私は負けたのだろう。藤堂にではなく、自分に。
 不良と藤堂が揉み合い、銃が暴発して私が撃たれた。これはいい、誰を攻めるべきでもない。対処できなかった責は私自身にある。
 問題はその後だ。
 藤堂の暴走。五体を金属化させて、藤堂は自我を喪失した。
 私が話しかけてもまるで話が通じず、手がつけられない。それでも無理に話そうとした結果が、返り討ち。おまけに意識まで途切れてしまうとは、情けない話だ。
 結局これも私の甘さが招いたもの。あれの危険性など、恋馬でわかっていただろうに。
 非常勤の講師であれ、守るべき生徒だからと剣を抜かなかった。その時は正しいと思っても、そんなものは甘えから来る緩手でしかない。私が騎士であり藤堂が狂気に当てられた犠牲者である限り、救いたいなら戦って救うしかないのだ。聖人でもないというのに、話し合いだけで理解しあえるなんぞおこがましい。戦場で半端な覚悟なまま平和を説くなど、私らしくもなかった。不覚悟なまま戦いに挑んでしまうとは。
 次があるならば、今度こそ自分のやるべきを見失わず、私は騎士であり続けると誓う。
 そしてその次がきたのは思うよりもすぐで、私の意識を闇の底から引き上げたのは、魂の鼓動さえ感じる程の大絶叫だった。
 混濁した自我と視界の中では、初め誰が声を上げてるかなどわかるはずもない。そのため藤堂が誰かを襲っているのではないかと、思考のまとまらないままに危惧したりもした。だがそれはすぐに間違いで、私が真に心配すべきは方向性が違っていたのだと悟る。
 復帰しつつある意識で私が見たものは、拓馬に嬲りものにされている藤堂だったからだ。
 拓馬の見下ろす先で、人を包み込める大きさの業火に焼かれている。その悲鳴の大きさから、まず非殺傷の攻めではないだろう。
 それは戦いと称するにはあまりに一方通行な暴行で、不良に虐げられている姿と何も変りはしない。むしろ命の危険がずっと増えているために、より残酷な行為ではないか。
 藤堂の叫びは、生を求めてのものだった。
 止めさせなければ。そう頭で考えても、身体がついてこない。動かないわけではないが、鉛を背負っている気分だ。藤堂から受けた打撃は予想以上に身体を蝕んでいる。それに銃撃されてからの出血も影響も無視できない。
 ぐずぐずしている内に、状況は悪化の一途を辿るというのに!
「……っくそ」
 私を受け止め歪んだ柵から、肘を支点にして身体を起こす。それだけで体内で小さな爆弾が破裂したように、上半身へ激痛が駆け回った。一体何本の骨が折れたのだろうか。口内に広がった鉄の味が、内臓の破損を報せている。
 こうしている間にも、拓馬の猛攻は続く。そこには容赦も魔導師としてのモラルも無い。
 倒れた相手の顔を何度も踏み潰し、着実に深刻な損傷を与えていく。あからさまなやりすぎ。拓馬は殺害をも視野に入れているはずだ。もし生き延びても、深刻な後遺症がおきる可能性だってある。
「ぐぁっ、こんなもので!」
 自然とそう口をついていた。そうだ。行かねば、藤堂の下へ。また手遅れになる前に。
 全身が重く鈍い? 動け! 泣き言を言う暇などはないのだ。
 私が受けた傷など、今藤堂が味あわされている拷問に比べれば微々たるものだろう!
「うぐぉ」
 立ち上がった。立ち上がれた。
 視界がブレる。それに合わせて吐き気も催す。
 だからどうした。まだ立っただけだろう。
 一歩を踏み出す。頭痛が酷い。
 だがそれだけだ。歩けている。
 二歩目。三歩目。四歩目。問題ない進め。
 人を見つけた。藤堂と銃を取り合っていた不良だ。
 失禁しているのか。突然常識の枠が取り外されてしまったんだ、無理もない。
「すまない。すぐに救助するが、もう少し大人しくしていてくれ」
 助けてやりたいが、まずは藤堂の救助が優先だ。仲間から犯罪者を助ける経験などするとは思わなかったな。
 拓馬に蹴りを浴びせられているが、もう寝転がってはいない。
 これは却って危険だ。執拗に転倒させながらの攻めにこだわっていた拓馬が立たせたということは、決着をつける気かもしれない。
 急げ。
 まだ走れるまでは回復していない。
 急げ。
 気を抜くと足がもつれそうになる。
 急げ。
 もう時間がない。
 急げ。
 急げ。
「急げ」
 追いつくために、飛行魔法を発動させた。
 浮く。そして疾走。
 急な加速で視覚がさらに歪なものとなり、動きも定まらない。構うものか。
 藤堂が殴打により視界を一時的に潰され、拓馬は手に何かを仕込む。
 予感が現実になりつつある。
 やらせない、絶対に。
「やるぞ相棒」
≪後方からの急接近者有り≫
 届いた。
 飛行を止め、投擲するように後部へ下げた拓馬の手首を捕る。
 次いで拓馬の振り向き様に殴った。加減はしていないが、それ以前にほとんど力が入っていない。
 それより、大事なのはまだまだこれからだ。拓馬ではなく、私が藤堂を止める。拓馬を制止させたのは始まりでしかないのだ。
「どういうつもりだ、貴様……」
 これまでの行動を問い詰めるにも、拓馬は無表情を徹底し答えようとしない。拓馬にあるものは私への侮蔑か、それとも自分の策を邪魔された怒りか。
「ふらふらじゃないか。そんなんでよくもまぁ」
「何のつもりだと聞いている!」
 拓馬の考えなどどれでもいいが、ここに至って眉一つ動かさない。感情を捨て去ったような態度が気に障る。この男にとってあのやり方は、わざわざ私に問いただされることでもない行為とでも言いたいのか。
「効率重視で、戦闘を進めていただけだ」
 拓馬からしてみれば戦い方など二の次に過ぎない。まずは勝つ。それが何より重要なのだろう。
 勝利のためなら自分の命まで捨てられる男だから、他人の命を捨るにも躊躇いを見せない。
 藤堂がこれまで味わった恐怖、痛み、絶望。拓馬からすれば、そのどれもが任務遂行の邪魔にすらならないのだろう。それはこの戦いだけではない。ここに至る経緯までも含め、藤堂の味わってきた感情を断片的にでもあれは知っている。その上で、だからどうしたと私へ返した。
「そうか。ならもういい」
 拓馬を押しのけて前へ出ようとする私を、拓馬が呆れ顔で制する。
「おいおい、大人しく退いてろよ。そのまま戦われても迷惑だ」
 拓馬と言う男は優秀だ。通常のデバイスと比べてリスクが高く扱いにくいというのに、あれだけ藤堂を手玉に取っている。それも一重に、暁拓馬という人間があの年齢で濃密な修羅場を潜ってきたという証明に他ならない。
 恐らくはエースクラスの危険な任務を与えたとしても、拓馬は手持ちの札を巧みに切ってこなしてみせるだろう。それが拓馬の才能だ。
「藤堂とは私が片を付ける。貴様にはもう頼らん」
 だがそれだけ。拓馬は修羅場を突破することはできても、人を救えない。誰かのためには戦えずに、自分の都合を最優先事項として考えている。
「こいつはもう頼る頼らないの問題じゃない」
「私には貴様のやり方が気に入らない。それだけだ」
「気に入らない? だからどうした。大事なのは」
 この事件の加害者は、同時に心を操られた被害者の可能性があると述べたのは拓馬自身だ。真っ先に気付いた者が、誰より容易く被害者を蹂躙している。それを見てみぬ振りするなど、できるものか。
「大事なことは、藤堂を救うことだ!」
 だから私は、拓馬の言葉を遮り言い放った。
 これでいい。そのために私は立ち上がったのだ。
「倒すでも、まして殺すでもない。救う魔法か。面白い」
 そう呟いて、拓馬が自分から一歩退く。それを私は、これ以上の邪魔はしないという意思表示として受け取った。
≪宗旨替えか?≫
「まさか。俺が俺であるように、シグナムがシグナムであると、本質をこの目で確かめさせてもらうだけだ」
 拓馬はあからさまに何かを狙っている、だとしてもそんなもの知ったことではない。私は藤堂を救う、救ってみせる。
 ようやくまた藤堂に面と向き合えた。さっきは説得しようとした悪足掻きだったが、もうそのような甘さはない。敵として、倒しあう相手としての対立だ。
「ウグルルルルルル」
 唸り威嚇する藤堂は、その姿も相まって猛獣のように見える。
 先の対峙ではまだギリギリ会話は可能だった。それが膨れるだけ膨れて膨張しきった怒りで、もう人間らしい意識があるのかすらも怪しい。これもきっかけは長年の心ひずみだが、ここまで追い詰めたのは拓馬だろう。
「来い藤堂。お前の怒り、私が受け止めてやる」
 私はレヴァンティンを鞘から抜き出して身構え、藤堂へとそう宣言した。まずは感じよう。藤堂の力と心を。
「ウオオオガァァァ!」
 私の言っている意味は理解できなくとも、私が戦闘態勢だとは奴の本能が察知したようだ。
 藤堂は半身が後方を向くまで捻り、狂気にまで達した激高を私へと激突させる。
 私は退かない。真っ向から受けとめよう。鞘を拳に合わせて掲げ、その上からさらに防御魔法を展開して受ける。
「ぐぁがっ」
 藤堂が抱える心の闇は、私に有りもしない天井が、高速で落ちてきた錯覚を覚えさせた。
 シールド魔法だけで抑えられる爆発力ではない。鞘もだ。これでも幾多の敵から私を守ってくれたのだがな。
 停滞を知らぬ凶器は鞘を掴んでいた手甲にぶつかり、金属同士がぶつかり火花と鈍音が鳴る。
 そして衝撃は、私自身の肉体へと響いてきた。身が沈み、脚が地面を踏んだまま砕く。緩衝材を経由しても、ここまでの破壊力を秘めているのか!
 だがまだだ。これで倒れるわけにはいかない。騎士として、私が私を貫くためにも。
「ゴアアアアア!」
 巨拳はなおも私を押し潰さんと、圧力をかけ続ける。私は藤堂の心の叫びを浴びた気がした。“これ”が藤堂なのか。なんて強く重い。そして悲しい想いだろう。
 藤堂の原動力は恐らく怒りだ。虐げられてきた恐怖からの怒り。誰かを巻き込んでしまいあまつさえ私という犠牲を出した、己の無力感への怒り。そして“これ”が産まれてしまった。ここまで至ってしまった人生の、不条理に対する怒り。
 直接藤堂から聞いたわけではないが、藤堂という人間と触れあい、現在(いま)の威力を直接受けた私はそう感じた。科学的な根拠など全くない。それでも、藤堂の無念を私の心が理解できた気がした。