激闘だった。ここまで生き延びた俺を褒めてやりたい。
 けど、もう駄目だ。俺ごときではどうしようもない。
 じゃんけんという最も民主的で、最も不条理な戦いを制した円が、先に数学の講義を開始する。
 叶が暴れるかと思ったが、基本的には真面目な子だ。本来の目的である俺の勉学を邪魔するようなことは、一切しない。
 大人しく俺の横で円の教え方を見学していた。
 でも叶の視線が怖い。まさしく無言の圧力だ。
 昼食は二人前食べた。円と叶が二人で別々に俺の料理を作ったなんてのは、言うまでもない。
 またどちらを先に食べるかで戦いの火蓋がきって落とされかけたが、こちらはバランスをとるために叶から食べた。
 どちらが美味しいかを聞かれなかったのは、不幸中の超幸いだったと思う。俺の周囲にまき散らされるプレッシャーで味の判別能力は大幅に低下していた。
 平常通りに機能していても、アンサーなんてできるわけないんだけどさ。
 昼食後もまだ円のターンだった。
 夏休みの宿題は終わって交代かと思っていたら、何故か予習が開始されてしまう。確信犯だよこの子!
 叶をなだめつつ円を説得しつつ、数学の予習を終えた頃にはもう3時。
 また一人前にはいささか多量に用意されたおやつを、涙目になりながらありがたくいただいた。
 円はアップルパイで、叶はケーキ。どっちも手作りで円い。
 いつもなら円に無理して食べるなといわれるのに、今日はじゃんじゃん切り分けられたものが皿に置かれた。
 男の子だもん、たくさん食べるよねっとか言われても、その前にヒューマンとしての限界値があるのだけど。そこはどうやら見落とされてしまっているらしい。
 そしてようやっと叶の出番が訪れた。
 予想通り円は帰らず、自分の宿題をやりつつ見張っている。前門と後門の猛獣が入れ替わっただけである。
 食料の詰まった胃袋になおストレスが詰め込まれ、そのうち破裂しかねない。
 鍛え上げられたはずの精神力が音を上げそうになりつつも、少し早めに一人前かける二の夕食を摂取し、数時間後に迫ったいつもの夜間散歩に備える。
 さぁさ、ここで大問題の発生だ。本日は割と大人しかった叶が大反撃にでた。
 まずは俺が叶を帰らせてバイトに行くと言ったところで、叶が俺と同じアルバイトをしていると暴露。
 ペテン師の虚構は画鋲で貼っただけのポスターくらい簡単に剥がされた。
 円さんはさぞご立腹。誰かに土下座なんて久しぶりだ。
 私も同じバイトをすると意気込みまくりの円を、もう募集していないんだよとひたすらなだめる作業に没頭する。
 俺が全力全開で頭蓋骨に詰まったパーツを稼働させていると、叶が布団を敷いていた。ちなみに俺のだ。
 基本一人用の布団に、枕だけが二つある。
 本人曰く、バイトから帰ってからできるだけすぐ休めるようにだそうだ。ここホテルじゃないんだよ?
 数分後、枕が三つに増えた。
 いや、俺もう台所とかトイレを寝室に使うから。
 無理無理無理無理。無理なもんは無理なんだ!
 十秒後に核爆弾落ちてくるから処理しろと指令されるくらいに無茶。
 輪廻さんに年増上司と叫んで逃げきる勢いで無謀。
 一糸纏わぬのフェイトちゃんを目の前にして、一晩触れずに過ごせと言われるレベルで不可能。
 要するに無理だ。
 そう言えば時空管理局から緊急通信がきていたのに円説得が先だと言うことで無視してしまった。
 しまった、貴重な避難先が!
「あ、着替え下着しか持ってきてなかったです。えへへ」
 だったら帰れよ。えへへで流して良い話じゃないだろ。
 今日こそはこの蛇に補食されてしまうのか!?
「な……! じゃあ私も下着以外忘れたことにする」
 何を言ってるんだ、このお隣さん?
 貞操観念が強い設定をここでブレイクしないで!
 いや、顔は真っ赤だから、ものすごく恥ずかしいんだろうけど。
 円ったらそこは止めるところであって、張り合う部分じゃないからね?
「私の拓馬さんを誘惑しないでください」
「それはそっちでしょう! いきなり破廉恥なこと言い出して。たっ君は私がお世話しているんだから御堂さんはいらないの!」
「それなら今日から私が拓馬さんのお世話を全部します。だから貴女こそ引っ込んでて!」
「あのぅ、俺の所有権を勝手に俺以外に移さないでいただけませんでしょうか?」
 また始まったよ。勉強で溜まった鬱憤も含まれているんだろうなぁ。
 どっちが勝利するだろうか?
 引き分けが最も危険だ。一人用の布団に下着だけの円と叶に挟まれて寝るなんて、虐め以外の何者でもない。
「たっ君は黙ってて!」
「拓馬さんは黙っててください!」
 とてもくっきりはっきりとしたデジャヴだなぁ。
 俺の人生はここまでかと思われた時、一筋の光明が現れた。
 電話だ。電話さんが俺に労働をご所望しておられる。携帯電話にかかって来たのは、修一。
 これで上手いこと話し合わせてもらって、外泊できる!
 俺は意気揚々と通話ボタンをプッシュ。そのワンボタンで未来の架け橋の作るのだ!
「はい、もしもし拓馬だけど」
『シグナムさんと間接キスし損ねたあああああああ!』
「知るかこの素ボケ野郎おおおおおおお!」
 ぷち。プープープー。
 会話時間三秒。何をやっているのだろう、俺は?
 ここから再度緊急で輪廻さんに強制呼び出しされるまでに、俺は同い年の女の子へ、一日に二度土下座を達成したのだった。