たっ君の立てた作戦は驚く程にシンプルで、とてもわかりやすいものだった。あまりにあっさりとし過ぎて、皆初めは疑いの目を向けていたし。
 結局翌日、その作戦を実行するために私とたっ君は美濃家へと行った。事前の連絡こそはしていないけど、服装もきちんとした正装で訪問している。
 たっ君は黒いスーツ姿で、胸にはトルバドゥールのマークが印象的だ。茶色の背表紙に金の枠で装飾された本が開かれ、上には一本の剣が浮いている。そして剣の周りを、美しい紫の羽をした数匹の蝶が舞う。輪廻さんが考えたトルバドゥールのイメージだと、たっ君が教えてくれた。
 アースラで会議する時はだいたいこの姿でいるけど、たっ君は窮屈であまり好きじゃないそうだ。
 私はいつもの茶色を基している調管理局の制服で、髪は括らずに下ろしてある。髪型は結んでいるよりこっちの方が大人っぽく見えると言ってもらえたから、大事なお仕事や管理局の制服ではいつも下ろすようにしてた。
 他のメンバーは前回と同じで、マンションのすぐ近くで待機。ついさっき最後に交わした通信で、皆からも独特の緊張が伝わってきた。不測の事態はもう許されないから。
 チャイムを押してから数秒、私達を出迎えたのはお爺さんだった。名前は美濃直義(なおよし)さんで、美濃家の家長さんでもある。
 直義さんはまず前回とは全然格好の違うたっ君に驚いていたけど、たっ君が「大事なお話があって来ました」と半ば強引に押し切る形で家に上がりこんだ。聞くと、詩都音はどこかへ出かけているらしい。
「かなり唐突で、にわかには信じられないでしょうが、私は警察官ではありません。魔法という力を扱う特殊機関の人間なのです」
「なんですって!?」
 そこからは率直に、たっ君は魔法関連について説明を始めた。美濃家の誰かが嘘を吐いてるのなら、大きな現実を見せつけ価値観を心を揺さぶり、想定外の動揺から生れた失言で嘘を暴いてしまう。それがたっ君の立案した作戦だ。
 だけど、本当にこれでいいんだろうか? 作戦はともかく、あまりにストレート過ぎる気がする。クッションはせいぜいお茶を出してもらってからのちょっとした世間話しかない。直義さんは一般人で、魔法についてなど全然知らなかった人なのに、どうやって受け入れさせるつもりなのだろう。
 途中私が簡単な魔力スフィアを形成して、魔法の存在を証明したりもした。昨日のうちに時空管理局を大まかに説明する簡易資料まで作成して渡している。こうすることが目的なのはわかっているけど、どこまで容赦なく攻め込むつもりだろう。たまに家にやってくるセールスの人だって、ここまでの力押しはしないよ。
「これで我々の存在は理解していただけたでしょうか?」
 私がもしこの家の人なら、いきなり過ぎて頭の回転が追いつかない。ここまで不審がりながらも、直義さんがずっと話を聞いてくれているだけで、私達は幸運だ。不審者として警察を呼ばれてしまったら、そこで捜査は終わってしまう。
「いやぁ、あの、いきなり魔法とか……次元世界でしたっけ? そんな色々言われましてもぉ……」
 直義さんにはたっ君の狙った明らかな焦りが見て取れるけど、私にはこれくらいの反応が普通だと思う。これじゃ一旦止めてきちんと理解してもらわないと、話を続けるに続けられない。
「信じがたいのは理解できますし、かなり足早で説明してしまい申し訳ないとは思います。しかし、もう時間がないのです」
「時間がないとは?」
「この家からずっと魔力反応が探知されています」
『ちょっと、たっ君!』
 これはあんまりだ。流石に強引過ぎるよ。しかもさらに核心へ踏み込もうとしてる。ここはもう私が止めるしかない。
『次にお前は、“たっ君これは無理矢理に話を持って行き過ぎだよ”と言う』
『こんな無理に話を続けちゃ、説明にもなってないよ』
『……フェイトはノリが悪いなぁ』
『そういう問題じゃないから』
 ここに来て尚、まだとぼけようとしてる。一体このやり方にどういう意図があるというのか、私にはさっぱりだ。説明してもらえないとこれ以上は進めない。
「あの、探知とは、何が?」
「この家のどこかに、犯人が潜んでいる可能性が、かなり高いのです」
 核心だった。それも核心の核心だ。もし仮に耶徒音のことを知っていたとしても、これじゃひた隠しにされるかもしれない。知らなかったとしたら、悪戯に美濃家の人達を恐がらせるだけ。良い結果なんて生み出せるとは到底思えない。
『心配しなくても、全部想定通りに進んでるよ』
『その想定がわからないんだけど』
 この進行がわざとなのはわかってる。問題なのはその意味なんだ。この力押しが、どういう利点を生むのだろう?
「そんな、嘘でしょう? 家には犯人が潜む場所なんて何処にも」
 直義さんは信じ難いという顔をして、辺りを見回す。いつの間にか自分が殺人鬼と一緒に暮らしていたなんて、どういう気分なんだろうか。あまりに非現実的過ぎて私には想像もできない。それでもあえて考えるのなら、ごく普通に暮らしていた中で、突然後ろから首元にナイフを押し付けられたイメージが浮かんだ。
 当たり前に続くはずのものが当たり前じゃなくなる恐怖。こんなはずじゃなかったと思うより、どうしてこうなったのかさえ理解できない理不尽さに、直義さんは突き落とされている。
「前回は巧妙に隠れられていたために見つけられませんでしたが、今度は必要な装備も整えて、犯人を発見しに来ました」
「うちには年寄りと小学生の孫娘だけで……。もし本当に犯人がいるとして、襲われでもしたら一溜まりもありゃしません」
『ふぇいふぇいよ、ペテン師に必要なのは度胸なのさ。奇襲。大きな嘘。検証できない仮説の上に追加される次の仮説。理解を許さないスパイラルを前にして、どこまで心を揺さぶられずに、完璧に演じられるかな?』
 元々たっ君は、この家の人全員に鎌をかけるつもりなんだ。そうしてその中から嘘を見つけて犯人を探りだす。この無理のある話の展開速度も、そのための布石にするため。
『じゃあ直義さんが嘘を吐いてるの?』
『そいつを俺が見極めてやるのさ』
『でも直義さんが無実で本当に何も知らなければ、ただ状況に流されるだけで、私達を信じてくれるのかさえわからないよ』
『任せて。この先もちゃんと考えてあるよ。知らなければ今の流れに押されるか、不条理を前に感情で反発するかだろう。だけど知っているなら“思考して選ぶ”。大事なのはそこに生ずる揺らぎだ』
 私はたっ君の狙いに対して、今一つ実感が湧いてこない。だから納得にも届かなかった。
『それって……』
『ふふ、フェイトは相手に対して親身になり過ぎているのさ』
「大丈夫です、皆さんの安全はこの私が責任をもって保証します」
「しかしぃ、この会話も聞かれているのだとしたらもう危険なんじゃ?」
 親身になり過ぎている? その言葉で、私は余計色んなものに靄がかかってしまった。
 問題は直義さんが、どこまで私達を信用してるのかかな。一応私が実際に魔法を使用したけども、あれだけで全てが信用されるだろうか? 何らかのトリックと判断されてしまうとそれまで。まだ直義さんは魔法や事件に対して、半信半疑で動きかねているように、私は見える。
『さて、そろそろ第二段階へ入ろうか。むしろ大事なのはここからだよフェイト』
「この件に関して、一つご主人にお聞きしたいのですが、耶徒音という少女をご存じないですか?」
「どうしてその名前を……」
 耶徒音の名前が出た途端、義直さんの心に大きな波紋が生れた。とてもわかり易い反応で、たっ君じゃなくても読み取るは難しくない。もっとも、たっ君の見ているものが、私と同じだとは限らないのだけど。
「私達はこの事件の真犯人は、その少女であると考えています」
 沈黙。義直さんは何も答えずじっとその場に座ったまま、何も語らない。私とたっ君もそれ以上の追求はせず、じっと義直さんの応答を待っている。
 何もしていないのに、息が詰まるような時間。重苦しい我慢比べのようだったけれど、ついに観念したみたいで義直さんは再び口を開いた。
「付いて来てもらえますかのぉ」
 ぼそりとそれだけ告げると義直さんは立ち上がる。私達も「わかりました」と従って起立し、とても重い足取りで進む義直さんの後を追った。恐らく、これは義直さんにとって苦渋の決断だったんだ。
 通された部屋には、敷かれた布団に横たわるお婆さんの姿が視界に入った。この人が、美濃家最後の一人である美濃加代(かよ)さんだろう。寝たきりってことは、身体が悪いのかな?
「妻の加代です。年であちこち悪くしておりましてね」
「そうなのですか」
 先に部屋に入ったたっ君が加代さんを一瞥するけど、表面上は特に変化はなかった。
 私は起こさないように音を立てないよう心がけながら、たっ君に続いて部屋に入る。加代さんは眠っているみたいで、挨拶することもできない。
 布団の隣には仏壇が置かれていて、そこにはお供え物と家族と思われる写真が小さな額に収まり置かれていた。
 真ん中にワンピース姿の詩都音と、詩都音そっくりでゴシックロリータの衣装を来た女の子が、仲良く手を繋いでる。逆かもしれないけど、詩都音から聞いた特徴から考えて、この子が……。そして二人を挟むように、両親と思われる人達が中腰で娘達の肩を抱く。皆が笑顔で、すごく幸せそうな家族に思えた。
「右のワンピース姿の子が孫の詩都音。その左側が、耶徒音です」
「耶都音……」
 この子が、海鳴連続魔法殺人事件の犯人。美濃耶徒音なんだ。写真を見る限りでは、とてもこの街で人を殺して回っているシリアルキラーの片鱗も見えない。
「しかし前回来た時は、この家に住んでいるのは三人だとお聞きしましたが」
「ええそうです、現在この家に住んでいるのは私とそこの加代(かよ)。そして孫の詩都音だけです」
 耶徒音がいない。そうじゃない、義直さんは大事な一言を付け加えていた。
「現在……ですか?」
「耶徒音なのかい?」
 私の繰り返しは、しかしまた別の人に遮られてしまう。この連続殺人事件最後の容疑者、美濃加代さんだ。
 加世さんはまだ寝たままだけど、目は半分開いていて、時間をかけゆっくりと起き上がろうとする。私も加世さんが起きるのを手伝い、その間佳代さんはじっと私を見つめいた。
「ありがとう。耶徒音は優しい子だね」
「え?」
 佳代さんは、私を耶徒音だと勘違いしてる? まさか、
「すみませんね、気を悪くせんでください。加世や、こちらの方達はお客さんだよ」
「失礼ですが確認のために、加世さんは認知症ですか」
「ええ、もうだいぶボケてきとるんです」
 お年寄りの人だし、だったら余計労らないと。私も佳代さんの目を見ながら、できるだけはっきりとした声で、名前を教える。
「初めまして。私は、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです」
「暁拓馬です」
 たっ君も私に続いて名乗りつつ、丁寧な所作でお辞儀をした。いつものたっ君を見ていると、美濃家に来てからのたっ君は別人なんじゃないかと疑ってしまう。