『あれは……!』
「ゴーレム。それもトライアングル以上」
禊がオーバーなリアクションを取ると本気なのか疑わしくなるが、そんなことは無視してタバサはいつものトーンで答えた。
巨大なゴーレムはその豪腕で塔の壁面を一撃で打ち砕き穴を開けてみせた。
その空洞にフードを被った、ゴーレムを操縦者だろうメイジが飛び込む。
何者かまではわからないが、キュルケの記憶が正しければ、あそこには宝物庫があるはずだった。つまり相手は盗賊だ。
『こんなとこでじゃれ合ってる場合じゃないよ! 早く捕まえないと、この学院始まって以来の大事件だ!』
禊が新たな螺子でタバサを突き刺すと、貫かれていた螺子が全て消え失せ、タバサの傷が瞬時に癒える。否、初めからそんな傷などは無かったことにされた。
タバサは直ぐ様立ち上がり、ゴーレムのいる方へ向かっていく。
「タバサ、あなたまさか一人でゴーレムに!」
「深追いはしない。キュルケは安全な場所に」
タバサは今までの戦闘で精神力も消費しているはずだ。もしかしたら禊が傷と一緒に精神力も回復させているのかもしれないが、底意地の悪い禊にそこまで期待していいものだろうか。
それでなくとも盗賊の実力は未知数である。間違いなく固定化がかかっているはずの宝物庫の壁を力で破壊した事実を考慮すれば、低く見積もってもトライアングル以上の実力者だろう。
そんなハイクラスのメイジが相手では、いくらタバサでも一人で戦うのは辛い。
『友情パワーの不足したお友達だね』
「わたしの心配をしてくれているのよ」
しかも今のキュルケは戦いそのものに怖気づいている。共に向かっても足手まといになるだけだ。
「そもそも、これはあなたの差金じゃないの?」
『僕は君達をおびき出すために、宝物庫なんて怪しい場所にわざわざ行ったんだよ』
「それを信じてもらえると思ってるわけ?」
『当然! 思ってるよ!』
自信満々に胸を張り、明朗に禊は答えた。張り倒してやりたくなるが、触りたくはない。
『だって、二人を螺子伏せた後、で僕は宝物庫から宝を盗むつもりだったもの』
「やっぱり盗むつもりだったんでしょうが!」
『けれど、どうして僕がメイジと共闘しなくちゃいけないのさ?』
言われてキュルケは考える。禊が宝物庫から盗みを働きたいなら、わざわざ外壁を壊すなんて面倒な真似をしなくても、堂々と入り口から鍵をなかったことにして入れればいい。
後は好きなものを盗んで、目撃者がいてもそいつの記憶を消せば済むだけ。
どう考えても禊の犯行だと学院全員に疑われはしても、決定的な証拠は一つも存在しないのは確定事項だ。
「じゃあ、あいつは何なのよ」
『そんなの僕が知りたいよ。あーあ、白けっちゃったなあ。折角積み上げたテトリスを、誰かに最後の長棒だけ刺し込まれた気分だ』
「白けた? それは私からすればいい気味だわ」
言っている意味はまるで理解できないが、禊が一気にヤル気を失ったことだけはわかる。虚勢を張って強がっているものの、先の恐怖がまだ抜けていないキュルケは、本当にここからすぐ逃げ出したかった。
だが禊を放って置く危険性と、タバサを一人ここに残すという行為に強い嫌悪を覚え、なんとかこの場に踏みとどまっている。
『わー。キュルケちゃんたら性格悪ーい』
「あんたにだけは言われたくないわよ」
『そう言うけどさ、あのゴーレム相手に何もできていないのはキュルケちゃんだけだって、気付いてる?』
「それは……」
禊の言葉は、先の螺子と同じくらいに深く、キュルケの胸へと突き刺さった。
肝心な時に限ってまるで役立たずで、親友のタバサだけに危険な役割を課すことになっている。そんな自分に、キュルケは胸が締めつけられるような悔恨を感じていた。
『でもいいんだよ。普段は自信満々で一番を気取るくせに、皆がピンチになると途端に脇役になる。そんな噛ませ犬体質が、キュルケちゃんの立派な個性なんだから!』
「黙りなさい!」
キュルケは声を張り上げて禊を怒鳴りつけた。しかし後に続く言葉が見つからない。
キュルケは素行不良でこそあるものの、メイジとしての成績はタバサ同様学年では頭一つ抜けている優等生だ。
ルイズとは正反対な位置にあり、噛ませ犬なんて呼ばれたことなどこれまで一度もなかった。
にも拘らず彼女は自分の体たらくに泣きたくなった。
禊との戦いも、あのゴーレム相手にも、足が一歩も動かなかったのは事実だから。
『おお恐い。そうやって貴族は平民を抑えつけるんだね』
キュルケはもう何も言わなかった。もはや、言い返す気力もなくなったという方が正しい。
何をしても、何を言っても、禊が相手では等しく台無しにされる。
――あたしは、こんなにも無力だったの……?
禊に取り憑いた虚構の戯れは、キュルケにやるせない現実を突きつけ、彼女の心に深く消えない折り目が付けられた。
●
結局禊によってタバサが回復したのは傷だけで、精神力はそのままだ。相手はがトライアングルのメイジであると考えるとほぼ勝つことは不可能だった。
そのためタバサは盗賊を倒すなどとは初めから考えておらず、敵の顔をなんとか見ることはできないだろうかと、それだけを考えていた。
使い魔の風竜がいればやりやすかったのだろうが、生憎この深夜ではとっくに眠っているし、禊戦ではその大きな身体が邪魔になるだろうと起こさなかったのだ。
結局一瞬だけ見えた盗賊は黒いローブで全身を包んでおり、顔はおろか、男女かどうかさえ判断は付かなかった。
それでも追跡はかけたが、ゴーレムは逃走中に土へ還りその操者も雲隠れしてしまう。
あの犯人は、禊がいたせいでここまで犯行に及べなかったのだろうか? だとしたら、意図しない間接的な行為とはいえ、自分達が禊を引きつけたからこの事件は起きたとも言える。
タバサは感情を表に出さないが、感性がないわけではない。彼女の小さな体躯には、どこまでも空回りで流れをかき乱すだけだった、己自身への悔しさを押し込んでいる。
――それでも、収穫はあった。
タバサの歩むのは修羅の道。明かりの差さない闇の道。
そしてその闇よりも不快で深い、“負完全”という闇の可能性を、タバサは実感としてその身に刻んでいた。
しかし、その先にあるのは修羅の道だ。
自分を取り巻く闇を取り払うために、より深遠な過負荷に手を付ける。
その先に何があるのか、あるいは何もないのか、タバサにもわからない。
けれどそれでも行かねばならない。
壊れた愛する人の闇が晴れるのならば、全てを投げ打つ覚悟で、これまで戦い続けてきたのだ。
そこに本当に心を許せる相手がいただろうかと、タバサは一人黙考した。
――きっと、あなたは、ずっと戦い続けてきた。それも人の行動は全て警戒するしかないくらいに、ずっと。
――『そう思うなら、きっと君はそういう風に生きてきたんだろうね』
禊のあの言葉が頭から離れない。
信じられる友はいる。
話せばきっと同情してくれて、色々手助けもしてくれるだろう。
しかし彼女にさえ自分の闇を打ち明けることはできない。
自分は一人だ。心を繋ぐ使い魔がいても、今根底の根底にある自分は人形でしかない。
このまま生きて自分は何処に辿り着くのか。また、あの日に帰れるのだろうか?
振り向けばそこにあるのは闇色に塗りつぶされた道。
――キュルケを迎えに戻ろう。
それでもタバサは足を止めない。自分が止まれば全てが終わるから。ずっと一人ぼっちなのに、一人は誰よりも怖かった。
●
ルイズはたった一人で学園中を走り回っていた。
頭にあるのは、まるで言うことを聞かない禊への怒りと、あの過負荷がまた何かをやらかしたらどうしようという不安だ。
けれども、ただ感情に振り回されているルイズに、禊の居場所を把握する知恵も能力もありはしない。
「何処にいるのよ、あの馬鹿……!」
やがてルイズの駆け足は緩み、徒歩にランクをダウンさせた。
体力を消耗していくのと、比例するように思考は荒れる。そうしてルイズの中で禊の悪行がリフレインされている最中に、彼は現れた。
「やあ、ルイズ。いい夜だね」
「ギーシュ? なんであなたがここにいるのよ、それに……」
月光に照らされ佇むのは、ルイズがよく知った、そしてわからなくなってしまった級友だ。
元々あまり話すような相手ではなく、ギーシュがクラスで浮いた存在となり禊とつるむようになって、それはより顕著になっていた。
けれど、そんなルイズにもはっきりわかるくらい、ギーシュはあり得ない変貌を遂げていた。
「この服かい? これは借りたんだよ」
「借りたって、どうして平民の服なんて」
ギーシュが着用しているのは、いつものキザったらしい白くフリルの付いた特注品ではなく、野暮ったい平民が着る衣服だ。
あの派手好きなギーシュが、よりにもよってこんな服を選り好んで着ているなんて考えられない。
「今僕はね、使用人用の宿舎に部屋を借りて寝泊まりしているのさ」
「……は? 何の冗談よ」
「本当だよ。借りていると言っても、他の使用人達との相部屋だしね」
世間話でもするようにニコニコ笑いながら、ギーシュは話している。
違う。とルイズはすぐに自分の印象を否定する。
あれはニコニコではない。へらへらとした笑い方と呼ぶべきものだ。
ルイズのよく知る、気持ちの悪い禊と同質の笑い方だった。
「どうしたのよ、何でそうなってるの?」
ルイズの背がぞわりとした寒気が走る。
何で、などとそんなものは聞かなくてもわかる質問だ。聞きたくなんてないはずの質問だ。
「禊が僕に勧めてくれたのだよ」
ああ、なんてことなの。ルイズは思わず空を仰いだ。
この真っ暗な気分と比べたら、この夜空は星でなんと美しく輝いていることだろう。
「禊に脅されたのなら、主人であるわたしに相談しなさいよ」
「脅された? 脅されただって? おいルイズ、君は話をちゃんと聞いていたのかい? 僕はミソギに『勧められた』と言ったのだよ」
呆れ返りながらギーシュはルイズに再度説明する。
二人の会話は致命的にズレていた。そういう問題ではないのだ。貴族にとって平民の宿舎は勧められて入るものではない。
侮蔑、屈辱、恥晒し。普通の貴族ならそんな感情が先立ち、とても実行できない行為だ。
そして、そんなことをギーシュがわかっていないはずがない。
「あなた、この短期間にそこまでミソギに洗脳されてしまったの? もしかして、禊に記憶の一部をなかったことにされて」
「ミソギは僕にそんなことは一切していない。僕の友達を侮辱するのはやめてもらおうか!」
ギーシュの表情から笑みが消えて、声には怒気が孕む。
「全てを失った僕に、ミソギだけが手を差し伸べてくれた! ミソギが僕に新しい世界、そして本当の世界を教えてくれたから僕はここにいるのだ!」
「本当の世界? それが平民の生活とどう関係するのよ」
「そんなこともわからない君は、ミソギの主人に相応しくないな」
「なんですって!」
禊がルイズに相応しくないのではなく、ルイズが禊に相応しくない。
ルイズにとって、禊以下というのは無能扱いよりも耐え難い屈辱だった。
「わたしのどこがミソギ以下だっていうのよ!」
「そもそも君は、ミソギの何を知っているのかな?」
「あいつのことなら誰よりも知っているわ!」
好きで詳しくなったわけじゃないけど。と、ルイズは心中で付け加える。
「ミソギは自分に近くにいる者を誰彼構わず不幸に堕とす、最低の中の最低よ」
「ルイズ……やはり君は何もわかっていない」
挑発的なこと言う時、ギーシュはわざとオーバーリアクションを取ることが多い。
しかし、この時はしごくつまらないものを見るような表情をルイズに向けるだけだった。
「何がどうわかってないっていうのよ?」
「じゃあ君は、ミソギの大嘘憑きに肩を並べられるような特別か過負荷を持っているのかい?」
「それは……」
自分は何の才能も持たない、無能だ。
どれだけおぞましく、近寄り難いスキルであっても大嘘憑きの効果は絶対的と言える。
プラスもマイナスもない、単純な絶対値だけならば、ルイズは禊の足元にも及ばない。それは動かし難い事実だった。
「いや、これはただの意地悪だったね。ミソギの本質、真の魅力は大嘘憑きなんかじゃないのだから」
「禊の本質……」
ギーシュがこれから語ろうとしている禊の本質は、ルイズが一度も考えたことのない事柄だった。
何故なら、本質も何もルイズにとって禊は、過負荷という存在以外の何者ではなかったのだから。