい幼子達と同じくらい丁寧に保護し、心から愛でるべきものである。

 結局、講師が間に入ってくれたものの、俺の原稿は一から書き直しての再提出となった。
 授業中に終わらなかった者は来週までが提出期限となったが、こんなの家に持ち帰りたくないのであがいている最中なのだ。

「そもそも俺は、間違った意見を書いたつもりはないしーぃ?」

 人間を雑草扱いした、個性全否定な比喩表現。
 俺はそれを全くもって大げさに書いたとは思っていない。

「それに意図を問われれば説明もしよう。だが理解しようともしない奴に語る言葉の持ち合わせはなくてね」

「当たり障りのない内容に書き直す気はないんだよね」

「最初の提出からそうしておけば良かったと反省はしてるよ。今やったら自分は間違ってましたと意見を曲げるみたいじゃないか」

 戦略としてテキトーなこと並び立ててやり過ごすのならいい。
 だがここでそれをすると、周囲からは状況に屈して逃げたと捉えられる。
 つまりはのだ。

 こいつは所詮その程度の人間だと思わせてしまったら、今後も似たような扱いを受けるだろう。
 それがここぞという局面でどういう意味を持つのか、俺はよく知っている。

「んもぅ……たっくんらしいとは思うけどね」

「らしさを失ったら俺じゃないのさ」

「うん、やっぱり個性的だ」

 その個性を否定したせいで、俺は今現在追い詰められているのだから、やはり皮肉だった。
 いっそ、担任教師の残り少ない頭の雑草を全部引き抜いてやりたい。

「おーい、揃ってるか」

 なんてことを思っていたら当人が教室にやってきた。これは本格的に伐採プランを立てるべきか。

「あれ、先生? まだお昼休みですよね?」

 俺と違って善良な生徒の円が小首を傾げて問う。

「さっき緊急の職員会議があってな。一年C組の梶野かじの祥太しょうたが昨日から行方不明らしい。何か知っている者はいるか?」

「誰それ?」

 顔どころか名前さえ思い出せない。少なくとも俺とは無関係な事案だろう。

「うーん、わたしもあんまり詳しくは。確か丹後たんご君と仲いいグループじゃなかったっけ?」

「誰それ?」

 残念ながら俺の感想は同じだった。

「クラスメイトだよ!」

「ああ、そういやそんなのもいたような」

 だって興味ないんだもん。

「あまり良い話を聞かないグループの男の子」

「つまりは不良クラスタか」

「そこまでとは思わないけど……うちの学校だとそうなるのかな。今は教室に見当たらないね」

 うちは私立で、進学校ではないにせよそこそこの偏差値はある。
 それこそマンガ雑誌のごとき絵に描いたような不良は流石にいない。

 精々素行不良のレッテルを貼られて少し喧嘩っ早い程度だ。
 それでも真っ当な生徒なら巻き込まれるのを嫌って距離を置く。

「ま、俺にはカンケーないね」

 不良がつるんで昨夜から一匹行方不明となれば、学校側の視線だと自動で重要参考人扱いになるはず。
 今頃、生活指導の教師にでも問い詰められているのかもしれない。

「何か知ってることがあるなら、職員室に報告へ来るように。以上だ」

 そう告げて教師は足早に出ていった。臨時案件のせいで忙しいのだろう。

「何にせよ大事なのはこの原稿だよ……っと、そもそも何か用だったのかい?」

 原稿ばかりに頭がいっていたため、今更ながら円がどうして来たのか理由を聞きそびれていた。
 数少ない女友達である。いつでもできる原稿よりは優先度の高い存在だ。

「ううん、大した用じゃないから。今はそっちを優先にして。でも、お昼はちゃんと食べてね」

「ん? ならそうさせてもらうよ」

 どうせでまた顔は合わせるのだ。急ぎでないならその時に話せばいいだろうと、俺は再びオアシスの外へと旅立った。