「終わったね」

 いきなり俺を突き飛ばしてから、ずっと馬乗りのまま動こうとしない少女にそう声をかけた。
 俯いて表情は見えないが、ぽろぽろと零れてくる雫と、時折聞こえてくる嗚咽から動かない理由は分かってる。どうしたもんやら……。

 結局、砲撃に襲われることはなかった。最終形態で威力を上げた分チャージ時間が延びたのか、全く別の理由があったのだろうか?

 理由は今となっては分からないし、もう別にどうだっていい。あの嵐の中にいたのだって耐えてる間は長く感じるものだが、終わってみればせいぜい一分半程度だった。
 今のダメージも深いには深いが、予測値を上回るレベルではない。

 予想外はむしろ今の状況だ。いつもなら、二人と皮肉を一つ二つ言い合って、美羽ちゃんの治療を受けて終わり。美羽ちゃんはもう俺の怪我には慣れているので、せいぜい小言程度で済む。

 だから自分が怪我して泣かれたのは超久しぶりの経験だ。これはどう対処しよう。
 嗚咽が聞こえてきたのは球太郎撃破後なので、安心して気が抜けたんだろう。いくら強くても、こういう部分は良くも悪くも普通の女の子だなと、メガネの一件以来に再認識した。

 このままというのも身体的と男の子的な理由から困るんだけど……。これじゃ降りろとは言えないしなぁ。てなことを考えていたらフェイトちゃんが顔を上げた。

「良かった……本当に良かった……」

 できるだけ優しくフェイトちゃんの頭を撫でる。彼女の美しい金糸の髪が、俺のどす黒い血で汚れるのに罪悪感を感じた。

「また、心配かけちゃったね」

 ナイフが邪魔だが千切れかけた舌は強引に魔力で繋いだので、なんとか会話は可能だ。
 感情が激しく揺れている女の子には、調子よく同意してわかってもらえているという安心感を与えることが、最も効率良いなだめ方だと円で学んだ。
 つまり、こういう時はとにかく相手の子に合わせて謝り倒せってことである。

「ごめんなさい……」

 先に謝られた。先の先を取られてしまったぞ!

「何故に君がごめんなさい?」
「だって、危険だって分かっていたのに拓馬さんだけ戦わせて、わたしは見てることしかできなかったから……」

 この子は、どこまでお人好しなんだか。ていうか見てるだけが耐えられなかったから、砲撃の豪雨に向かって自ら突っ込んできたじゃないか。

「作戦の提唱者は俺で、押し切ったのも俺なんだよ。君が気に病むことはないのさ」

 俺は極力体の力を抜きながら微笑を作り、そう諭した。
 俺が決めて俺がやりたいようにやった結果でしかない。もしこれで死んでいたならば、それは俺が勝手にドジを踏んだというだけだ。

「あんまりそんなこと言ってると、悪いペテン師に弄ばれるよ。具体的には、このままどさくさ紛れにこのまま抱きしめられたりとか」
「嘘吐き。真面目に話してるのに……」

 言葉とは裏話に、フェイトちゃんの声色には怒りと悲しみ以外の感情が混ざっていた。ちなみに今度の言葉はあまり嘘ではない。だって美少女が馬乗りなんだよ?

 しかしこっちも気が抜けてきたため、痛みが激しくなってきている。何とか俺の上から撤退していただかないと、骨折やら皹やらに響く。
 抱きつくにはちょっとダメージさんと相談する必要があるが、ここは欲望が勝たないと俺のアイデンティティの一つが消失する気がするので頑張る。

「仲のええとこ悪いんやけど、ちょうええかな?」
「はやて?」

 後ろからの言葉に、フェイトちゃんは振り向いて反応する。俺も視線だけをはやてちゃんに合わせた。
 乱入者が水着姿だったので内心ちょっと喜んだ。しかしフェイトちゃんが後ろを向いたことにより、少し体重が前にかかり俺の骨が押されて喜びは痛みに相殺された。
 やっぱり抱きつけないかもしれない……。
 もうやめてフェイト! 拓馬のライフポイントはとっくにゼロよ!

「拓馬さん、やったっけ。かなり大怪我しとるさかい、どいたげんと苦しいんとちゃうかな思てな」

 今、乱入者が天使さんに見えました。

「あ、ごめんなさい!」

 慌てて立ち上がるフェイトちゃん。反動でさらに骨にダメージが蓄積された。この子が軽いドジっ娘属性持っていることを忘れていたよ。
 これでもまだ笑顔を保つ俺は、ちょっと偉いんじゃないかと思う。

 フェイトちゃんも立ち上がるついでにバリアジャケットを解除し、元の水着に戻った。
 天使増殖! ああ畜生、どっちにも抱きつきたい! でも痛い。

「俺は大丈夫だよ」

 ようやく自由になった上半身を起こす。これだけでも意識が少し遠のいた。いかん、本格的に血が足りん……。
 完全に意識が飛ぶ前に、もう必要のなくなったナイフを吐き出してしまおう。赤黒い塊が、鈍い音をたてて地面に落ちる。
 それを見た二人の顔が青ざめた。

「気付け効果は絶大なんだよ?」

 そうおどけてみせたが、時既に遅しってところだ。そんな痛ましい目で見ないでほしいな。

「何で、そこまでできるんですか?」

 フェイトちゃんから、かなり悲壮感漂う声で質問された。
 何でと言われても、この気付けは俺の中では特に珍しいものではないので、行動の理由を求められても説明に困る。

 俺は俺が組み立てた戦術論に則り戦っているだけであり、それは俺以外の人間では理解に苦しむという自覚くらいはあるのだ。
 けれど、俺の理屈はあまり他人に納得してもらえるものではない。

「うーん、生き残りたいから?」
「生きるためなら、こんな戦い方をするのは逆におかしいよ」
「言っただろ、俺は死なない。これだって、勝つべくして勝ったんだよ」

 勝利も体中の負傷も、俺にとっては予定調和に過ぎない。いや、痛いものは痛いんだけどね。出血が多いせいでフラフラするし。

「ほんまに大丈夫ですか?」
「ああ、やっぱちょっとばかし血が足りないかな?」
「そやね。まずは止血せんと」
「そいつは心配無いよ、スウィンダラーで流れる血液を固めて止血してるから」

 舌を繋げた技術も同じく、血液を固定して接着剤のようにしているだけだ。俺の魔力に治癒力はそのものない。

≪メイドインジャパンを嘗めるなよ?≫

 胸の緋色がなんか威張りだした。俺を差し置いて嘘こいてんじゃないよ。

「この子、そんなことまでできるんですか」
≪これくらいお手の物だ。なんなら新しい所持者になってみるか?≫
「ナンパすんな!」

 フェイトちゃんの言葉に、またも自慢げに答えつつも勧誘してるよこいつ。しかも若干本気っぽいし。
 普段はほとんど会話しないくせに、話を振られると好き勝手に答える。それもこの調子だったりするのだから、やっぱり輪廻さんが作ったデバイスだなと、変に納得させられる。

「あはは、面白いインテリジェンスデバイスやね。あ、すぐ回復魔法使える子が来ますんで」

 回復できる人ってあの人か? どうやら、奪われた魔力は回復したらしいな。だけど病み上がりの人にわざわざ来てもらうのも悪いし、自分から向かおうか。

 悪人だってたまにはそこらに転がってる空き缶をゴミ箱に捨てるというし。
 立ち上がろうと膝を起こすが、その試みは失敗に終わってしまう。体に力が入らず、中途半端な体勢からまた倒れそうになったからだ。

「あ、ありゃ……?」
「今は動いちゃだめですよ!」

 とっさにフェイトちゃんが差し伸べてくれた手を掴もうとしたが、目の焦点が合わず別の“何か”を握り、それも俺の体重を支えるような強度は無くブチっと嫌な予感のする音をたてた。
 音と共に支える力が無くなり、重力に引き戻されて俺は跪く。左腕が使用不可なので危うく顔面から落ちるところだったが、そこは辛うじて右手で体重を支えて堪えた。

「あいてて、ごめんフェイトちゃんだいじょ――」

 フェイトちゃんを見て絶句する。そして戦闘終了以来、どうにも鈍っていた思考が急速に働き出した。

 自分のがずっと重傷なんだから、おとなしくシャマルさん待ってろよとか。あの体勢で掴むものといったら一つしかないだろうとか。お前はどんなけフラグクラッシャーなんだよこのスカポンタンとか。

 思う反省は大量にある。
 だが、どれもこれも目の前に現れた天使の素肌の前には些末なことだった。

 それは蕾。それもほんの少しだけ開きかけている蕾だ。蛹が蝶へと変貌する始まりの姿である。
 なだらかな丘の上に、少し色素の薄く淡い桜が色付く。熟した果実にように揺れることはなければ、柔らかい弾力も無い。

 しかし、それがどうしたというのか!? それを差し引いても充分過ぎる輝きが、奇蹟がここにはある!
 この未熟な果実は“未熟だけど”ではなく未熟だからこそ美しい。この世界にこんな美しいものがあるなんて……。

 そしてこの奇蹟を更なる高みに押し上げる要素がある。
 それは禁忌だ。あまりに幼い少女の未発達の聖域を覗いてしまったことによる生まれる、感情の揺らぎ。
 心臓が今までになく高鳴る。今しがたの死闘に揺らがなかった心も、この背徳感の前には無力だ。この罪悪の感情こそがこの芸術へのトッピングとなる。

 有り得てはならない芸術。
 存在すべきではない至福。
 それを垣間見たからこそ起こり得る感動。

 彼女もいずれシャマルさんやシグナムさんのように成長するのだろうか? そう考えると楽しみだけど、とても残念な気がする。
 いやいや、未来などどうでもいいじゃないか。今はこのどんな偉大な詩人でも言い表せない絶景を、永久に消えぬようこの目に焼き付けるべきだ!

 だけども、この絶頂の時間は初めから長く続かないようにできている。
 少女の叫び声が聞こえが響き、奇跡の時は幕を閉じた。耳まで真っ赤にしながら必死に隠す姿もまたそそられるので、これはこれで別の楽しみではあるけどね。

 そこに新たな芸術の鑑賞を妨げるように、一人の人間が俺の前に仁王立つ。フェイトちゃんと同じ金髪だが短い。年は俺より年上に見える、さまるさんだ。

 まぁ、元々こっちに向かっていたんだから必然の展開だろう。
 それより、服を着ているのだから、先の予想通り裸の上から着た可能性があるということだ!
 流石に聞く勇気はないけど。

「シグナムや私だけでは飽き足りず、こんな小さな女の子まで……。覚悟は、もうしているのですよね?」

 わーい、タイミング的に完全に誤解されているよね、これは。

「お久しぶりですね、さまるさん。貴方のも実に綺麗な桜いげばぁ!!」

 服を着ている上から身体を隠すように腕で胸を隠す仕草がたまらなくかわいい。顔面を踏まれていなければ。
 ただでさえ生命の火が燃え尽きようとしてるのに、容赦皆無な一撃をくれる人だ。

 けれども素足! きっと全次元世界中でも、さまるさんの足の裏という希少価値の高い感触を生で感じた人間は、これまでもこれからも俺一人だろう!

 フフフ、羨ましかろう修一よ。冥土の土産にこの感触を教えてやりたいが、どうやら俺も限界のようだ。
 踏みつけ気味の前蹴り一撃により、俺は完全に撃沈した。顔面からぐしゃりと倒れ、尻だけ突き出してかなり無様な体勢だろう。
 どうにかしようにも、もはや指の一本も動かない。正真正銘、俺の力は空っぽだ。

「あかんてシャマル、拓馬さん重傷なんやから!」
「シャマル落ち着いて! これはその。ええと。すごく恥ずかしいけど、事故だから」
「あああ、すみません! 私ったらつい!」

 そういや、今人もちょっとうっかりさんなとこがあるんだったっけ。
 気付けのナイフを吐き出していて正解だった。あまり痛みを感じず、楽に逝けるから。
 仲間達よ、俺はここまでだ。ここからの脱出はお前達に任せるぞ!

 俺は起きたら輪廻のさんの家で治療済みという展開を信じて、闇に落ちることにした。
 それにしても、今日は最低辺の中にいるのに、なんて最高潮な一日なのだろう。