鏡の家庭教師と庭師が失踪。これは花壇の花が八輪に増えた次の日、すぐに屋敷中へと広がったがこの事件から鏡の本性が知れ渡ることはなかった。それよりも前に失踪事件が霞むほどの狂気が、屋敷の者達全員に振り下ろされたからだ。
 その日、屋敷には朝から獲物を逃がさないための封鎖結界が張られた。展開者は、言うまでもなく鏡だ。
 未だ広く寂しい花壇を眺めて、今日これから一面綺麗な花畑に変わることを想像した鏡は、レミリアがお気に入りだったゴシック・アンド・ロリータと同じ姿のバリアジャケットを装着しながら無邪気に笑う。鏡の愛らしい無垢な微笑みを見たならば、誰もが心奪われることだろう。これから行われるのが、大量虐殺だと知らなければの話だが。
「さぁ、綺麗な綺麗なお花の素を、沢山採りましょう。うふふ、きっとすごく大きなお花畑が出来るわ」
 その一言が、宴の始まりを告げる合図だった。
 鏡は地下室から上がり、まずはたまたま近くを歩いていたメイドの首を刎ねる。隣に並んでいたメイドが、たまらず叫び声を上げるがすぐ静かになった。鏡に喉を掴まれ、声帯ごと冷凍されたためだ。
 次は騒ぎに駆けつけた若い執事の頭を凍らせ砕く。
 その次は死んだメイドの片割れに、淡い恋心を抱いていたシェフの心臓を一突きに。
 メイド。メイド。メイド。執事。コック。コック。
 次。
 次。
 次。
 次。
 次。
 次。
 次。
 目に映る者達全てをターゲットに。男も女も老いも若きも逃すことはなく、殺して殺す。
「こいつが、こんな子供が賊なのか!?」
「この人は……まさか坊ちゃん?」
「そんな馬鹿な!」
「いやでも、格好は女の子だが確かにぼっちゃんだ」
「でも今、こいつがメイド達の身体を!」
 自分達が優先して護るはずの“お坊ちゃま”が血塗れの姿で、少女の服を着ながら笑う様を見て、警備隊は全員困惑から硬直してしまう。
 警備隊には多少手こずるかもしれないと思っていた鏡からすれば、これは僥倖だった。
「くそ、どうすれば」
「迷うな! 殺らなきゃ殺られるんだ!」
「何だ!? 足が、足が動かないぞ! うわああああああ!」
「来るな! 来るんじゃない! 来るなあああぁぁぁ!」
 鏡は無様な隙を見せた警備員全員の足元を凍結化させる。歩くことすらままならない者達の間を縫うように疾走し、次々と仕留めていく。
 狭い隙間に潜り込むように飛び込んで、すれ違い様に斬撃により殺害する。足が奪われた今、ただでさえ小柄で小回りが効く鏡は、警備員を翻弄する脅威となっていた。
 警備員が屋敷の者を逃がしながら、複数人で犯人を一斉攻撃するため集団で構えている。かつ鏡が屋敷の構造を知っているからこそ可能な奇襲だった。
 ほとんどの者を即死させたが、一部だけは一撃で殺さず手足を切り落として、痛みでもがくようにさせる。
 なんとか冷凍から脱出した者も、仲間のあまりに無惨な姿を目の当たりにして恐怖のあまりパニックへと陥り、まともな応戦は出来ない。ここまで来ると戦闘というよりは狩りに近い有様だ。
 幼き猛獣の魔法という爪と牙は、すでに人を、千切り、裂き、壊し、命を喰らうには十分な殺傷力を得ていた。
 実力では警備員が鏡に勝っていたとしても、皆鏡が放つ異様な狂気と濃厚な死の臭いにあてられ正常な判断力を失う。誰に教えられたわけでもない。これもまた、エミリアが認め育もうとしていた、鏡が発揮する感性がなせる技術だった。
 死は拡散し、恐怖は伝染していく。
 数時間後には、何十人もの人間がいたはずの屋敷で、生きている者はたった三名になってしまっていた。
 一人は鏡、一人は屋敷の主ミゲル、最後はその妻。
「ノーバディノークライ。なんちゃって」
「お前は何を考えているんだ、鏡!」
「鏡君、どうしてこんなことを?」
 感情に任せて怒号を上げるミゲル。対照的に血の気が引いて、今にも倒れそうな恐怖に耐えながら問いかける妻。
 どちらにも鏡は微笑を浮かべ、もったいぶったように話を続ける。
「まぁだ、秘密だよ」
「いい加減にしろ! こんなことをしてなんになるんだ!」
「だからまだ秘密だって。それにお義父さん前に言ったじゃない。内容など関係ない。力を示して体現したものこそが正義だって」
 それは鏡が引き取られてまだ間もない頃に、幼稚園での事件を引き摺っていた鏡が正義とは何かを見失っていた中で、ミゲルが語った言葉だった。
 尤もそれは、確固たる正義という信念を持ってぶつかり合った時を前提に語った言葉だったのだが。そこまで細かく理解するには、当時の鏡はまだまだ幼過ぎた。
「こんなもののどこが正義だ! 思想も何もない、ただの虐殺だ!」
「意味はすぐにわかるよ。だからもうしばらく、じっとしててくれる?」
「出来るわけがないだろう!」
 ミゲルは我が子にあらんばかりの殺気を込めて、現役時代から使い続けてきたデバイスを向ける。そうしなければこの異常な状況で、まともに自分を保つこともままならないと感じたからだ。
 周りに転がる死体達。それも惨殺死体まで混じっている。ここまで凄惨な殺戮現場は、幾つもの修羅場を抜けて来たミゲルの記憶でさえ有りはしなかった。
 さらには死体を量産した者が、異常な出で立ちの我が子なのだ。いかに気丈に振舞ったとしても、動揺は隠しきれていない。
「しょうがないなぁ」
 鏡は溜息をつきながら、同じくデバイスの照準を父に合わせる。不服そうに口を尖らせる鏡が、ミゲルにはわがままを聞いてもらえためにすねる子供に見えた。その状況に合わない鏡の普通さが、ミゲルや母親の恐怖を加速させている。
「ふん!」
 息子へ攻撃する躊躇いと異常な殺人鬼への畏怖を払うように、先を取り動いたのはミゲルだ。精製された四つの指向性を持つ魔力弾が、それぞれ弧を描きながら鏡へと向かう。
 鏡も同じく四つの魔力弾を精製する。こちらは指向性を持たず一直線にミゲルの魔力弾へと放たれた。
 互いに二つの魔力弾は相殺して四散。
 残った鏡の魔力弾はミゲルに回避され、誰もいない方向へと消えていく。
「ハハハハ、そう言えば僕とお義父さんが戦うのは初めてだね」
 鏡は笑い、ミゲルは表情こそ変化がないが、心では涙を流していた。ミゲルにとって成長した鏡との戦いは、ずっと楽しみに待っていた事柄のはずだったのだ。それが何故、こんな最悪な形で実現してしまったのか。
 ミゲルの操る魔力弾は軌道を調整しつつ鏡を襲う。己に向かい迫る父の攻撃を、鏡はデバイスの先端に構成された魔力の刃で縦に薙ぎ切断。
 そのまま生み出された慣性に身を浮かせて一回転し、後頭部から襲おうとする二撃目の弾を切り裂き破壊する。
「かぁっ!」
 ミゲルは鏡が着地する前に距離を詰め、鏡と同じ魔力を先端に集中したデバイスを、鏡の頭部へと叩き付けるが如く振り下ろす。
 集極されたエネルギーは物理的な破壊を可能とされるように設定されている。直撃すれば鏡の頭は粉々に砕け散るだろう。
 許せ、鏡よ。お前は私の手で仕留める!