君の良い所を愛してる。
 君の悪い所を愛してる。
 僕の中の君を愛してる。

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 今日の宿題を終わらせるために、鉛筆をノートへ走らせる。
 ずっと九九の式と答えをずらずらとたてに書いていきながら、口でも計算を口ずさむのが大事なんだよ。勉強は目だけでなく耳で聞くようにすると憶え易いって、先生が言ってたから。それでも、七の段より上は数字が大きくなって難しいの。
「しちろくしじゅーに。しちしちしじゅーく。しちは……えーと、七を足すんだからぁ、しちはごじゅーろくっと。最後にしちくろくじゅーさん!」
 七の段もちょっと不安だけど、何とか憶えられた。ちょっときゅうけいしよっと。
 お部屋に置いてる、わたしと耶徒音(やとね)ちゃん専用のちっさい冷蔵庫。机から離れて、そこから缶ジュースを取り出してまた元いた場所へ。わたしだけだと少し多いから、耶徒音ちゃんが帰ってきたら分けてあげよう。
 一息ついてまた宿題へ。それから八の段でまた苦戦している途中で、お部屋の扉が開く音がしたの。扉が勝手に開くわけ無いから、誰かが入ってきたんだ。
 後ろを振り向くと、耶徒音ちゃんがぽつんと一人で立ってた。耶徒音ちゃんはとっても赤い。お顔も髪も、ひらひらがいっぱい付いたお洋服は、特に赤い色がべったり付いちゃってて、かわいいのが台無し。
「耶徒音ちゃん、また殺してきたの?」
 耶徒音ちゃんは立ったまま何も答えないで、ただこくんとうなづいた。わたしはやっぱりなぁと思いながら、耶徒音ちゃんの手を引いてお風呂場へと連れて行く。
 ここは二階だから階段を下りて、一階のおじいちゃんとおばあちゃんにばれない気をつけて、こっそりと。
 耶徒音ちゃんのお洋服を脱がせてあげて、シャワーを使って赤いのが無くなるまで洗ってあげる。今日は誰を殺したんだろ? わたしが知らない人だと良いな。好きだったクラスメイトのカシ君が殺されちゃった時は、すごくショックだったから。知らない人だとあんまり悲しくない。
 きれいになった耶徒音ちゃんは、まだすっぽんぽん。だからわたしが服を着せる。耶徒音ちゃんの服は着せるのに時間がかかるから、おじいちゃんたちに見つかってしまわないように、わたしの服を貸してあげる。耶徒音ちゃんが着ていたお洋服は、用意した袋に入れて後でわたしが洗うの。
 わたしの服を着た耶徒音ちゃんは、わたしとそっくり。だって、わたしたちは双子だから。違うのは、耶徒音ちゃんが殺人鬼で、わたしは耶徒音ちゃんの証拠を隠す共犯者。二人はちまたを騒がせる、しりあるきらあなのだって、テレビで言ってた。
 耶徒音ちゃんとお部屋に戻って、ようやく一安心。喉がかわいちゃったから、わたしの飲みかけだったジュースを二人で分けっこ。耶徒音ちゃんは両手で缶を持ってこくこくとジュースを飲む。美味しいと聞くと、こくりと答えてくれる。そうだよね、一仕事した後の一杯は格別だって、死んだお父さんが言ってた。
 わたしはニコニコして、耶徒音ちゃんはむひょうじょうに、向かい合って座りお話しする。お話と言っても、耶徒音ちゃんは昔の事故でおしゃべりができないから、首や手でお返事。耶徒音ちゃんが病気でたくさんのものをなくしちゃって学校にも行けない分、わたしがふぉろーしてあげるんだ!
「周りに人はいなかった?」
 こくり。
「警察の人も大丈夫?」
 こくり。
「今日も一人だけ殺したの?」
 ふるふる。
「じゃあ何人殺したの」
 ぴーす。じゃなくて、二人って意味だね。
「その人たちはわたしの知ってる人?」
 ふるふる。
 わたしの知ってる人じゃないんだ。あー良かった。
 耶徒音ちゃんはだいたい一人か二人の人を殺す。その次は三人。それよりたくさんの人を殺したことはないの。
 後、耶徒音ちゃんはときどき失敗する。失敗しちゃった時は、警察の人がやって来ないかかちょっぴり心配。だけど、これまで失敗してもニュースには出ないし、警察の人もおうちに来ない。べりーラッキーだよ。
「それじゃ今回は安心だね」
 こくり。
「明日もニュースでひがいしゃさんが増えたって出るんだろうなぁ」
 人殺しは犯罪で、やっちゃ駄目なのもわかってる。だけど、耶徒音ちゃんは心の病気だから仕方ないんだ。そして耶徒音ちゃんが捕まるとわたしはすごくさびしいから、わたしは証拠をいんめつして耶徒音ちゃんをかばう。
 そうしていれば、いつかきっと耶徒音ちゃんの病気が治って、また笑ってくれるはずだから。
 耶徒音ちゃんのふぉろーもばっちりだし、わたしは宿題をがんばろうとしたかったけど、おうちのチャイムを鳴らして宿題をじゃまする人が現れた。
「すぐに開けますから、ちょっと待ってくださーい」
 おじいちゃんたちは歩くのが遅いから、いつもわたしがお客さんと初めに会う。
「夜遅くにごめんね。お父さんかお母さん、いるかな?」
「え……」
 とびらの先にいたのは、青い服に金色のマークが入った青い帽子を被った、おまわりさんだった。どうして?
 耶徒音ちゃんは誰にも見つからなかったって。耶徒音ちゃんがわたしに嘘なんてつかない。だから、おまわりさんが来るわけないのに。
 そう言えば、運命はとびらを叩くように現れるって、偉い人が言ってたなぁとわたしは突然に思い出した。
 どうしよう、どうしようどうしようどうしよう! 理由はわからないけど、耶徒音ちゃんが殺したのがばれちゃったんだ。
「えと、その……」
「警察の方が、こんな時間にどうしたんですかね?」
 わたしがあたふたしていると、すぐ後ろにおじいちゃんが。おじいちゃんはおまわりさんを見ると、ビックリしたみたいで、少し早歩きでこっちに来る。
「夜分遅くに申し訳ありません。この付近で人が襲われて、犯人がこの家に入っていったという通報がありまして」
「おうちには誰も来てないです!」
 おまわりさんの質問に、わたしが答えた。とにかくおまわりさんに帰ってもらわないと、わたしのお部屋には犯人の耶徒音ちゃんと、血のついた服が袋に入ってたままで机に置かれてる。調べられたらすぐ見つかっちゃうよ!
「ええ、夜のお客さんは、貴方が初めてです」
「そうですか。ご家族の方は、今日の夜に出かけられたりはしていませんか?」
「はい、皆ずっと家にいます。だからもう帰ってください」
「ごめんね、お嬢さん恐がらなくていいから。別に疑っているわけじゃなくて、この近くに危険人物がいないか、確かめたいだけなんだ」
 どうしよう、耶徒音ちゃんが夜よく出かけているのは、おじいちゃんも知っている。それが実はもうおうちに帰ってるなんて知れたら……。
「ええ。うちの家族は孫の詩都音と私以外には、部屋にいる嫁だけですが、誰も出かけていません。それに爺さん婆さんと、こんな小さな子供では人なんてとても殺せませんし、犯人が入ってくればあっという間に皆殺されてしまいますでしょう」
 え? わたしは心の中でとてもびっくりした。だっておじいちゃんが耶徒音ちゃんはいないと、嘘をついてくれたから。
 きっとまだ子供の耶徒音ちゃんは、お外に出ていても人を殺せないと思っていないことにしてくれたんだね。
 良かった、これでもう大丈夫。ほっと息をはいて、わたしは耶徒音ちゃんのいる部屋の方を見た。本当に入られなくて良かったよ。
 そしてもう帰ってくれるよねと思い、おまわりさんに視線を戻すと――おまわりさんは、安心して気をゆるめたわたしを、じっと見つめていた。
 その目は、何かをつかんだと確信しているようで、本当に恐い。わたしは背中が急に冷たくなっていくのを感じた
「ねぇ、お嬢さん。あの部屋に、何かあるのかな?」
 お部屋はだめ。お部屋だけは、だめ。
 どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
「あう、その……」
 ごまかさないといけないのに、どうしようばかりが頭を回って、言葉が出てこない。何も考えられないよ。
 どうしよう。
「どうしたんだい、詩都音ちゃん?」
 おじいちゃんも不思議に思ったみたいで、わたしを疑っている。このままだとお部屋に入られちゃう。耶徒音ちゃんが人殺しだってばれちゃう。ばれちゃうよ!
「な、なんでもないよ?」
 めいいっぱい考えて出てきたのは、それだけだった。
「申し訳ありませんが、お孫さんのお部屋を少しだけ拝見させてもらってもよろしいでしょうか?」
「あの、もしかして孫を疑って……」
「本当に、念のためですので。これだけ確認させていただければ、これ以上お手間は取らせません」
「あわ、あの、あう」
 そんなの駄目だよ。駄目って言っておじいちゃん!
「わかりました」
 おじいちゃんもお部屋に入るのを許可しちゃった。わたしのあせる姿があまりに怪しいからだ。
 だって、こんなのどうしようもないよ! どうしよう、どうしたらいいの? ねぇ耶徒音ちゃんどうしよう。
「ごめん。すぐに済むから、ちょっとだけ我慢してね」
 わたしはおまわりさんを止められないまま、お部屋の前まで来てしまう。恐いよ、胸が冷たい手にぎゅってしぼられてるみたい。
 泣きそうだけど、それだけは駄目。今泣いたらきっと自分で全部話しちゃうから。
 わたしは何もしゃべれず、ドアを開けた。
 中には、誰もいない。耶徒音ちゃんが、いない?
「それでは失礼します」
 おまわりさんがお部屋に入る。おじいちゃんも後ろに付いて入った。
 わたしはもう頭の中がぐるぐる心はぐしゃぐしゃ。はれつしちゃいそうで、何もできない。
 こわいよ。
 どうして。
 耶徒音ちゃん。
 いない。
 助けて。
 逃げて。
 助けて。
 逃げて。
 でもいないよ。
 どこにいるの?
 耶徒音ちゃん。
「この袋は?」
 おまわりさんが袋を見つけた。見つけちゃった。見つけたよ。見つかっちゃった。中にはそう、耶徒音ちゃんのお洋服があるの。血がたくさんついた、ひらひらのかわいいお洋服。耶徒音ちゃんのお気に入りで、人を殺す時はいつも着ているお洋服。
 取りかえさないと、だけど動けない。泣きそうだから、恐いから。
 何も答えられないわたしを置いてけぼりにしたまま、おまわりさんは、袋の中を確認した。