妨害するのは植物の蔦だ。それも、数えるのも億劫になる大量の蔦が鏡に巻き付き動きを阻害している。いいや鏡だけじゃない。蔦は俺を含め他の面子にも絡みついてきた。全ての発生源は言うまでもなく、屋上の床から空まで縦横無尽に占拠する扉の群だ。
「これじゃ、魔法に集中できないわ」
「攻撃対象は明らかに無差別か。俺が対応しますから、シャマルさんは二人を護りながら出来るだけ広い範囲のシールドを展開して、治療を続けてください」
 新たな作りだした二本のスカーレットナイフで、周囲の蔦を切り裂いていく。が、余りに量が多過ぎて、俺の対応が追い付かない。「まとめていくぞ」
≪ならばそのための燃料を供給するんだな≫
「オーケー」
 二本のナイフをそれぞれ持ち手とは逆の両腕に当て、刃を下へ引き切り裂く。そして血飛沫を周りの植物へ撒き散らした。
「スカーレットフロギストン」
 蔦に付着した血液が一斉に炎上する。炎は隣接蔦から蔦へ燃え広がり、その中心に位置する俺ごと燃焼させていく。激痛と焦げ臭さに混じる脂肪を焼く嫌な匂いが鼻腔を支配した。
「これで内外平等に瀕死だよ」
≪後方に新たな扉が出現したぞ使用者≫
 スウィンダラーの音声に新手を察知はしたが、自らを焼き続ける炎の熱に苛まれ、俺の反応がまるで追いつかない。
「ぐうっ!?」
 防御もできないまま俺の背を滝みたいな魔力が叩き、途切れない雫が身体を軋ませ、レッドランプが点灯してるライフも削りとられていく。
 背中を撃たれ倒れ込んだ先には焼き払ってもまだまだ増殖を続ける蔦が待ち構え、俺へと絡み付き身を預けながら拘束される体勢となった。
「スティンガースナイプ」
 一筋の魔力弾が飛来し、俺を縛る蔦を切り裂く。思わぬ援護によって枷を外され、魔法の射線からも逃れた。これによって俺は俺を襲った魔法を知覚する。どうも滝という表現は正しかったようでそいつは赤い魔力のマシンガンだった。
「お前は元々重症人なんだ。無茶をするな」
「手助けありがとよクロノ。だけど無茶をせずこれらを切り抜けるなんて、それも無茶だろ」
「それだけ減らず口が叩けるならまだ戦えるな。だったら自分の可能な限り最低限に抑えて自衛に徹していけ。フェイト達は僕が保護する」
「ここは素直に従っておいてやるよ」
 そんな強がりを口にしながら、俺は先刻のマシンガンを最大限に警戒しつつ、両手のナイフで蔦を捌く作業を再開させる。
「こんな子供騙しで、あたしの命を取れると思うんじゃないわよ!」
 鏡は己の物質変換で蔦を凍らせ一気に砕き、己の自由を奪還する。そして新たなアクションを――
「ったぁい!」
 開始するよりも早く、何かが鏡を撃った。ただし、それが何かはわからない。少なくとも俺の距離からじゃ目視は不可能だった。
「何をされたのよ」
 俺を狙うったのと同じく新しい扉が開き、何かしらの手段で攻撃はされたはずなのだか、端から見ていると鏡が一人で撃たれたパントマイムでもしていたようにしか見えない。
 鏡がその正体を見極めるより先に、また別方向から不可視の何かが鏡を攻め立てる。
「りゃああああ」
 一方的な片殺しに、暴徒は当てられた方向へ向かってギターを掻き鳴らして衝撃波を返す。そのやけは功を奏さなかったようで、蔦に混じり三度目の不意打ちは実行される。
 このままでは、いつでもあの繰り返しになってしまうだろう。しかしあれでは落ち着けくらいのアドバイスのしか言えないし、まず俺自身がそれころではないのだ。
 扉。
 巨大ロボを圧縮。
 高ランク魔力砲撃。
 鎧の人外。
 蔦。
 滝のような射撃。
 見えない攻撃。
 何がどうなっている?
 通常の魔法も含まれているとはいえ、これまで使われている魔法種類はてんでバラバラだ。それらが意味する可能性は、
「複数人からの連携攻撃か」
 むしろここまで気付けなかった方が問題で、本来なら砲撃の魔力光が違った時に理解すべきだったんだ。どうやら連戦の疲労で、俺の思考力も落ちてきているらしい。
 だとしたらここまでの攻め方に疑問が生まれる。蔦での束縛して防御できない攻撃を加えるにしては、追撃の火勢がぬるい。どちらかというと、束縛から逃げないように応戦しているように見える。
 その回答は、俺が導くより先に敵側が示してきた。頭上にビルすら飲み込めるサイズの扉が現れたのだ。
「あれも扉なの!?」
 空中で蔦の除去に精を出すなのはが、その存在を一早く察知し驚嘆を上げた。もはや悪い冗談にも思えてくるそれは、これまでの扉とは違い、光だけで構成されている。魔力反応の数値も桁違いだ。
「くっ、あれが本命か」
「みたいだな。クロノ、あれはどうするつもりだ?」
「まずはここからの脱出しかないだろ」
 その発案は正しいのだが、敵も手を止めているわけではない。というか全員が自分の蔦を除去するだけで手一杯だ。そんな俺達を喰らうように、光の扉はその口を開いたまま落ちてきた。
 呑み込まれる。
 俺は腕を交差し咄嗟に頭部を守りながら、落ちる扉の粒子を浴びる。
 光の扉は、次々と俺達を通り過ぎし、そして屋上全てを通過したところで光が分解され消えた。風に乗り散っていく光は思いの他幻想的で美しく、どこか先刻の姉妹を想起させたりもした。
 扉が通った先に広がる風景は、これまでと同じビルの屋上である。異次元に飛ばされたり、亜空間を彷徨ったりなんて窮地はない。ただ俺達を拘束しようとした蔦と、それを供給していた扉達は消えている。光の扉の通過に合わせて全部徹底したようだ。
 これだけ用意周到に策を絡めての一手には痛みさえなく、戒めも消えた。それは余りに強い違和感だ。
「逃げられたか……」
 空を見上げクロノがぽつりとそう溢す。その言葉に偽りはなく、すでにアンノウンの姿はここにない。
 あれはアンノウンが撤退するための目眩ましだったのか? そんな馬鹿な。それなら蔦による妨害だけでも事足りるだろう。
 とにかくこの屋上で起きた事実ははっきりとしている。
 逃げられた。またもしてやられた。
 だというのに、どうしてだろう。そこに懺悔の感情はあまり沸いて来なかった。
 屋上の戦いが完全敗北となり、事後処理を終えてから約半時間が経過した。時間だと外はすっかり暗くなり二十時を回ったくらいだ。
 俺は自分の部屋で何するわけでもなく、静かに横たわっている。一日かけて溜まった疲労の全てが、俺を布団に溶かし込んでいるようだ。
 俺の肉体が被った被害は甚大だったが、そのほとんどは体内で暴れ回ってくれた花びらと自分で着火した火傷が原因だった。この事実は“不可思議だ”と“やっぱりな”のどちらで表すべきか。
 あの正体不明な鎧目玉の置き土産、巨大扉で受けたと思われる損傷は見つからなかった。それは俺だけでなく、あの場で戦った者達全員共通だ。この事実に対して痛烈な違和感はあるのに、それがボヤけたままで一向に形にはならない。
 違和感と言えば、俺自身にもだろう。
 ごろんと仰向きになって自分の右腕をみやる。円に気付かれないように火傷の治療を最優先にしてもらったため、焼け爛れた痕はない。もういつもの腕と同じはずだが、今はどうしてか、自分でないかのように感じてしまう。それは腕だけでなく、全身がだ。
 しかし何がおかしいかと考えると、思い当たる答えは肉体疲労しか見つからない。泥々とした疲れからくる気持ち悪さが、どうも倦怠感にすり変わっていくようだ。
 俺は俺。
 ここにいる。ここに在る。在るからなんだ?
 それがどういう意味をもたらす?
 駄目だな。思考がまとまらない。
 これなら、屋上でやった火炙りの方が精神的な面ではずっとマシだ。もうさっさと寝てしまおうと布団の上なのだけど、脳はずいぶんと働き屋さんで、さっきからずっとまとまらない雑多な思考が這い廻っている。
 ぐるぐると、ずるずるに。
 後数時間はこのままこうしてる羽目になるのだろうなと思うと気が滅入る。
 せめて明かりを消してしまえば、このバグった回路の疾走も、少しは闇に沈むだろうか。そうしようと丁度上半身を起こそうと思った時、部屋の扉がノックされた。軽い既視感を覚えながら、俺はそれに応える。
「カギは開いてるよ」
「うん、お邪魔します」
 どこか遠慮がちに、円が部屋へと入ってきた。ある意味もう俺の家にはお邪魔しているのだけど、別個の部屋を除いて、円にとっては自宅とさして変わらなくなっているかもしれない。それは誰のせいかと言えば、完全に俺が原因だよ。お邪魔させてしまってます。
「どうした?」
 妙におどおどした様子なので、こちらから声をかけてみる。自分のダウナー具合を悟らせないように細心の注意を払ってだ。
「今日、たっ君帰ってからずっと辛そうだったから……大丈夫かなって」
 悟られてた。もっそい悟られてた! そんなに俺は駄目人間臭漂っていたのだろうか?
「今日はバイトがいつもよりハードだっただけだよ。気にするな」
 片手挙げてひらひらと振ってみる。けれども円相手にこれは逆効果だよなと、やってから悟ってしまう。円はそれで戻るどころか、後ろ手に扉を閉めて、俺の寝ている布団まで接近された。
「嘘吐き」
 そりゃ、俺がペテン師なのは厳然たる事実だけどさ。今の言葉に嘘はないよ。謀ろうとはしたけど。
「たっ君、ふらふらだったよ」
「肉体も頭脳もフル活用で労働に勤しんだからね」
「ふにゃふにゃだよ」
「ちょっぴりファンシーな表現だな」
 これは鏡か修一が相手だったら、下ネタかよと突っ込んでいただろう。意味は深く考えてはならない。俺の円がそんなにエロいわけがない。俺のじゃないけど。
「たっ君は本当に辛い時は、絶対に辛いって言ってくれないよね」
「そんなの、辛い振りだけしておいて、本当は辛くないからだろうさ。俺は嘘吐きだからな」
「ホント、嘘吐き」
 そのため息は呆れか諦めだろうか。それ以上真偽の追及を止めて、円は俺の寝てる布団の空きスペースに三角座りで腰を下ろした。
 風呂から上がりたてなのだろう、円は全体的に艶やかに赤らんでいる。しかも下はホットパンツを履いていて、太股からすらりと伸びる生足が、俺のビジョンを広く占領した。
 いやあ、これは。どうしたものだろか。そんなレッグに倒錯的なフェチズムを抱いてるわけでもないのだけど、視覚的に思うものはある。
「ううむ」
 なんていうか生々しくてナマい。そしてエロい。生エロい。略したらよりエロくなってしまったではないか。俺の円は思いの他エロかった。それにしても、三角座りってこんな性的なポーズだったっけ? 体育でしょっちゅうやっているから感覚が麻痺しているのかもしれない。次からは普通に座ってもらうため、ベッドを買おうと決めた。
「どうしたの?」
 円の疑問符に対し俺は視線を上げて、至極真面目に応答する。
「ベッドと床が生み出す高低差の重要性は、意外な方面の対策になるんだなと」
「やっぱり疲れてるんだよ」
「…………」
 何を言ってるんだこいつという、憐憫の混入された目だよこれ。こんな思考している最中でそう言われると否定できないのだった。 しかし体調が悪かろうとこういうやり取りは可能な余力はあるらしい。そんな自分に安堵した。これだけ口が回るのなら、俺はまだやれるだろう。何をしたいのか自分でもわかってないのは別として。