まだお家に帰ってないので、クロノとの約束はいきなりブレイクされているわけだね。
「かーえりたーくなーい。かーえりたーくなーい。かーえりたーくないけどー、さよならマーチ」
 歌うだけで、帰る気はさっぱり起こらない。こんな馬鹿をやれているのは、フェイトの家を出てから、また散歩を行えるレベルまでは復調したためである。
 そろそろ休憩を挟もうかなとは思うけど、問題はどこで休むかだ。翠屋は俺が常連客のため、その弊害によって後でなのはに来店がばれてしまい、またクロノにこってり絞られてしまう恐れがある。
 ならばと他の案をいくつか上げつつどれがいいかなと吟味していく。これはもう、行き先を設定したいから歩いてると表現すべきなのだろうか。つまり向かうのは何処でもいいのわけで、それならと俺は行き先を海鳴公園へと確定する。家や翠屋に次いでのんびりできるのはあそこになるし、順当な結果だった。
 自分らしさを保った思考に安心感を抱いてしまう俺に嫌悪しながら、目的地へ辿り着くために手ごろな角を右に曲がる。
「やあ、二日振りだな暁拓馬」
 そいつは待ち伏せしてたかのように俺の前へと現れた。短めの黒髪に爽やかだけど含みのある笑み。そして袖口から生えているべきが生えてない隻腕が否応なしに目を引く。張り込み調査していた俺に、制止の声をかけた男だ。
 俺が犬なら、たった今棒に当たったのだろう。目的という重要な棒に。
「ようやく来たか。待ってたよ、どっかの誰かさん」
 もうかなり待ちくたびれたよ。会いたくはなかったけど、会うために俺はクロノとの約束や周りの心配をまとめてぶっちぎり町を徘徊してたのだから。
「待ってただって?」
「そうさ。こんなやらしい攻撃を仕掛けて来たんだ。気付かない素振りでそこら辺うろついてれば、そっちから鴨葱を狩る気分でご登場してくれるだろうってね」
 予想は的中ど真ん中。鈍ってもペテン師の役回りはこなせてるようだ。そうでなくては暁拓馬なぞやってはいられない。
「ふふん、どうやら少しはやるようだな」
「どうしたい、手を読まれた強がりか?」
「いや、気付いてるとは考えもしなかったが、攻撃とはね。流石は発想が安いペテン師だ」
「洗脳は十分攻撃的だと思うがね」
 昨日最後に仕掛けられた光の扉で肉体的な損害を被らなかったのはこのためだ。俺達がかけられた魔法の正体は集団洗脳であり、むしろ気付かれないことこそが重要だったのだから。
「俺がずっと感じていた違和感は微妙な意識の誘導だ。普段なら考えもしない思考を無意識下に植え付けられていく、こんなねちっこい魔法は他に知らないな」
 それはフェイト達も同様だ。助けられなかった友達に、突如眼前で製作された惨殺死体。本来ならもっと塞ぎ込んでるはずのフェイトは不自然に立ち直り、それを支えているアルフの様子も同様で、フェイトが大丈夫と言った時は感情を弾ませ明るく振舞っていた。。
 なのはとはやても前向きになり次こそはと訓練に取り組んでいる。普段ならここまでやられて鏡が大人しくしているわけがないし、好き勝手歩き回る俺に対して、クロノが気遣った譲歩なんて不自然だ。
 何より、どいつもこいつも自分の変異に気付きさえしてない。
「よくもまあ、その無意識とやらを意識できたもんだ」
「お陰でずっと不快感が纏わり付いて、気持ち悪いったらさ」
 俺は常に俺であることを是としている。そうあらねば俺でないと、“あの時”から刻み込んで生きてきた。時にはそれこそ、人が成長と呼ぶものさえ拒んで、意図的に今の暁拓馬を造り上げたのだ。その自意識に介入される嫌悪感は絶大だった。
 あれだけの異様な感覚を伴っても、これが洗脳だと気付いたのは円が添い寝してきた時だったが。
「俺は、俺の意識を歪めようとする者を絶対に許さない」
「なるほどね、あの方がわざわざ俺を差し向けるわけだ。しかし、お前は一つ決定的な勘違いをしているよ」
「へぇ、そいつは気になるな」
 隻腕男は小さく口角を上げる。俺はお前の知らない手札を持っているぞ。そういう自分の優位を確信して、相手の無知を見下した嘲笑だ。
「あの方は歪めているのではなく、救済してくださっているのさ」
「救済?」
「そうさ、あの方の扱う『救済の扉(ユビキタスディスティニー)』は、迷える者達の心を救い、光に満ちた才能を見出だしてくださる。奇跡の力だ」
 やはりあの扉の使い手こそが、この事件における黒幕であり海鳴の平和を歪める元凶ってわけか。
「あのお方のお慈悲はとても、とてもとてもとてもとても深い! どうしようもなく罪深いお前をも、お救いになられるのだからな」「救ってくれと頼んだ覚えはないけどな」
「あのお方の救済は完璧だ。誰であっても関係なく、心に宿る苦しみや哀しみを取り除き、その者の純粋な願いを形にする」
 願いを形に、ね。そう言われて思い出すのが、つまりこれまで戦ってきた連中の魔法と、それぞれが有していたレアスキルだった。 恋した相手を縛り付けたくて蛇に変貌したように。
 正義の力を欲した馬鹿が巨大ロボットを創り上げたように。
 家族を失った不条理を怒りという動力源し、孫娘を複製したジジイがいたように。
 きっとあれらが隻腕男が言う、“願いの形”なのだろう。
「洗脳に魔法。やはり俺の立てていた推論は概ね正しいようだな」
「俺達の間では、この力は魔法ではなく『幸復(ハピネス・リターン)』と呼んでいたがな。この願いによる力の発現は、元々魔法という力を扱える者には宿らないようだが、お前なら救済を受け入れれば、素晴らしき幸福(ハピネス)が与えられるだろう」
「絶対ごめんだ。とんだ押し売りの新興宗教だよ」
 こいつの酔狂ぶりから察するに、とんだ神様気取りがいるらしい。俺はそんなのに巻き込まれて、時空管理局に目を付けられたのか。これはまたやるせない話もあったもんだ。
「貴様のような詐欺師と一まとめにするな。あの方のお慈悲と才能は、本物なんだよ」
「ずいぶんとご執心みたいだが、そこまでそいつに惚れてるのか?」
「はっ。これだから通俗な輩は。人は神を愛するとして、神と結婚したいと考えるか? それと同じく、私は神を愛するが如く、あの方を愛しているのだ」
 この、あのお方ラヴ野郎を利用してあの方とやらの性別や特徴を聞き出そうとしたが、これは駄目だな。こいつの中にあるあの方とやらの存在が大きく、語る言葉が大言壮語過ぎて黒幕の人間性が掴みにくくなっている。
「あのお方あのお方と、せめてそいつの呼び名くらい教えてもらいたいもんだね」
「そうだな、俺達はあのお方のことは、尊敬と親愛を込めてGURUとお呼びしている」
「GURU――先導者か」
「その通り。そして俺は最も厚くGURUに仕える者、秋折亮(あきおりりょう)。そして与えられしハピネスは『神の見えざる手(アームドアームズ)』!」
 秋折と名乗った男が欠けた側の腕を前へと突き出すと、地面には幾何学模様の魔方陣が描かれる。そしてその欠落を埋めるように、白銀の腕が構成された。
 情報収集のお話時間はこれまでか。
「ま、見た目からの願いとしちゃ妥当だろうよ、スウィンダラー」
≪Set Up≫
 秋折に対応して俺もバリアジャケットを装着する。が、そこに強烈な不快感を感じた。秋折に直接何かをされたわけじゃない、この感覚はフェイトやアルフが不自然な行動を取った時にも感じている。
「苦しいんだろう?」
 目眩に耐えて、敵を見据える。秋折は俺に何が起きているかを察してるようだ。違うな、これを狙っていたからこそ、こいつは俺の前に現れたんだ。
「お前の闇を、あのお方は救おうとしてくださっているんだ。戦いと犠牲の連鎖こそが、お前の心を捕らえ汚し続けている」
「生きることは戦うことで、犠牲は生きるために必要だろうが」
 人は何かを為すために、それが自分や他者を犠牲にしていきている。犠牲なくては食事さえできやしない。
 俺は秋折の口を閉じさせるために、自分から仕掛けた。前傾気味に踏み込み、胴をひねって跳び、かけた体重を下半身に乗せ落とすような蹴り。
「そうさ。お前は正しいよ。そして、その摂理を生き死にのレベルで行ってきた無限地獄こそが、お前の闇だ」
 しかしそれは銀の腕に軽く防がれる。それでいい、頭上からの攻めにより生まれた死角こそが、俺の目的だ。
 跳ぶと同時に精製した三本のナイフを秋折へ投擲――
「っ!?」
 一瞬、思考にノイズが混じり動作が遅れた。ナイフは銀の腕に横薙ぎされて砕かれる。
 地に足下ろして、次は後ろへ。意識の乱れを警戒する。
「暁拓馬という男における最大の武器は、確固たる意思から生まれる、人外地味た精神力」
 新たなナイフを両手に構え、ブレの理由を探る。意識支配の影響にしても、意識が飛ぶなんてこれまでなかった。
「お前は強い心によって生き残ってきたのかもしれないが、新たな戦いを呼び安らぎを与えぬ理由もまた、お前の強靭過ぎるメンタルが故。皮肉だな」
「言ってろ」
 今度は片手に四本づつ、計八本のナイフを作り出し発射する。
「ああ言わせてもらう。今のお前では、俺には勝てない」
 八本のナイフが目晦ましのために交差し、宙を踊りながら秋折を狙う。秋折は左腰にあるホルダーからカードを一枚抜き取り、アームドアームの側面に付いているスキャナーへスラッシュさせる。
「マシンガンフォーム」
 すると電子音声に合わせカードの絵柄に書かれたマシンガンが立体化され、銀の腕に装着された。
「おいおい、ライダーマンかよ」
 マシンガンから発射される魔力弾が、秋折を穿とうとするナイフを撃ち落とす。残ったナイフを一旦旋回させて、俺自身も十字路の角に隠れた。
「あの滝みたいな魔力弾、そういうわけか」
「いきなり隠れるとは、また蜂の巣にされるのは嫌か?」
 屋上で俺を背中から襲ったのはこいつだったのか。どうやらこれは俺にとって雪辱戦でもあるらしい。
「俺のナイフは誘導式なんでな」
 残るナイフは五本。それを間隔を作りつつ左右に振り、わ、け、
「ふん!」
 また砂嵐みたいなノイズが俺の脳裏を支配した。その間にコントロールを失ったナイフは破壊されてしまっていた。
 いつこのノイズにやられるかもわからない。厄介だ。
「今のは……」
 俺の注意は、失ったナイフより再び起きたノイズの中で、僅かに写った人影に向けられていた。
「いつまでそこに隠れているつもりだ?」
 俺が止まった分だけ、秋折の手が進む。新たなカードを引き抜き、カンソウされた腕は、先端にいくつも刺が付いた鉄球だ。
「ハンマーアームだ!」
 秋折が腕をスイングすると鉄球は腕から射出され、鎖による連結が露になり、俺を避難していた壁ごと打ち砕いた。
 これだけ大振りで単発の攻めならば回避は容易いが、崩れるから壁から離れるとまたノイズ。影はさっきより明確に人のそれとわかるようになり、俺の背中に悪寒が走る。あれは、まさか。
 壁を破砕した鉄球は、しかしその役目を終えていなかった。鎖の接合部付近からバーニアが吹き出し、方向転換される。
 動きはあくまで単純だ。これを掻い潜って敵の懐に。ノイズ。そう思った次の瞬間には、もう鉄球は俺の眼前にあった。回避も防御も間に合わない。
 だけど俺の脳裏に写っていたシルエットは、はっきりとした姿で白昼夢になり変わった。どうして、アストラル姉さんが。
「うぐぁっ」
 肉が軋む。神経がへしゃげる。内臓が口から飛び出そうだ。背後の壁ごとぶち抜いて、俺は瓦礫に埋もれた。
「かっはっ」
 打たれた時に吐き出してしまった息を吸う。上手くいかないから、小さく何度も。
 吸って吐いてを繰り返し、俺の脳は見慣れない妄想として、見慣れた過去を掘り返す。
 姉さんは幼い少年を抱きしめている。あれはそう、幼い日の俺だ。