そのため、思考の中心にいるのは暁拓馬だ。あいつは報告を済ませて主やヴィータ、テスタロッサ達の幼い面々(この中に含まれるとヴィータは怒るだろうが)を引き連れて花火に興じているらしい。
 独特の価値観と精神力を持つ男でありがなら、普段は楽天的な人間の振りをしているペテン師。どれだけあいつが子供達とはしゃぎまわろうが、あの闇の底にいるような雰囲気を纏う、本当の姿を私は忘れない。自分のためだけに無害な他人を破滅させられる者は、紛れもなく邪悪な存在だ。ヴィータという見張り役がいなければ、多少無理にでも花火大会へ行く主はやてを止めていたかもしれない。
 拓馬が語ったトルバドゥール像が本当だと言うのなら、あの男だけでなく、あの組織そのものが信用に値しないものになる。ヴォルケンリッターを集めて情報を整理し、今後の動向について話し合わねばならんだろう。
 主はやてにトルバドゥールの本格的な話をするのはまだ後だ。主はやては拓馬と友好関係を築こうとしている。それは主はやてだけではない。特にテスタロッサは、誰の目から見ても分かるくらいに、個人的な交流を深めていた。
 拓馬の性格に問題があるのは、テスタロッサもわかっているはずだ。それでも一定の信用を築けているのは、一重に拓馬の技術によるもの。何処かに暗い傷を抱えてはいても、根は良い人間だと擬態している。そして、主はやて達はそういった人間を放ってはおけない。拓馬というペテン師にとっては、優しさや慈愛といった感情はまさに“カモ”だ。
 これで拓馬への不信感を説いたとしても、反発される可能性が高いだろう。最悪仲間割れに発展するかもしれない。
 もし運良く主はやて達を説得できたとしても、次は敵対関係が明確になったトルバドゥールがどういった行動を起こすかが問題だ。殺人事件の捜査は混迷しており、少なからずトルバドゥールは事件解決に貢献している。ここであからさまな妨害行動を取られでもしたら、捜査はまた大きく遅延して殺人の犠牲者が増えてしまう。
「付け込む隙を自分から晒しておきながら、踏み込めばこちらが損をする。面倒なトラップだ」
 きっと私達がこの迷路に迷い込むのも、あいつの計算のうちなのだろう。知的よりは狡猾というフレーズが似合う男だな。
 私が一人で溜め息を吐いていると、部屋のドアが叩かれた。この部屋での責任者であるシャマルが来客者に応対する。そうして現れたのは、予想外な人物だった。
「やぁ、シグナム君。少々君の時間を頂戴してもいいかな?」
「問題ありません。黄泉塚輪廻首領……と呼んだ方がよろしいですか」
「フフフ、別に呼び捨てでかまわんよ。堅苦しい肩書きは好きだが、あまり堅苦しい話し方は嫌いでね。楽にしてほしい」
「そうですか。それでは輪廻、ここにはどういったご用件で?」
 輪廻は私だけでなくシャマルにも会話の許可を取ってから、近くにある椅子を私のベッド付近に持ってきて腰掛けた。直接会話するのは初めてだが、なるほど癖の強いメンバーを統率するだけあり、ただ座っているだけで年齢以上の威厳を感じる。主はやてとはまた違った求心力であり、こちらは指導者的なカリスマ性だ。
「せっかくヴォルケンリッターの将と歓談するチャンスではあるが、シャマル君に病み上がりだから手短にと言われたからね。単刀直入に言おう。暁拓馬と二人で肩を並べて戦い、君は何かを感じたかな?」
 ほとんど別々に戦ったため肩を並べた記憶はないし、何かというのも解釈次第で言葉の意味は変わる。だからこそ、私は素直に感じたことを返しておくべきだろう。
「戦いにおける技術と戦い方に、とても独特なものを感じました。まず他の魔導師では取らぬ戦闘手段だと思います」
「君からすれば、かなり気に喰わなかっただろう」
「否定はしません」
 「それでこそだね」と輪廻は微笑する。自分の部下を否定されているという不快感はどこにも感じられず、私の返答は輪廻の予想していた通りだったようだ。
「ならば、シグナム君から見た拓馬君は、どういう人間だったかな?」
 既に好印象ではなかったと告げてしまったのだから、あからさまに言葉選びをする必要もないだろう。
「暗闇に身を潜ませ、虎視眈々と獲物を狙う獣かと」
「ほぅ」
 拓馬は闇に住まう者だ。自分の心という、拓馬だけの闇に。それもただ状況に流されて、闇の中にいるのではない。初めは不幸な身の上からそうなるしかなかったのだろうと思ったし、テスタロッサが拓馬にかまい続けるのも過去が強く結びついているだろう。
 だがそれは間違いだ。拓馬はもう闇に包まれ生きなくてもいいだけの繋がりや、生き残るための技術を持っている。それでもあえて闇中で自分を守るのは、拓馬からしてみればそれが心地良いからだ。
 あれは闇から引き上げようと手を差し伸べても、きっとその手を取らない。そんなものは初めから望んでおらず、あれは闇に自分を見出している。
「私には拓馬が、闇に生きることを本望としているように思えます。与えられた任務さえ達成してしまえれば、後はどうでもいいのだろうと」
「そうかそうか。ならばきっと拓馬君は、シグナム君の心に闇を映し出したのだろうね」
「それはどういう意味でしょうか」
「人の心を読むというのはだねシグナム君。鏡に自分の心を映すようなものなのだよ」
「そう表現されたのは初めてですが、言わんとしていることは理解出来ます」
 トランプのババ抜きで相手のジョーカーを読もうとすれば、多くの人間は相手が自分ならこう考えるだろうと予測する。しかしそれは、回りまわって自分の思考を相手に押し付けているだけ。結局自分の考えでしかないわけだ。つまり、相手をより明確にイメージしようとすればする程に、自分の想像を相手の心として幻視しているに過ぎない。
「ならば話を続けようか。心というものは面白いものでね、隙間の無きように何かを突き詰めていくと、より大きな隙間が生まれてしまう可能性がとても大きい」
「私がまさにその状態だと、言いたいわけですか」
「なに、私はシグナム君を貶めようとしているわけではないのだよ。これは拓馬君が得意とする人心掌握術だ。まず、拓馬君にとっての戦いとは、生そのものであり、絶対に任務をこなすことではないのだよ」
「任務をこなすだけが生存に繋がるわけではないと?」
 生存こそが戦いというのは、藤堂との戦いより前に拓馬自身が語っていた。それを任務遂行と直接結び付けていたが、輪廻の説明によれば、私はどうやら前提を間違えていたらしい。
「普通はそうなのだろうね。だが事実彼は、任務をこなしつつも君に悪意を持った暁拓馬のイメージを植え込んだ」
 輪廻が語る“植え付け”。それはまず偶然ではないのかと考えた。そして拓馬のイメージを払拭するために、輪廻がフォローしに来た可能性はないだろうか。しかし拓馬がイメージを植え込むという手法は、テスタロッサ達の心に映る拓馬そのものにも思える。
「ずいぶんと、人の心に付け込むのが得意な男ですね」
「私は彼のそういう“技”を総称して便宜上、内面鏡(ないめんきょう)感覚と呼んでいる。拓馬君は魔法スキル扱いされているみたいで気に喰わないらしく、この名前は使用しないのだがね」
「心の内側を操る技術……。魔法技術として存在するならばまずレアスキルになるでしょうね。さらに魔法を使用していないのだから、より異常な能力だと思います。正直自分の目で見ていなければ、にわかには信じられないでしょう」
「まさしく自慢の部下だよ」
 自信満々な風貌で輪廻は腕を組み、白い歯を見せてニヤリと笑う。それだけ拓馬という部下を信頼しているのだろう。ならばわざわざ、ここにフォローにきたわけではないと考えるべきか。
 いや、やはり輪廻の心など考えるだけ無駄だ。まさに私は、輪廻の腹積もりを読もうと自分の中にある輪廻を映そうとしている。どうせ私は細かい分析など専門分野外でしかないのだ。ここは素直に情報収集に徹して、考察はカーテン越しに聞いているはずだろう、シャマルに任せるべきだろうな。
 それにしても内面鏡感覚か。相手に映る自分を制御して、相手を自分の意のままに操る技術。下手な小細工よりも、魔力を集中して一点突破を得意とするベルカ式からすれば、とても厄介な技術となる。
 恐ろしいのはこの技術を知っていたとしても、そう簡単にどうにか対策が打てるものでもない。拓馬ならば、こちらにある知識によって手を変えられる。またその対策をとあれこれ考えれば、また新たな思考の沼に捕らわれてしまうわけだ。
 だが、輪廻の来た理由がフォローでないのなら、それはそれでまた疑問が生まれてしまう。
「それでは輪廻はここに、拓馬の技を私達へと説明しに来たということになります」
「その通りさ」
「そんなもの、貴女方にとってはマイナスにしかならない。どころか、拓馬の思惑はこれでズレる」
 拓馬にはこちらが知識を得たことに対する修正は可能だとしても、やはりイレギュラーな事態ではあるはずだ。少なくともイレギュラーに拓馬が感付くまでは、こちらが有利になる。
「だと言うのに、わざわざ実行する意味が分かりません」
 説明が嘘ならば、拓馬のミスを輪廻がフォローするために医務室へ訪れた。内面鏡感覚が真実ならば、輪廻はここで拓馬の能力を広めている。どちらもトルバドゥールという組織から全体から見ても損失としかならない。
 実行するメリットも見当たらないのだから、輪廻の行動は完全に理解不能だ。
「そうさ。これで拓馬君は、大事な一手を潰された」
「だったらどうして? 輪廻に、トルバドゥールにどういった得があるのですか?」
「フフフ、そいつは単純明快だよ。拓馬君の計画が全て順調に運んでしまっては、この事件による彼の成長が物足りなくなる。それは私の成したい計画にとっては、あまり喜ばしい話でもないのさ」
「自分の部下を成長させるために、決して味方と断言しきれない管理局の中で部下の計略をあえて破壊するとは……」
 拓馬にとって大切なものが生のように、輪廻の優先はトルバドゥールとしての計画達成にあるのか。
「チャレンジ精神は大事だろう?」
「私には理解しかねます。それに、貴女がただこの話の真意を隠しているだけなのかもしれない」
「かもしれないね。それは拓馬君らしく言うと、信じる信じないを判断して自分達の答えに繋ぐのは、君達なのだよ。それにやはり、リンディの部下である君達に興味が有り、純粋にちょっとした話してみたかったというのも事実だ」
 証明の手段はないし、わざわざ証明するつもりもない。輪廻からしても、都合よく動けば幸運程度で、そこまで重要ではない案件なのだろう。
 そして輪廻とリンディ提督の間にはライバル意識が感じられていたが、これは気のせいではなかったようだな。私の部下は、ちょっとくらい不利になったとしても、リンディの部下に負けるわけがないとでも思っているのかもしれない。
「さて、伝えるべきは伝えた。私はそろそろ退散するとしよう。それでは貴重な時間をありがとう烈火の将シグナム君」
「こちらこそ、重要な情報提供をありがとうございます。トルバドゥール首領黄泉塚輪廻」
「フフフ、次にそう呼ぶ機会があれば“大首領”と呼んでくれたまえ」
 突然現れた敵組織の長は、十分にも満たない会話だけで小さな嵐を巻き起こし、ごくあっさりと去っていった。私の胸中に、簡単には処理しきれないしこりを残して。
「シャマル、お前はどちらだと思う?」
「私は恐らく、真実だと思うわ」
 輪廻が通っていったカーテンの隙間から、右手の人差し指を顎にあて考える仕草をするシャマルが垣間見える。その表情は真剣そのものだ。
「実際に拓馬君は自分を隠しつつはやてちゃん達に取り入ってる。逆にヴィータちゃんは、拓馬君にはとても強い不信感を抱いているし。人から見た暁拓馬像がバラバラ過ぎるのは事実よ。
 でもだからと言って、全て信用してしまうのも良くないわ。あくまで輪廻さんが話したのは拓馬君の異常な精神性のごく一部だけ。そこから確証の無い空想を広げて過ぎてしまっては、輪廻さんの言う通り、足元を掬われてこちらが絡めとられてしまうかもしれない」
「全体を信じる信じないよりではなく、何を信じて、何を信じず。そこを見極めねばならんか……」
 魔力運用に難がある者からすれば、ただ自分のイメージを操れるだけで生き残れる程に、魔導師の世界は甘くない。力が求められる場面においてさえ、力以外の要素で乗り切るには、一体どれだけの策が必要になるのだろう。
「拓馬には命を捨てているような戦法をあえて選ぶことが、これまで幾度かあったはずだな」
「肉を切らせて骨を断つと解釈すれば聞こえはいいけど、それにも限度があるわ。あんな戦い方をやっていては、命が幾つあっても足りない。どんな魔導師戦の教科書にも、あんな戦法は載っていないし、載せられないでしょうね」
「それでも拓馬のたった一つしかない命は、未だ健在だ」
「彼の精神性は、魔導師とはかけ遠く離れたものだと考えるべきじゃないかしら。少なくとも、彼はトルバドゥールの頭脳役としても機能している」
 魔導師でありながら魔導師としての素質を持たず、また魔導師のセオリーさえも無視して戦う、とんだ捻くれ者。あいつがもっと分かり易くいっそ騎士ならば、ここまでトルバドゥールという組織の扱いに困らず済むだろうに。
「だとしたらあいつは何者なんだ?」
「……ペテン師?」
「そのままだな」
 思わず軽く身体の力が抜けてしまった。人を糸を手繰るように振りまわして、翻弄するがペテン師の本領ならば、私がこうなっているのも致し方ないのかもしれない。
 だが、操られるだけで、流されるだけで終わると思うな。
「だけど、他にも入手できた情報があるじゃない」
「それは何だ?」
「トルバドゥールという組織は、一つだけの意志の下で動いているわけじゃない。拓馬君と輪廻さんの行動にズレが生じているように、トルバドゥールは一枚岩ではないわ」
「そこに我らが突くべき隙があるというわけか」
「ええ。簡単でないでしょうけど、そこを狙ってみましょう」
 我らヴォルケンリッターが主はやてを守護するために存在する騎士である限り、奴等の好きにはさせん。
「ああ。必ずあいつらの本性を暴きだしてみせる!」