書籍化されたラノベの擬音問題を追っていると、色々と思うところがあったので、思考をまとめるついでに記事にしてみようかと。

事件の経緯

夏目漱石が『I love you.』を『月が綺麗ですね』と翻訳した逸話は有名だ。
けれど、これと似たようなことを現代でやったら、『意味わからん』が多数意見を占めやしないだろうか。

少なくとも小説でこれをやるとしたら、読む側は前後の文脈で『月が綺麗ですね』を『あなたを愛しています』と読み解かねばならない。
中々にアクロバティックであり、相応の文章読解力を必要とされる。

これを読み解けなかった人は、自分の読解力の無さより、作者の方を否定するケースが多い。

そして、わかりにくいという批判が出て、作者が逆ギレしてブログとかで反論を書くと炎上騒ぎになる。

後は月が綺麗ですねキンキンキンキンに、あなたを愛しています格好いい戦闘描写に置き換えよう。

前提として断っておくこととして、当方別に『キンキンキンキン』という文章を肯定する気はない。全く無い。
あの作品を全部読めるかと問われると「ノー」と返すし、実際途中まで読んで精神的に力尽きた。

『無職という名前の職はない』というツッコミも、『雑草という名前の草はない』と同じレベルで頷ける。

ただ、自分と合わない=ボロカスに叩いていいというのは違う。
ということを言いたいがためにこの記事を書くことにした。

なお、二葉亭四迷の「死んでもいいわ」の方が状況には即しているけど、夏目漱石の方が説明しやすかったのであしからず。

文章力が低い=駄作ではない

文章力を作品の基準に置く場合、根本的な問題として文章力の定義を何処に置くかがある。

そもそも『質の高い文章』とはなんぞや? という問題である。

例えば、難解な文章=高い文章力と言えるのかについては、上記で示した通りだ。

別に『キンキンキンキン』を高尚な文章と言いたいわけではなく、素晴らしい文章でも読み手が理解できなければ良文とは言えない。

じゃあわかりやすい文章なら良いのか、となると、その結果が『キンキンキンキン』ならこれも問題外だろう。

要は良文というのは読み手の主観になる。

ラノベ文化は衰退するのか?

個人的にすごく気になったのは、こういう作品の書籍化が増えるとラノベ文化が衰退するという意見。
これがやたらと多い。

これは何をもって衰退すると言ってるのかがわからない。
衰退するというイメージだけが先行していて、具体性が全く感じられなかった。

実際に統計取ったわけではないけれど、ライトノベル読まなくなった人に理由を尋ねると下記の方が多いと思う。

・大人になってライトノベルを読む時間がなくなった。
・好む作品の嗜好が変わった。
・昔より別の娯楽が増えた。

少なくともラノベの文章力が落ちたから読むの辞めたという人はマイノリティだろう。

ここで大事なのは上二つの原因は年を取ったこと。
元々ライトノベルのメイン層はティーンズなわけで、そりゃあ歳を重ねる毎にラノベから離れる人は増える。

五歳と十五歳の子供を集めてきて、どちらでレゴブロックで遊んでいるかと統計を取ったらまず前者になるだろう。
それと同じ理屈である。

そして、ライトノベルの文章力が落ちたと嘆いているのは、大抵昔のラノベ作品を読んでいた世代が必然的に多くなる。

批判している人達は着実にラノベの対象年齢から外れていっている層だ。

ではどうなれば衰退するかと言うと、今ラノベを読んでいるメイン層と、これから読む年齢になる層が読まなくなること。

むしろ読まれている間は文化が衰退することはない。
衰退するならもっと別の活字離れが原因で衰退する。

例えば、今のラノベが全部純文学のような難しく崇高な文章になったら、小説として作品全体の質は上がるかもしれない。
けれど同時に気軽に読める娯楽性が落ちてしまい、メイン層の読者が離れてラノベ文化は衰退するだろう。

少なくとも『無職の英雄』は小説家になろうで一定数の人気があるから書籍化しているので、現在のメイン層に受け入れられていると言える。

後、川上稔先生が、この話題ですごく興味深いことを書いておられたので引用。

この観点で照らし合わせてみても、やはり『今時の文章』というラインからは外れていない。
なお、川上稔先生はとてつもなく濃い文章を書かれている御方です。

『キンキンキンキン』を叩く意義

少なくとも私は、わざわざ作者の感想掲示板まで乗り込んで批判するネットヤンキーな方々とはお近付きになりたくない。

しかしながら『キンキンキンキン』が今後のライトノベルに蔓延することへの危機感も、実のところわかる。
それを純粋に楽しめてしまう世代に隔たりを感じる気持ちもある。

でも、それを言われる読者側の気持ちになるとどうだろう?

私は今も平成ライダーを心から楽しんでいる大人である。
昔特撮作品を楽しんでいた人達(昭和ライダーとかでなく平成ライダー一期世代でも構わない)に、
フォームチェンジの『ヤベーイ』とか『チョースゲー』の音声を特撮作品が衰退する要因だと言われても、素直に「はい、全くもってその通りでございます」とは思わない。

むしろ、理解できないから別にそれでいいから近寄って来ないでくださいと返す。
多分『キンキンキンキン』に否定的な人達と楽しめる人達の間にあるのも、感情面は似たようなものだと思う。

これを一言で表すと最近の若いもんはとか、わしの若い頃はこうじゃなかったなのである。
強く否定すればするほど老害にしか見えなくなってしまう。

結局、叩いた所でこの風潮はそう簡単には変わらない。
そもそも、この文章力問題は最近どころか、ネット小説なら十年以上前からある。

叩く側も叩かれる側もいい気持ちがしない問題だ。
ウルフルズの『明日があるさ』の如く、『自分の若い頃よりだいぶマシ』という度量の広さを持つことが寛容ではないだろうか。