君の前に道はない。
 君の後ろは火の海だ。

          ●

 時空管理局の会議室。そこに俺はいる。
 特に豪華な装飾があるわけでもない内装で、全体的に少し薄暗い。
 明かりは天井からでなく、床に設置されたライトが照らしているから、明かりが全体に回っていないためだろう。
 天井と壁には、金網やらパイプ類がひしめいて無機質さが強調されおり、ここが戦艦内部だと自己主張しているようだ。
 戦艦内部の一室なのだし、こんな場所の内装に金をかけるべきでもないのだろう。当然といえば当然なのかもしれない。
 時空管理局との合同ミーティングを終えて、俺は大きく伸びをする。
 組んだ指がぽきりと鳴った。ただ座っていただけみたいなものだが、これだけで学校生活の貴重さがよくわかる。
 時が金ならば、教室の机に突っ伏し過ごす時間のどれだけ贅沢なことだろうか。
 昼休みを終えた午後のまどろみという名の裕福を、俺は忘れない。
 そのために、こうして退屈な非日常を背負いながら生きているのだから。
 周りを見渡すと、すでに出席者の半数が席を立っていた。
 俺もさっさと出てしまおうと腰を上げる。と、そこへもう見慣れた金髪ツインテール美少女が俺のそばまで接近。時空管理局で妹にしたい子ナンバーワン(俺の脳内調べ)ふぇいふぇいだ。
 フェイトは、興味のない会議で疲弊した俺の心を無償で癒す微笑みを浮かべてくれる。嗚呼、なんて素晴らしい少女なのだろうか。一家に一台配給されるべきだ。
 国は何をやっている。定額給付金の前にフェイトをばら撒け。
 いや、あれでエロゲー買ったから文句言える身分じゃないけどさ。
「たっ君、お疲れさま」
「おふはれふぁまふぇひほはん」
 挨拶と欠伸が被ってしまった。とりあえず手の甲で目元をこすって涙を拭う。
「疲れが溜まってきてるみたいだね」
「単に退屈だっただけだよ」
 最近、昼間に行うミーティング関係が増えている。
 昼飯食べたらよくアースラに集合しての話し合い。内容は言うまでもなく、海鳴市連続開始事件について。
 未だ犯人が捕まえられないと言うのもあるだろう。
 しかし、鴉に始まって、蛇にロボに炎。立て続けに起きた戦闘が管理局側の緊張感を煽っている。
 危険人物を複数街に放置している状態だ。連続殺人犯だけでなく、こいつらの同類もいつ一般人を傷つけるかわからない。
 関連性があるのはもう間違いないと言えるのに、一番大事な二つを繋ぐ線が見えていないことも、不穏な空気に拍車をかけている。
「大事な話をしているんだから、ちゃんと真剣に話し合わないと」
「そうは言っても、堂々巡りで出口が見えてないだろう?」
 時空管理局が行っている、メガネ達の身体調査もあまり上手く行っていない。
 元々リンカーコアにはまだまだ未知の部分がある。
 試験対象が人なので易々とブラックボックスに手を突っ込むわけにもいかず、恐る恐る覗き込む感じだ。
 しかしこの田代ごっこで得られたものは、今のことろ何だかよくわからんけど何かあるという、そんなことはとっくにわかっていますという結果のみ。
 そのため捜査は行き詰まり、皆揃って路頭に迷う。せいぜい犯人が出没した位置を絞って、巡回のコースを設定し直すくらいしかない。
「だからこそ、みんなで協力して解決する方法を探しているんだよ?」
「フェイトは良い子だなぁ」
 やる気を見せない俺にフェイトは口を尖らせた。
 ごまかすために俺は立ち上がり、フェイトの頭を撫でる。
「え……?」
 驚いたフェイトはとっさに身を引いた。
 親しくない人間との接触に、人は抵抗を覚える。特に女の子は、髪に触れられることに大きなストレスを感じることが多い。
 だから俺とフェイトの中途半端な間柄では、不意打ちに頭を撫でるとまだこうなるわけだ。
「うー、うー」
「あの、そのごめん。いきなり撫でられてびっくりしちゃったから」
 フェイトに避けられたショックから、どこぞのオカルト大好き小学生のような口調で不平を荒げると、フェイトは申し訳なさそうに謝る。どう考えても悪いのは俺だけど。
 アンニュイなフェイトもそれはそれでかわいいし、ごまかせたら良しとしよう。
「冗談だよ、そこまで気にしてないから。行こうか」
「うん、ありがとう」
 フェイトの精神を立て直して、会議室から出る。
 歩きながら、フェイトに今からの予定を聞かれた。
 円との待ち合わせがあるので翠屋に行くと答えたら、翠屋までフェイトも着いてくるらしい。
 円がやってくるのは俺より三十分程後くらいで、それまでは俺と話がしたいと言う。こちらも断る理由が無いというか、大歓迎で即快諾だ。
 フェイトはよく俺と話そうとしてくる。昨日は誰と何をして遊んだとかそんな軽い世間話から、俺の持つ傍から聞けば特異な価値観の話まで、幅広く。
 俺は非日常の中にある僅かなメリットを活かすために、それによく付き合う。
 フェイトはフェイトなりに俺を評価付けしたいようで、まずは俺という人間を知ろうとしている。
 それに意味がないとは言わない。だけどかわいそうに、その目論見は失敗している。それもかなり致命的に、だ。
 フェイトのやりたいことはわかっているのだから、自分の都合が良いよう詐称するのは難しくない。
 評価と言うからには高低が存在する。基本的に真っ直ぐなフェイトの望む回答を予測するのは簡単なので、後は高過ぎて俺らしくないと思われない程度に、フェイトが喜ぶアンサーを返せばいいわけだ。
 つまり俺が映すのは真の俺ではなく、フェイトが望む俺であり、虚像でしかない。
 母親が愛する自慢の息子は、母親の中にある息子なのだ。
 フェイトも円も、全然その事実に気が付いていない。あー俺って悪党だなぁ。
「あら、今日はフェイトちゃんとデート? あんまり他の女の子と仲良くしちゃうと、円ちゃんが妬いちゃうわよ」
 そう言いながら桃子さんが、なのはと同じ栗色の髪を揺らしながら注文を取りにやってきた。
 嫉妬がどれほど恐ろしいか、それはもう叶で泣きそうなくらい味わっている。というか円と二人がかりで泣かされた。
 よく知っていると思っていた子の、意外で過激な一面。
 円は元々過保護だ。それはつまり子供の独占欲が強い母親なのだとも、あれで学んだ。
「本命はフェイトですから」
「あらあら、フェイトちゃんも隅に置けないわね」
 本妻と言おうとしたが、それは流石に引かれそうなのでやめておいた。
 案の定、桃子さんは口に手を当て笑う。こんなたわいもない嘘を本気にするのは一人だけだ。
「あ、え、え……? えええ!?」
 驚いたかと思えば、発火して俯く。見えないがテーブルの下ではスカートをぎゅっと握りしめているに違いない。
 もう少しイジりたいけど、注文を済ませないと。
「その、私まだ、そう言うのはちょっと……」
 フラれたー!
 マジレスのカウンターは、思いのほか強烈だった。
「あらら、フラれちゃったわね」
「マスター、もう一杯!」
 こうなればもう自棄酒という奴だ。ここ、アルコールないし、俺高校生だと知られてるけど。
「まだ何も頼んでないわよ?」
「あの、まずはお友達から」
「俺達の間柄って、何だっけ?」
 そんな平穏チックなやりとりの後、真実を知ったフェイトにそういう冗談は辞めて欲しいと真面目に怒られるが、お詫びにケーキセットをご馳走してまた難は逃れた。未だにちょっと膨れっ面だが、生クリームによる完全懐柔まではそう時間もかかるまい。
「それでねたっ君、最近ヴィータの様子が少しおかしいんだけど、何か身に覚えはないかな?」
「デートと思いきや吊し上げが目的だったとは」
 とんだハニートラップだ。俺の千円を返せ!
 まだ払ってないから食い逃げしてフェイトに払わせるのも可能だが、実行すると社会的に抹殺されそうなので、ここは泣き寝入りするしかない。
 俺も社会的地位に縛られる、現代社会の歯車なのだよ。
「そうじゃなくて普段はいつも通りなんだけど、たっ君の話になると目の色が変わるというか」
「ついにデレ期到来ですか?」
「デレ期? すごく目つきが悪くなるんだけど、それと関係があるの?」
 ツンドラだった。それ通り越してツンギレかもしれないけど。
 どちらにせよ、俺が蒔いた種はしっかり発芽しているようだ。
「あのツンデレハンマー娘には妙に嫌われているからな。あいつとは馬が合わないようだね」
 ふっふっふ、彼女は俺の手で踊らされているのさ。白状なんてしないけどな。
 ヴィータ自身も俺との会話をカミングアウトはしないだろう。
 ここでトルバドゥールの悪評を流しても、連携に不協和音をもたらすだけ。それに少なくともフェイトが反発するのは目に見えているから、最悪内部分裂の恐れまである。
 ただでさえ事件が行き詰っているのに、そんな火薬をあえて発火させるわけがない。ならば、あいつはあいつの機を待っているはずだ。
「またデレ? それってどういう意味?」
「普段はツンツン尖った態度だけど、好きな人の前だとデレデレになる子をそう呼ぶんだよ」
「あはは……」
 フェイトにもデレヴィータについて思い当たる節があるようで、否定はしないで苦笑する。
 最近は中途半端にデレ率が高いイージーツンデレが氾濫しているが、あれは駄目だ。そんな安っぽいツンデレはツンデレというブランドを腐らせる。
 ツンデレをツンデレと言うだけで甘やかしてはいけない。その甘やかしが昨今の品質低下を招いたのだから。
 ツンデレが流行りだした頃に誰かが言っていたツンデレの黄金比、ツン三とデレ七なぞ人受けは良いかもしれないが、その本質は安物。某武術家のように敵を剣山にする勢いのツンでないと、その後の手料理デレは真価を現さない。
 他のツンデレも、ヴィータのような徹底したツンとデレの緩急具合を見習うべきだ。
 ツンデレの本質はギャップ萌え。普段は見せない仕草だからこそ常軌を逸する破壊力を生みだす。
 そのため、ツンデレは一日にしてならず。大事な人と同じ時を過ごしながらも、自分のプライドから素直になれないやきもきが、デレを際立たせる。ツンデレがまだメジャーではなかった頃、幼馴染キャラのツンデレが多かったのはそれが理由の一つだろう。
 ツンという溜のないデレでは、萌えのカタルシスはもたらされないのだ!
「どうしたの?」
「何でもないよ。そして俺との仲も、ヴィータのツンデとは関係はないから」
 危うく声に出してツンデレを語るところだった。
 そして俺はそんなにツンデレが好きじゃない。たまにしかない爆発的な一撃より、常習的な萌え供給の方が心に優しいし。平穏的だ。
「たっ君はちょっと変わった部分があるから、ヴィータとは合わないのかもしれないね」
 君もたいがい変わってるけどな。だがこれを人に言うと、いつもお前が言うなと返される。
 失礼極まりないよね。こんなモブキャラ一直線である俺の何処が特徴的だというのだろうか。
「ヴィータは周りに対してひねくれる部分はあっても、大事な部分はストレートだからな」
 どうでもいい部分はストレートにボケ倒しても、重要なパートで物事をねじ曲げる俺では合うわけもない。
「それから、ヴィータに正義って何かとも聞かれたんだけど」
「正義ねぇ」
 あいつまだ正義を考えているのか。
 本郷の暴走は、他人の正義は自分の正義と信じて疑わないという偽善。それについての反発か?
 もしくは俺の定義、正義は綱渡り論に引っかかりを覚えたというのも考えられる。