耶徒音は魔力弾に直撃を繰り返し、その度に数枚の黒い花弁を構成した身体から排出しながら、何のためらいもなく私を追ってくる。
 向こうは一撃でも攻撃が当たれば勝ちで、恐らく痛みもないように見える。だから、小さいダメージなんて気にしないで私を倒すことに集中しているんだろう。
 私はとにかく間合いを取ることに集中しながら、耶徒音が無視できなくまで攻撃を続けるしかない。
 耶徒音が走る。
 私は逃げる。
 だけど、そんなやり取りにさえ、私は集中しきれていない。
 もう一人、耶徒音の攻撃から逃げ続けている人がいる。たっ君だ。
 地上だけじゃ花びらを処理し切れないと判断したたっ君は、より逃げる範囲の広い空中で、応戦を続けている。何度か魔力に変換してないたっ君の血が、地面へと落ちてきていた。
 私が飛行魔法を発動しないで戦闘をしてるのは、万一たっ君にこれ以上の攻撃が向かないようにするためでもある。
 耶徒音の飛び蹴りを潜るように前進しやり過ごす。
 私はまだスピードで耶徒音に勝ってるから、何とかここまでやり過ごせてる。
 でもたっ君は違う。逃げるスピードより、追う花びらの方が早い。花びらの来る方向を読みながら、少しつづ反撃をしている。
 それそれで私じゃ真似できない技術だけど、たっ君の魔力は血を消費する諸刃の剣だから、いずれは戦えなくなって必ず捕まってしまう。
 ストレート。裏拳。フック。やっぱり連携も関係ないスピード任せの攻撃で、下がりつつカウンターの射撃は取れる。複数の遠隔魔力制御は苦手なのか、私に対しては花びらを使ってこないのが救いだ。
 そしてたっ君を助けたくても、私にその余裕がない。それも当然耶徒音の猛攻をしのいでるから。
 たっ君が気になってどうにかしなくちゃと考えてしまうから、耶徒音に対しての反応が遅れてしまうのに、たっ君を助けるための手段が見つからない。悪循環になってしまってる。
 ローキック。ストレート。違う、打たれた腕が軌道を変えて、肘打ちに変化した。
 かろうじて反応できたけど、当たればそれで負ける。そのハンデが何より大きい。
 耶徒音が振り切った腕を戻す短い時間で、また反撃と退避を繰り返す。その合間でもって視線をたっ君に写した。
「たっ君!」
 そして、たっ君にとってのその時は、私が思っていたよりずっと早く訪れてしまった。
「当たり所がいいのか悪いのか」
 やれやれと軽く笑いを浮かべてるたっ君は、体勢を大きく崩して、空から落下する。それも落ちていく場所は屋上ではなく、結界とビルの狭間だった。
 バリアジャケットに、耶徒音の花びらが触れてしまったんだ。たっ君が飛行する時は、バリアジャケットにマントを追加し、そこに浮力と飛行制御の力場を形成する。だから、それを破壊されてしまうと、たっ君は飛行を維持できなってしまう。
「私が援護するからこっちに来て!」
 それでも破壊されたマントは一部分だけで、まだ力場は残っているから、降下はゆっくりと始まった。これならまだ急げば、屋上に落ちることができるはず。
 だけど、そんな私の小さな期待を壊すかのように、たっ君の落下速度が早まった。たぶん、今のスピードでは花びらから逃げ切れないと判断したたっ君が、自分で飛行魔法を解除したんだと思う。
「待って、すぐに助けるから」
『フェイト』
 たっ君を追いかけようとする私を止めるように、落ちながらたっ君が私へ念話を飛ばした。
『耶徒音が相手だとしても、君は自分の力を信じて貫け』
 逆さまになったたっ君と目が合う。いつも通りのたっ君の冷静な瞳。だけどたっ君は、これから地面に激突するか、花びらに捕まってしまうかを選ぶしかもう道はない。
 追いかけなくちゃ。
≪Warning!≫
「うっ!」
 追いかけなくちゃいけないのに!
 バルディッシュが危険を察知しアラートを鳴らす。私に追いついた耶徒音が横並びに腕を振るったから。
 そんなことさせるわけない、絶対に逃がさないと。言葉はなくとも耶徒音の意思は伝わってくる。
『お前に力と心を与えた人を忘れるな』
「嫌だよ、待って、たっ君!」
『フェイトはフェイトであり続けろ』
 最後の一言を聞いた時には、もう屋上を通り過ぎていて、たっ君の姿はもう見えなくなっていた。
「もう一人やっつけちゃった! やっぱり耶徒音ちゃんは誰にも負けない殺人鬼なんだ!」
 まただ。
 リニスは私のために消えてしまった。
 プレシア母さんをアリシアを助けられなかった。
 リインフォースを消去する以外には、闇の書を止められなかった。
 また私は大切な人の手を掴むことができない。
 私は昔と何も変わってなんてなくて、誰も助けられない。ずっと弱いままの私なんだ。
 それでも私は止まれない。戦わなくちゃいけない。耶徒音をこのままになんてできないから。
 だけどたっ君、私には無理だよ。私は私を信じられない。
 私は私に絶望したまま、戦いを続けるしかないんだ。
 メッセージを遺したっ君は戦場から消えて、たった一人の観客から歓声が聞こえてくる。
「詩都音……どうして」
 どうして、あんなに無邪気な笑顔で笑って、あの子は喜べるの。
 人が死んでいるのに。
「死――っ」
 いや、たっ君は死んでなんていない、死んでなんているはずがないんだ!
 頭の中がぐるぐると回る。何もしてないのに、視界がぶれて、気持ち悪いものがこみ上げてくる。
 死んでない。
 死んでないから。
 死んでないんだよ!
 そう思わないと、言い聞かせないと、足が震えて立っていることさえできなくなりそう。
「いっけー耶徒音ちゃん! 耶徒音ちゃんより強い人なんていないんだ!」
 たっ君が落ちた場所に行って確かめようにも、耶徒音の攻めは執拗で、途切れない。この展開が続く限り、そんな余裕だって。
 本当に?
 たっ君が落ちた先を覗きこんで、その答えを知ることが、私はたまらなく恐いんじゃないだろうか。
 それは、私がたっ君が死んだと認めて――違う。だってほら今だって耶徒音の攻撃は続いてるから、だから見られないだけだ。
 思ってないよ私はそんなこと思ってない違うから嘘だから
「違う!」
 気が付けば、声を張り上げて叫んでいた。誰でもない自分に向かって。
 ぐるぐるぐるぐる。私の中で、その中心で、どうしようもなく黒くて重いものが心を這い廻っている。
 バルディッシュを握り締めている手が痛い。手袋の下で指が白くなってるのが、感覚的にわかる。これじゃ必要以上に力が入り過ぎて、スピードも出ないし、逆に力が入りきらないのに。
「違わないよ。あのお巡りさんは、落ちて死んじゃったんだよ」
 詩都音が不機嫌そうに唇を尖らせて、私へ抗議を訴える。私の言葉を、自分達に向けられたと解釈して怒ったんだろう。
 詩都音は完全に耶徒音を信頼しきっているから、我慢できなかった。
 信じられた耶徒音がさらに私へと距離を詰める。今は戦闘に集中しないと。
 拳。蹴。拳。拳。蹴。
 普通の人なら、こんなに長時間それも早く大振りな攻撃なんて、まず呼吸が保てずに続けられない。
 何より、私はたっ君が生きていると信じてる。
 拳。拳。
 でも、信じているなら見れるはずだ。
 スピードだって、私の方が速いから今の蹴りだって当たってない。私は信じられてないんだよ。次は右足のロー。認めたくないから、見ないんだ。左肘。
 だからそれが、たっ君はもう死んでると信じてない証拠になるんじゃ、駄目だこれ以上余計なことを考えると耶徒音に対応しきれなくなる。
 このままじゃ私も落ちてたっ君みたいに……違う! たっ君はきっと生きてる! そんなこと思ってない! 右左。次の攻撃で。タイミングが大事だ。
 だから集中しないと、たっ君のことは忘れないと、忘れられるわけがないけど。だから耶徒音が踏み込む私はたっ君を信じて違う今はそうじゃなくて今だギリギリで――後ろを取った。
「プラズマランサー」
 魔力弾で耶徒音の身体を削る。一撃。二撃。三撃。四撃。魔力を追加してさらに撃ちこむ。破壊を与える箇所は私が選んで、耶徒音の耐性を崩してしまえば、私にも余裕が生まれるはずだ。
≪プラズマランサーの無力化を確認≫
 五撃目から八撃目が途中でかき消された。耶徒音が、私にも花びらを使いだしたんだ!
 耶徒音の身体から分離した花びらが魔力弾を吸収し、それでもなお、残った花びらが私へと迫る。
 たっ君が欠けてしまったから、私に対しても花びらの攻撃が可能になっていたんだ。
 そこに耶徒音が回り込む。これじゃもう、とてもじゃないけど逃げ切れない。この場を切り抜けるには、飛行するしかない。
 耶徒音の移動が全てマンションや結界を蹴りながらの移動だった。つまり耶徒音自身は飛べない可能性が高い。それを踏まえても、空中での戦闘は、私に有利だ。
「だけど……」
 そもそも飛行魔法は、たっ君がいたから実行しなかったのに。飛ぶと、たっ君の死を認めてしまう気がした。
「ハーケンフォーム」
≪Haken Form≫
 バルディッシュに形成された魔力刃で、残る花びらを切り裂く。花びらは刃に触れて、黒く染まり消失した。バルディッシュの刃も、一振りだけで所々欠けてしまっているけど。
 耶徒音の腕が、後ろ髪を追う気配を感じたけど、捕まることはなかった。
「ああ、惜しい!」
 詩都音はホントに残念そうだ。耶徒音が無表情な分、詩都音が感情をよく露にしてる。
 私はどうだろう。心に残るのは、たっ君が危険という恐怖しかないけど。
「このままだと、繰り返しになるだけだ」
 一時的にやり過ごしても、すぐまた新しい花びらが耶徒音の身体から分解されて、私へと向かう。それも次は塊が複数に分かれていた。逃げ切れなくなるまで増やしていくつもりだ。
「これでもう逃げられないよね!」
 どうしよう、この包囲は抜けられない。プラズマランサーを撃ちながら、一番空きの広い地点に避難を。どうせ追い詰められて、逃げ場なんてすぐになくなるだろうけど。
「あ……う……」
 逃げた先、その足元に目が行くと、そこにはあったものは、たっ君の流した血だ。
 たっ君から流れた、たっ君の命。
 たっ君の抜け殻。
 増え過ぎて、もうこれ以上は増えないと思っていたのに。まだまだ気持ち悪さが増していく。
 私は飛んでいた。花びらから逃げたんじゃない。たっ君から逃げたんだ。やっぱり私は……。
「しぶといなぁ、もう!」
 とにかく逃げよう。フィールドが広くなった分、逃げながらの魔法もやりやすくなってるんだから、近い花びらを優先して、撃ち抜いていけばいいんだ。
「これは」
 空中を旋回する花びらの大群が、私を囲んでいく。屋上の端には行けないと、即座に判断した私が嫌だった。
 そこを除いて逃げ場がないわけじゃない、だけど。
「耶徒音が攻撃の数を増やしてる!?」