俺が落下を始めた時の感想は、なんて茶番劇なんだろうだった。
 この降下についてじゃなくて、事件そのものがだ。人形劇に興味津々なお年頃は、とっくに過ぎ去ったんだよ。
 ならば俺がこれから実行する華麗さ皆無の泥臭い逆転劇は、やってたテレビがつまらないから、ちゃぶ台ひっくり返す様なもんだろうか。
 殺人鬼を捕まえる激闘を、ドメスティックヴァイオレンス系のパパと一緒に扱うな、とツッコミを入れてくれる人はここにはいないけども。俺、墜落中だし。
 このまま潰れたトマトになろう気は当然にして皆無であるわけで、しょうがない、働くか。
「スウィンダラー。スカーレットウィングを再始動」
≪反重力場を形成≫
 千切られて半端な浮力しか発生してなくても、ブレーキくらいにはなるのさ。
 スウィンダラー内に実装されている飛行補助機能を起動させて、落下速度を落とし、五階の廊下手すりを掴んでビル内部へと戻ってきた。
 後ろにはまだまだ元気ハツラツな、俺の追っかけがわんさかと。落ちたくらいで振り切れるなんぞ思ってもないし、この花びら達にはしっかり俺を追ってもらわないと困るのだけど。
 廊下に着陸したら、即両足をひたすらに上下運動させて、とにかく前進だ。つまり猛ダッシュである。
 後方の鬼畜共と鬼ごっこしながら、廊下の端まで、一気に走り抜けなければならない。距離は十メートル少々か。
 飛んでたら余裕で追いつかれるから二足歩行を選択したが、全力疾走でもあちらさんのが早い。
 単純な踏み込みで瞬発力出すのは割と得意なのに、走る速度は三流だ。
≪敵反応が接近しているぞ≫
「そんなことはわかってるよ」
 後ろは振り向かず、辿り着くべきゴールへと邁進する。踏むより蹴ると表現した方が正しいくらい力強く、前へ前へと。
 後三歩でゴールだ。そんなところまで来て、花びらの一枚が俺の首筋に触れた。
 最初に感じた感触は異物感。痛みはなく、神経や内臓を透けるように何かが奥に入り込んでくる。
 一歩。
「相棒、解析よろしく」
 二歩。
≪貴様のリンカーコアに直接アクセスしているぞ、使用者≫
 三歩。着いた。
「そいつはまた無駄なことを」
 手すりに跳び乗り、膝を曲げる。背中を中心に花びらが殺到だ。また新たに内部へと侵入している花びらもある。さぁ急げよ俺。
 ウイングマントをパージし手で掴みながら、魔力を足に集中させて、もう一度跳躍。
 さっき耶徒音にナイフを直撃させた時、花びらが魔力を吸収するには、僅かだがタイムラグがあった。その特性を利用する。
 今マントには二桁を越える花びらが付着していて、それを前面にかざしながら、結界へとぶつかった。
 抵抗はある。しかし魔力の吸収を開始した花びらは、瞬時にマントを喰い破り、結界をも侵食してみせた。
 密度が下がった結界は、人間一人の質量に耐えきれず、膜を破るようにすり抜ける。
 耶徒音が何故結界から脱出して、その時僅かに観測された魔力の歪みが観測されたのか。これがその答えだ。
 予測は的中。フェイト放置して単騎での脱出に成功してしまった。フェイトにはちゃんと伝言や小道具で、伝えるべきは伝えたから問題ないけど。
 さて、フェイトは一旦さて置き、現状もこれはこれで問題はある。
 まず俺の内部には現在進行形で不審者が進入中だ。こいつらが次のアクションを起こすまで、あまり時間はないだろう。
 加えて、敵のゾーンを突破しても、俺が落下してる事実までは覆せない。こっちはどうやら、もう想定していた通りに話が進んでくれるようだがな。
 自由落下する身体が予測していた緩衝用の障害物へと接触する。
 これが木なら、落下速度落とす代わりに、枝にぶつかりまくりだったりするわけだが、ぶつかった感触はむしろ柔らかだった。
「大丈夫かいあんた!? いきなり落ちてきて、ビックリしたよ」
 緩衝物は俺を抱き留めたまま、驚いた様子で声をかける。
 布越しに感じる柔いなにで埋もれていて、返信に支障をきたしてるんだけど。
「多分すぐに大丈夫じゃなくなるから、下ろしてもらえると助かる」
 ちょっぴり窒息展開を恐れて双球から脱出した俺は、自身のこれからを案じながら、救援者であるアルフに答えた。
 周りには見知った協力者達もいる。わざわざ待機してる仲間に拾ってもらうために、一番密度濃く仲間が配置されているここまで逃亡を続けたのだ。
「どういうことだい? よくわからないけど、下ろしたらちゃんと答えておくれよ。特にあたしのご主人様がどうしてるのかをね」
 そりゃ俺一人だけ、しかも空から降ってきたら残ってるフェイトが気になるよな。
 今後も含めて考えるなら、安心はさせてやりたい。しかし続くアルフの言葉に、回答はできなかった。激痛が到来したためだ。
「う、っがぁ!」
「拓馬!?」
≪花びらのリジェクトを確認≫
 侵入した花びらが、今度は体外へ抜け出ようと、俺の体を一直線に切り刻み出した。
 “行き”とは違い、“帰り”は直接俺の肉を裂いている。
 これまでの犠牲者達は、ことごとく刺殺されていたんだ。それも複数の傷痕が確認されている。統合して考えた結果、こうなるだろうとは思っていた。
 能力の才能を持たぬ者は、証拠を隠滅しつつ命を消し去るか。悪質な力の押し売りだよ。
「しっかり! すぐに降ろすから」
「ぐくぅっ」
 俺の様子を見て、すぐに尋常ではないと察したアルフは、降下して俺に肩を貸し支える。
 そんな気遣いに感謝する余裕が、俺にはないけどな。
 冷静に自分を分析していても、痛みは痛みとして肉体を苛め抜く。俺は暴れながらアルフを突き飛ばすように地面へと倒れこんだ。
「あんた、耶徒音の攻撃を受けたのかい!」
「そうだよ、他の、連ちゅ、も、こうなったん、だ、ろうさ」
「動かしちゃ駄目! 私が診ます」
 苦悶に呻きつつ地に伏す俺へと、急ぎ駆けつけたのはシャマルさんだ。他にも誰かまで確認する余裕はないが、身を案じる声は聞こえてくる。皆がここに揃いつつあるようだな。俺としては重畳である。
「拓馬君、すぐに処置を!」
 シャマルさんはすぐ俺の中で生じている変異を察知したらしい。
「もはや外部から、じゃ、どうしようも、ないですよ」
「そんなの診てみなければわかりません! 私はこれが本分なんだから」
「問題ないさ。俺の理は、まだ、崩れてない」
 無駄だと宣告しても、癒しの騎士として退いてくれないのは、そこにシャマルさんの矜持があるからだろう。戦うことではないとしても、彼女には彼女の騎士道がある。
 ならば、俺は俺の術(すべ)を見せようか。
「理って……貴方まさか!」
 四つん這いから腕に力を入れて、少しずつ、身体を持ち直す。
 スウィンダラー、後どの位だ?
≪二十二秒だ≫
 流石仕事が早い。俺の命を繋ぎ続けている要因はこの演算能力だよなと、相棒の性能を讃えておく。
「結界の無効化と、耶徒音が使うスキルの証明。確信を得たいなら、実際に試してみるのが、一番早いと思いませんか?」
 上半身を持ち上げたのなら、腕を地面から離して、脚に体重と力みをシフトさせる。
「またそんな危険を冒して、あなたの命が危険に晒されて悲しむ人だっているんだから!」
 それがどうした。
 緩慢な動作でもしっかりと、俺は立ち上がる。
「他人がどうとか、知ったことじゃないさ。俺は俺をやり続ける。極限状態ほど大事になるのは、その一点だ」
≪花びらの除去を完了≫
 内部の危険物は計画通りに除去してみせたが、ここまでに必要経費として許容した傷は深い。
 それでも、シャマルさんには不敵な笑みを投げかけてみせる。
「ほら、死ななかっただろう。耶徒音の能力はリンカーコアを操作し、魔力を吸収する花びらだった。その攻略法として、リンカーコアを破損した俺の身体を囮とする。才能なしと判断して暴れる体内の血液を魔力に変換して、花びらを相殺すればいい」
「貴方はいつもそうなのね」
「これが俺だからさ」
「せめて応急処置をさせて」
 強がりはしっかりとバレていたようだ、そりゃあれだけ呻いてれば当然だろうけど、情けないなぁ俺。
「ええ、お願いします」
 シャマルさんは何か言いたげではあるが、あくまでも治療を優先し、魔法の詠唱を始めてくれた。
 そして続けざまに会話を繋げるのは、ここにいる者達の中で最大の権力を持つ、執務官様だ。
「自分の意思を大事にして、それで死んだのなら意味はないと思うが?」
 チビ助め、生意気言ってくれるじゃないか。だがそんな一見まともに聞こえる程度の言葉じゃ、俺の価値観には小さな波紋さえ波立ちはしない。
「結界を抜けられなかったら? 誰も受け止めてくれなかったら? 耶徒音のスキルで身体を破壊されたら? その時は死ねばいい。殺人鬼相手にしてるんだ、そんなの当然だろ」
「死んでこの街が救えるのか?」
「死すら見据えずに戦場に立つのかい?」
 数回のやり取りにして、早くも見事なまでの平行線だ。こういう時空管理局のスタンダードタイプのエリートとは、とことん価値観が合わないな。

「今はそんな言い争いしてる場合やあらへんやろ」
「そうだよ。フェイトちゃんはまだ結界の中なの?」
「ああ、フェイトはまだあの中の屋上で、耶徒音と戦ってる」
 フェイトが一騎打ちしてる敵はシグナムとヴィータを墜としているのだ。全てを謀った上で戦場から抜けてきた俺はともかく、なのはやアルフは気が気ではないだろう。
「けど、どうやってもう一度、結界内へ入るんだ?」
「たっ君がここへ戻って来た方法をもう一度やってみるのは?」
「俺は耶徒音の魔力吸収スキルを利用してあの結界を破っただけで、もう結界は塞がれているから、それは不可能だよ」
 そもそもこっちに渡るだけで生死を揺るがす博打だったから、クロノは苦言を吐いてるわけで、まず許可なんぞされないだろう。
 こちら側で唯一結界を解析して解除可能なのは輪廻さんだが、あの人が大人しい時点で、解析は終わってないないのは察せる。それより、輪廻さんには耶徒音が舞台へ上がる前に密かに念話で依頼したことがらあり、ソッチの方が俺としては優先なんだが。
「結局状況は何も変わってないんやね」
「くそ、あたしのご主人は戦ってるってのに、助けにもいけないなんて!」
「え? すぐフェイトは迎えに行くぞ?」
 おお、すごい視線が一箇所に集中した。
 俺としては応急処置が済み次第、続きの策へ奔走するつもり満々だったし、策は予め用意済みだ。
「じゃあ、こっちから結界を抜ける方法があるの?」
「そんな方法あるわけないだろ」
「でも、それならどうやって戻るんや?」
 こちらから開ける方法が皆無だとすれば、残る手なんぞはなから決まっている。
「向こうに開けてもらうんだよ」
「それができたら、始めから苦労はしてへんやん」
「可能なんだよ。帰りの切符は最初に織り込み済みだ」
 しかも帰りは行きよりずっと安全で、全員が結界内部へと突入可能な優れものだ。
「ならば君の回復を待つ間に伝えるべきことがある」
「何だ?」
「君が輪廻氏に送っていた答えについてだが」
「どうだった?」
「回答はイエスだそうだ」
「そうか」
 これで決まりだ。俺の立てていた仮説は証明された。これで心置きなく残りの仕事をこなせる。
「また誰にも話さず、何を質問していたんだ?」
「それは、犯人に言い逃れ不可能な証拠を突き付けるための、とっておきの一打さ」
「何だって!? 殺人犯はしとねが操ってるはずだろ」
「おいおい、いつ誰がそんなこと言ったんだい?」
 俺とフェイトの実況生放送でそう結論付けたか。
 だがそれはハズレもハズレだ。
 真の主犯はやとねではないし、まして詩都音でなんて、あるはずがない。
「犯人なんぞ、美濃義直のジジイに決まっている」