「おーとーこーかーよー」
「はぁ?」
そして、俺は少なからず、いやかなりの勢いで声の主により落胆させられる。俺のあんまりな反応に、階段の上にいる男はわけがわからないといった反応を返した。
見てくれは中学生くらいのメガネ少年だ。とりわけてイケメンでもない。
文化祭の出し物の話し合いなんかで教壇に立ってもクラスをまとめられず、そこで怒鳴っても皆にシカトされそうな地味な弱腰ヒステリック系委員長キャラ。それが俺の第一印象で、きっと最後までこの印象だろうな、こいつは。
俺はこんな奴に萌えながら追い掛け回されてたのか。結構ショックだよ、特に萌えたのが。萌えたのが! 大事なことなので二回言いました。
いや待て、ここは絶望しきらずもう一度脳内変換だ。地味な印象の委員長っぽい女の子……性転換は神の御技だね!
目の前の本物をみたら儚く崩れ去るからあまり意味はないけどな!
「君、今の状況が分かってるのか?」
人がこの精神的打撃をどうにか耐え抜こうと必死に思案していたら、メガネが二つの意味を持った上から目線で話しかけてきた。
「わかってるから手を上げてるんじゃないか」
まったく憤慨ものだよ! といった感じで返事をしたら、メガネに舌打ちされた。むしろメガネの方が機嫌を損ねたようだ。
「まあいい、僕についてこい。下手に抵抗したらどうなるかなんて、言わなくていいよね」
そう途中で話を区切り、メガネは鴉の方に視線を向ける。その表情が初めよりも明らかに厳しくなっていて、言葉も刺々しさが増してきた。ご機嫌が右斜め四十五度辺りに傾いているらしい。
「へーい」
俺のあまりにやる気無い応答でメガネ君はさらに不機嫌模様を濃くしながらも、振って返り歩きだした。これ以上喧嘩を売るとほんとに撃たれかねないので、俺も上げた手を下ろし黙って後を着いていく。
道中会話も無いまま階段を上がり、そこから一番近くの部屋に通された。流石廃ビル、鍵も無ければ中身も埃くらいしかない。閑散とした広さを感じる部屋だ。
十メートル位の距離で、メガネが俺と向き合う。さっきの鴉は羽ばたいて、俺の横で身長より少し高めの高度を保っている。今更だけど、鴉ってこんなにホバリング性能良かったっけ。今度円に聞いてみよう。
メガネは部屋に入って早々、鴉の羽らしきものを取り出して何かを唱え始める。すると一瞬だけ羽を中心に小さな魔法陣が現れ鈍く黒色に輝き、瞬時に鴉へと変化した。生命の神秘とでも言っておけばいいのだろうか?
新たな鴉はその場で一鳴きしてから、部屋を出て行く。今の状況から考えるに、大方フェイトちゃん達を呼び出してここまで道案内でもさせる気なのだろう。
俺の方はと言うと、袋からゲームを取り出して傷の確認に勤しんでいる。こいつは俺の必死の防衛によって、弾丸によるダメージを一度も受けてないはず。
それでもさっき床に叩きつけられたこともあるので、念のためのチェックをしようと思ったのだ。
「何やってるんだ?」
メガネが少しは空気読めと言わんばかりに声をかけてきた。
しかし、俺にとってはまず場の空気よりもゲームの安否が優先だ。よって視線も合わせずおざなりに「持ち物の安否確認」とだけ返して、ゲームのチェックを続行する。
うむ、落っことした程度だし特にパッケージには問題はない。中身も開けはしてないが大丈夫だろう。
なんてたって、開けるのはお家に帰ってからのお楽しみだからな!
「君は本当に自分の立場が分かっているのか!?」
「人質だろ?」
メガネがキレそうになってきたので、ゲームを袋に戻しながら彼に視線を向ける。やれやれ我慢の効かない若者だよ。
「そうだよ、君は僕に命を握られているんだ」
「あいにく、街で連続殺人が起きてようが夜に人気がいない所うろつく様な、危機感が薄い性格でね。一物でも握られていれば、貞操の危機から泣き叫ぶところだけど」
無論恐怖するのは、やらないか的な意味でだ。
ゲームの袋を右手に持ち直しながらの毒を吐く俺に、メガネは珍しく余裕の表情を見せる。
「ふん、その余裕も今のうちだ。すぐに泣き叫んで僕に命乞いを始めるさ。さあ寄せ餌に釣られて獲物が来たよ!」
「大物釣り上げて逆に食べられるシーンですね。わかります」
先程出て行った鴉が部屋に戻ってきた。メガネの言葉通りに、二人の少女を引き連れて。
「拓馬さん!」
「あなたが鴉達を操っていた犯人ですか!」
それが部屋に入ってきた、フェイトちゃんとなのはちゃんのそれぞれの第一声だった。
「やあ君達。その通り、僕が鴉達のマスター。漆黒なるハンターの操り手、野矢正樹(のや まさき)だ」
うわーい、リアル厨二病くさーい。メガネはようやくまともに上から目線で会話ができる人間がやってきて、内心かなり喜んでいるようだ。今名乗ってた気がするけど、もうあいつの呼称はメガネから上書き不可能になっている。
「すぐに拓馬さんを開放してください!」
「するわけが無いだろう? 彼は人質なんだからね!」
メガネがフェイトちゃんの言葉を、心底見呆れたような抑揚たっぷりな声で否定した。そのままノリノリなメガネは新たな羽を三枚取り出して、鴉の数を五匹に増やす。
それを見た二人は驚きながら警戒を強め、メガネは厭らしく口元を歪める。
やっぱり俺との会話より活き活きしてるなぁ。俺とのお喋りはそこまでストレス溜まりましたか。なんだか沸かなくていい罪悪感が沸いてきたよ。嘘だけど。
「なんでこんな事したんですか!」
なのはちゃんが杖を構えながらメガネに詰問する。メガネはやれやれと首を振り、返答より先に命令を提示した。
「その質問に答える前に、まずはその危ない武器を置いてもらおうか。もちろん、少しでも変な事をすればあいつの命は無いよ」
「武器を置けば、その人を解放してもらえますか?」
「うるさいな、早くしろよ! どうせ君達に選択肢なんて無いんだからなぁ! やれ」
なのはちゃんの言葉をほとんど無視して、俺の横にいるカラスが戦慄き弾丸を連射する。そいつは容赦なく目標を撃ち抜いた。
奴は撃ったのだ。一欠けらの躊躇もなく、俺の…………大切なゲームを。
袋は取っ手から引きちぎれ、本体も雨のように降り注ぐ弾丸により数秒と待たず粉々になった。俺はただ呆然と、今さっきまでゲームだったものの残骸を見つめるのみ。
「さっさとしないと、次はあいつ自身がああなるよ」
必死に守ってきたものが脆くも崩壊した。自分の身体を盾にまでして護ってきたというのに、俺はなんて無力なんだ。
「なのは、ここは言うことを聞こう」
「……わかりました。武器を置きます。だから拓馬さんには手を出さないで」
「そうそう、それで良いんだよ」
運良く偶然に見つけた初回限定版だったのに。
「じゃあ次はその服を脱いでもらおうか。バリア以外にもその変な服が、僕のダーククロウの攻撃から身を守っていたのは分かってるんだ」
明日また買いに行ったとしても、店に置いてあるのは通常版だけだろう。
「早くしたまえ。人質がどうなっていいのかい?」
出会った時の、あの感動。
手に取った時の、あの期待。
レジに持っていった時の、あの衝動。
そして残骸を見つめる、この絶望。
絶対に、許さない。
「おい、下種野郎」
気が付けばそう口を開いていた。お遊びはこれまでだぞメガネ。
彼女達が現場に現れたことはすぐに“相棒”が教えてくれたが、できるだけすぐ平穏に戻れるよう、限界までその力を借りないようにここまで逃げていた。
助けてもらった後は、彼女達の実力とこの状況を如何にして乗り切るかを観るためと、一般人であり続けるため今まで大人しく流れに身を任せて傍観。
だがここで行動方針を少々修正する。
どうせここで俺が人質に徹したとしても、彼女達は隙をついてバインド魔法でメガネを捕獲することだろう。しかしそれではこの怒りは収まらない。
あいつはやってはいけないことをやった。それを教えてやれねばならないのだ。
平穏へは確実に戻るが、あいつの崩壊のきっかけは俺自身が作らないと、俺のアイデンティティが許可しない。
「なんだ? お前もいい加減口の利き方に気をつけろよ!」
メガネの言葉は無視して、俺は無言でポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。
俺の抵抗と自分の武器を比較し、メガネは下卑た笑いを貼り付ける。
「おいおい、そんな玩具で僕の鴉達に勝てると思ってるの?」
「下手に抵抗するのは危険です! ここは私達に任せてください」
フェイトちゃんが俺をこれ以上傷つけさせないために叫ぶ。けどそれは無意味だ。鴉に襲われてからここまで、この状況を本気でヤバイと思ったことは一度も無いのだから。無論、今もな。
だから俺は、確信を持ち行動する。
「お前には俺の平穏の礎になってもらうよ」
ナイフを展開し、いつもやるようにそのナイフで標的を切り裂いた。標的はさっきまでゲームを持っていた、自分の手首だ。切り裂かれた手首からは鋭い痛みが走りぬけ、どくどくと脈に乗り血が流れ出す。
「はぁ!? 馬鹿かお前? それとも撃たれるのが怖くなったか」
メガネは理解できないとただただ嘲笑するのみ。油断しきった雑魚の笑い方だ。
フェイトちゃん達も俺の意図が分からずに唖然としている。
「馬鹿は、状況の理解ができていないお前だよ」
「なんだと?」
メガネの表情は一転して怒ったような驚いたようなものになる。人質の一言で喜怒哀楽がころころと変わるとは、凡夫以下の小物め。
「自分で自分を傷つける人間に、人質の価値があるのか?」
「ぬな! ……お前まさかそのために!?」
メガネの喜怒哀楽がまた変わる。どこまでも間抜けに、次は完全な狼狽だった。
人質は無事だからこそ、人質としての価値がある。己の要求を通すため多少傷つけることはあっても、間違って死ねばそれで終わりだ。このまま放っておけば勝手に死ぬかもしれない奴に、人質としての価値なんてあるわけがない。
「さあ、君達もどうする? 俺が死ぬのを待つかい?」
ありゃりゃ、彼女達まで俺のアクションが理解できないようで、呆気にとられている。展開が急過ぎたか。ならしょうがない、もう一押しだ。
「これで足りないというなら、次は此処かな?」
そう言って俺は、ナイフを首に当てた。今度は切り裂くのではなく力を入れて押し付けるように。
ナイフと首の間から血が滲み始めた時、少女達が弾かれた様に杖を拾い上げ動き出した。