人生でここまで1本負けを連発させたのは、これが初めてだ。
 なんかもう、面白いくらいにばんばんあたる。集中? デキルワケナイダロ。
 どうしてだ、なんであいつがいるんだ。
 希咲はずっと前に引っ越した。もう会わないし“会えない”はずだ。
 今頃名前も知らないお嬢様学校でお堅く生きてると思っていたのに。硬度は想像通りだけど。
 それが何をどう経由したのか、うちの妙に変人が多い以外は何の変哲もない高校で、あの頃と変わらず竹刀を振り回している。
 そして強い。初日から実力チェックで女子を全員退けてやがる。
 この剣道部は女子の人数が少ないというのもあるが、連戦の負担をものともしない。
「良い女だよなぁ。恋の炎が盛りまくるぜ」
 盛る意味が別方向にシフトしていそうな先輩様が、俺と並んで新入部員を舐め回すように観察している。
 俺は緊張と過去がフラッシュバックして、嫌な汗が吹き出ているけど、真紅先輩は生き生きとして楽しそうだ。
「そうっすね」
「んだよ、テンション低いぞ。恋しろ、そして燃えろ」
 同じ目標を追っかけてどうすんだよ。
 以前の問題に俺はそんな気ない。希咲と付き合うくらいなら鏡と付き合った方が精神的にまだ優しい。待て、やっぱこっちもない。
「さーせん、ちょっと学校の怪談並に冷え込んでるもんで」
 再会のシーンは幽霊を見るのに近い気分だった。
 血の気が引くのを感じて、真夏の剣道場が北極に変わったのかと錯覚してしまうくらいに。
「知り合いかと思えば、全然会話しない。お前らどういう関係なんだよ?」
「昔、ちょっと」
「むぁさか、元カノくぁぁい!?」
「断じてノゥ!」
 裏返った声で奇声を上げながら、掴みかかられた。
 どーにもかなり本気らしいな。夏休みが終わる頃には、灰になってそうだけど。
 俺が知る限り、あいつが笑いかけた男なんて親父さんくらいだぞ。
 小学生も低学年からこうだったんだ、きっと立派な鉄女として成長しているだろうな。胸も平原に近いし。
「だったらどういう関係かはっきりさせろぉ」
「そこ、真面目にやれ!」
 シグナム先生が、怠慢をむさぼる生徒に指差してお怒りだ。俺達に決まってるけど。
「サー、イエッサー! さ、お稽古と恋の続きだ、修一君!」
「続けるのは練習だけにしてください」
 先輩はこっち側も燃えに燃えてらっしゃるようだ。
 そういえばちゃんと面を付けてる。いつも先輩は面を付けるまでに結構ごねる。お気に入りのウニヘアーが乱れるのが嫌なようだ。なんで剣道でそんなけったいな頭してるんだ?
 ここの剣道部はかなりマジだ。でないとシグナムさんを呼んだりもしないだろう。数年前にも全国で活躍したかなり強い選手がいる。その人もたまに練習を見に来るらしい。
 その人が真紅先輩にとっての目標だと言っていた。どんな豪傑さんだよ。
 俺も一度会ってみたい。だけど本気の手合わせはできないだろう。しょせん表の道を歩く人なのだから。
 昼休みに入ったら逃げよう。世界の果てでも何でもいいからまずは逃げる。
 ……予定だったが、いがぐりが俺の背中を刺して逃亡を防がれた。そして献上された。
 刺されたのは嘘だが、練習終わったばっかでいつ髪をセットし直したんだよ。
 真紅先輩は俺を餌にして、希咲へと接近したかったわけだ。
 最大級のトラウマが、時を越えて再び俺の前に。緊張で空腹も感じやしねぇ。
 じっと見つめ合う二人。片っぽ白黒、もう一方は冷薄に尖っておられる。
「しばらく合わないうちに、ずいぶんと堕ちたものだな」
「うぐ……」
 これが拓馬の言っていた養豚場の豚を見るような目って奴か。
 お肉屋さんに並ぶのねってより、お肉やさんに並べてくれるわ! って感じだけど。
「あれだけの醜態を晒しておいて、悔しそうな顔一つしない。さぞかし負け慣れているんだろうな」
 なんかすげー勘違いされてない?
 しかし、お前を見ていて負けたんだよなんて言いえる空気でもねぇぞ。むしろ相手が希咲なら蔑む要素が増えるだけだよな。
「それだけじゃなく、だいぶ女子に色目を使っているようだな」
「はい?」
 お前もこの短時間にどんなけリサーチしているんだ。
 でもこっちは事実だし、言い返せないぞ。
「お前が私をジロジロ見ていたので、気にかけていた他の女子が気を付けろと教えてくれたんだ。女に見境のない種馬男だとな」
「種馬って……」
 見境くらいはある。むしろ面食いだし。
 それより、俺に対する女子の評価ってそこまで低いのか!
 思いもよらない事実発覚だぜ。このまま石にでもなりそうだ。むしろ石化してこの拷問タイムを流してー。
「まーまー、こいつは思いがけない旧友との再会に緊張して、ヘタレちまってるんだよ」
 ここで真紅先輩のフォローが入った。けど、ヘタレって。
 連れてきてるのあんたなんだから、本来はもっとやれる奴なんだよくらい言ってくれてもさ。
「ま、そんなことより飯行こうぜ。俺が案内してやる」
「ご勝手にどうぞ。私はお弁当がありますので」
「弁当なら食堂でも食えるぜ」
「そうですか」
「おしおし、ならば最高の昼食スポットまで恋の道案内だ!」
 あ、俺のフォローはやっぱりランチに誘うついでなんだな。
 ていうかもう要はないと言わんばかりに俺を背を向けて、希咲サイドへまわった。他の女子も何名か希咲へ付随する。
 希咲と交流を深めようとする奴、真紅先輩と昼を一緒にしたい奴もいるようだ。
 頭の形状(内外両方)に問題の認められる人だが、全国レベルの強豪だ。やはりそこそこ人気もある。
 あの人は彼女がいなかったわけでもない。誰とも一ヶ月以上保たないだけだ。
 希咲が去る。俺に残ったのは、安心と喪失感。
 だから自分でも訳がわからないまま、言葉という手を伸ばしてしまった。
「俺は、もう会うとは思ってなかったよ」
 ただ一人佇んで意味心なこと呟く俺に、皆が振り返る。
 希咲だけが背を向けたままだ。もう俺など見たくもないと言うように。
「私はもう一度お前に会うためにここへ来た。とんだ無駄足だったっようだがな。こんな自分への失望は、あの日以来だ」
「え……?」
 会うため? あれだけ最悪な別れをしたってのに、今更会う理由がどこにあるんだよ。
 俺はお前を――殺しかけたんだぞ?