一月七日

 わたしは絵を描くのが好きだ。
 可愛い絵も好きだけど、描くのはいつもわたしが夢見る正義の味方。
 わたしがなりたい、わたしじゃなれない、スーパーヒーロー達の絵だ。
 時々、こんなヒーローを描いてみよう! みたいな、絵のアイディアが浮かんだりすることがある。
 それを忘れないようにするために、日記を付けてみることにした。
 思いついたアイディアだけじゃなくて、今日あった嬉しいこと、格好いいなって思ったことなんかも残しておけば後々絵のネタになったりするかもしれない。
 だからメモ帳じゃなくて日記にした。
 できるだけ毎日書いていきたいな。
 いつか飽きちゃうかもしれないけど、やれるだけやってみよう。
 絵も日記も、継続することが大事だから。

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 二月二十六日

 人が何かに憧れるのは、自分もそうなりたいからだと、何かの漫画で読んだことがある。
 自分が理想と遠ければ遠いだけ、ヒーローに強く憧れるんだって。
 それを聞いたとき、わたしはとても納得してしまった。
 だって、わたし自身がクラスの誰よりヒーローに憧れていて、誰よりヒーローから遠い存在だから。
 自分がなりたい姿を求めて、白い画用紙に理想を描きあげる。
 それでわたしが理想の自分になれるわけじゃないのに、だけどわたしが彼らを近くに感じる方法はこれだけだったから。
 だから描く。
 描いて。
 描いて。
 描いても。
 描いても。
 わたしが求める、わたしだけのヒーロー。
 どうせ掴めないのなら。
 どうせ眺めるだけなら。
 せめて、わたしだけが見えるここにいてほしい。
 そう思っていたのに――気が付くとわたしはヒーローになっていた。
 バッドエンド王国から世界を守る、正義の味方。
 だけど違う。
 同じなのに、同じだけど、わたしが描いた理想はこうじゃなかった。
 理由はわかってる。
 プリキュアになっても、わたしはわたしだから。
 わたしのままだから。
 弱いわたしのままだから。
 だけど、理想のヒーローは、わたしがプリキュアになってすぐわたしの前に現れた。
 颯爽と大地を駆け抜け悪者をやっつける。
 自然の中を吹き抜ける一陣の風のように爽やかなヒーロー。
 彼女の名前は、キュアマーチ。

 お母さんにお風呂へ入りなさいと言われたので、続きは明日にしよう。
 これはわたしだけの日記帳なんだから、わたしが好きに書けばいいんだから。

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 二月二十七日

 なおちゃんを初めて意識したのは、放課後に部活でなおちゃんがサッカーの練習をしている時だった。
 思い通りの絵が描けなくてふと窓の外を眺めたら、グラウンドをかけるなおちゃんの姿が見えた。
 真剣な眼差しでボールを追いかけていて、だけど、それ以上に活き活きとして本当に楽しそう。
 その日、わたしは初めてクラスメイトをモデルにヒーローを描いた。
 ただそれだけの話。
 それ以来、何かが変わったというわけじゃない。
 格好いいと思ったけど、それだけだった。
 だって、なおちゃんの姿はテレビの向こう側のことみたいだったから。
 住む世界が違うから、手を伸ばそうとも思えない。
 わたしはスーパーヒーローが大好きだけど、憧れのヒーローになれると本気で考える人は、そんなにいないと思う。
 わたしにとってなおちゃんは、そういう『キャラクター』だった。
 それが変わったのは、あの日。
 なおちゃんがプリキュアになった日。
 姿は違っても、その強さと格好よさは、わたしが描いたヒーローそのものだった。
 さっきはわたしはヒーローになれると思えないって書いたけど、もっと小さな頃は、大きくなればいつかわたしも強くなってヒーローになれると信じてた。
 そうしてホントに偶然でヒーローにはなれたけど、心はちっとも強くなったと思えない。
 それはやっぱり、わたしはヒーローに向いてないから。
 なおちゃんは、プリキュアになる前から格好よくて、なってからはもっと格好よかった。
 なおちゃんはヒーローだから強いんじゃない。なおちゃんは強いからヒーローなんだ。
 初めて見たアカンベーにもわたしみたいに怯えたりしなくて、家族を守るため勇敢に立ち向かう。そんなヒーローのなおちゃんと、わたしはチームになって前よりもずっと仲よくなれた。
 わたしの想う理想の姿が、手の届く『人』になった。
 嬉しい。
 そして、不安だった。
 わたしなんかが、なおちゃんと同じプリキュアになってもいいのかな……って。

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 四月十日

 今日は、わたしにとって少し特別な日になった。
 あくまでわたしにとって、でしかないんだけど。
 そう、だってこれは、わたしが勝手に嫌な子になっただけ。なおちゃんからすればなんてことない、いつものできごとだったと思う。

 放課後、気が付くとわたしだけが教室に残って絵を描いていた。
 ここだけ描いたら家に帰ろうと思っていたのに、ついつい没頭しちゃって、知らない間に皆は帰ってしまってたみたい。
 いけない、もうすぐ下校時刻だしわたしも帰ろう。そう思って帰る支度を始めたら突然、誰かが教室に入ってきた。
「あれ、やよいちゃんまだ残ってたの?」
「なおちゃん……!」
 本当にびっくりした。
 なおちゃんが部活動の後教室に戻ってくることなんてめったにない。
 いつもならここまでおどろきはしないんだけど、向こう側にいたはずのヒーローが、思いもよらないタイミングでわたしの前に現れた。そのシチュエーションが、わたしには何か特別なことに感じられたから。
「おどろかせちゃったかな? ごめんね」
「ううん、大丈夫」
 なおちゃんは何をするわけでもなくわたしの方へとやって来て、距離が自然に縮まる。
「絵を描いてたら熱中しちゃって、こんな時間になってたんだ」
「そうだったんだ。相変わらずやよいちゃんは絵が上手いねぇ」
 みゆきちゃんが応援してくれてコンクールに出て以降、わたしは前より自分の絵を隠さないようになった。わたしの絵を見て笑顔になってくれる人がいることを知ったから。
 けど、やっぱり面と向かってほめられるのは恥ずかしい。
「わたしなんて、全然だよ」
「やよいちゃんはもっと自分に自信を持っていいと思うよ」
 そう言われても、わたしよりが上手い人は他にもたくさんいる。それは事実だから。
「可愛くて絵も描ける。それがあたしの知ってるやよいちゃんだよ」
 恥ずかしさで自分の顔が一気に赤くなった。なおちゃんは、本当に直球勝負過ぎるよ!
「なおちゃんなんて、サッカー部のエースで皆の人気者じゃない」
 試合の後なんて、なおちゃんの周りには人だかりができて、近付くことさえできない。きっと学校の二年生でなおちゃんを知らない人はいないと思う。
「あたし? あたしは男っぽいって言われちゃうしさ」
「そんなことないよ」
「やよいちゃん?」
「そんなこと、ない……」
 なおちゃんは男っぽいんじゃなくて、格好いいんだ。
 皆に好かれて、真っ直ぐで、わたしとは正反対の女の子。
 わたしとは正反対のスーパーヒーロー。
 わたし達がプリキュアにならなかったら、こんな風に二人で仲良く話をすることなんて、卒業するまでなかったと思う。
「そう言えば、なおちゃんはどうして教室に戻ってきたの?」
 わたしのせいで会話の空気が変になっちゃったので話題を変えた。
「ああ、あたしはね」
「お待たせ、なお。あら、やよいさん、まだ残ってらしたんですか?」
 スーパーヒーローには、もうお似合いのヒロインがいた。
 なおちゃんは、わたしだけのヒーローじゃない。
 それを悲しいとは思わない。
 ただちょっと寂しいだけ。
 テレビの向こう側にいるヒーローは、わたしだけのヒーローじゃないと、はっきり見せられた気になるから。
 わたしが『人』だと感じても、なおちゃんから見たわたしは『キャラクター』以上の存在にはなっていない。
「みゆきちゃんも一緒に帰らない?」
「ううん、わたし帰りにちょっと寄るところがあるから」
「それは残念ですね」
 わたしは嘘を吐いた。
 なんとなく、二人の邪魔になっちゃう気がしたから。
 こんなことをしても、後で辛くなるだけだってわかってるのにな。
「ごめんね」
 嘘吐きでごめんね。
 こんな弱いわたしでごめんね。
「いいよ気にしないで。こっちこそ無理言ってごめんね」
 ああほら、なおちゃんの言葉でもうチクリと胸に痛みが走ってる。嘘を吐いた、わたしへの罰だ。
「わたし、机片付けてから帰るから」
「それでは、お先に失礼しますね」
「バイバイやよいちゃん。また明日ね」
「うん、バイバイ」
 わたしは小さく手を振って、なおちゃんとれいかちゃんの二人を見送った。

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 五月二十八日

 体育祭は好きじゃなかった。
 運動が苦手なわたしじゃ、どの競技に出てもビリになるのは最初から決まっている。
 体育祭なんて、出たい人だけが出ればいいのに。
 わたしはプリキュアになってもずっとこのままで、なおちゃんみたいに格好よくなれない。
 わたしはヒーローにはなれない。
 わたしはわたしにしかなれない。
 だけど、どうして?
 なおちゃんはこんなわたしをリレー選手に選んだの?
 ビリになるのが嫌なんじゃない。
 いや、やっぱりビリは恥ずかしくて嫌だけど、一番の問題は別にある。
 わたしがビリになって、皆に迷惑をかけちゃうのが嫌だった。
 そんなわたしに、なおちゃんは言った。「勝ち負けなんて気にしなくていい」って。
 そして、一緒に頑張ろうと、わたしに言った。
 わたしの知っているなおちゃんは、いつも飛び抜けていた。
 サッカーでも、なおちゃんのプレーがチームメイトの誰より上手いから、他のメンバーが引き立て役のように見えることだってある。
 なおちゃん自身はそんなこと全く考えてないのだろうけど、それだけなおちゃんはすごい。
 今日もわたし達五人で走って、バレー部で運動しているあかねちゃんにさえ、大差を付けて圧勝してしまった。
 そんななおちゃんが、クラスの中で一番足の遅いかもしれないわたしと一緒に走りたいと言った。言ってくれた。
 キュアピースとしてでなく、黄瀬やよいとして、なおちゃんがわたしを頼ってくれたんだ。
 なおちゃんと一緒に走る。
 なおちゃんと一緒に頑張る。
 自信はない。
 わたしなんかがどこまでできるかわからないけど、きっと足を引っ張る結果になっちゃうんだろうけど、一生懸命やってみよう。
 一直線で、素直な、なおちゃんの目を見てわたしはそう思った。

 それと、みゆきちゃんが思っていたより足が速くてびっくりした。
 れいかちゃんだって、毎日ランニングしてるって言ってたのに……。

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五月三十一日

 数日ぶりの日記になっちゃった。
 最近は毎朝早く起きて、リレーの朝練をしている。放課後も下校時刻まで練習をしてずっと走りっぱなし。
 すごく疲れて、帰ってご飯を食べたらすぐに眠ってしまう。
 そんな毎日だった。
 あんまりふらふらになって帰ってくるので、お母さんを心配さちゃったから体育祭でリレーの選手に選ばれたと正直に話した。
 わたしは運動が苦手だと知っているお母さんは、それはもうびっくりしていたけど、それでも無理しすぎないようにねって応援してくれた。
 わたしがリレー選手になることを反対する人もいるのは知っている。
 けど、こうして応援してくれる人も、なおちゃん達も含めてたくさんいるんだ。
 頑張ろう。

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 六月一日

 今日もタイムが上がった。
 皆に比べるとまだまだ遅いけど、こんなに速く走れたのは生まれて初めて。
 なおちゃんが「努力の結果だよ」と言ってくれたのが、とても印象的でずっと記憶に残っている。
 体育祭までもう少しだ。
 明日も一生懸命走ろう。

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 六月二日

 やっぱりわたしじゃ駄目なんだ。
 どんなに頑張ってもわたしじゃ足を引っ張るだけ。
 弱いわたしがいくら頑張って、弱いのは変わらない。
 皆の視線が辛い。
 皆の声が恐い。
 ごめんねなおちゃん。
 やっぱりわたしはなおちゃんのようにはなれないよ。
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ

 泣いたまま眠ってノートがくしゃくしゃになっちゃった。
 涙で、途中の文章が読めなくなってる読み返したくもないけど。
 もう次の日の朝になっているけど、わたしの心は昨日のままだから、学校へ行く前にここに書いておこうと思う。
 書き残しておこうと思う。
 何を書いたらいいのかもわかってないけど、何かをしてないと不安で学校に行くのも嫌になってしまうから。
 後数分だけど、時間までこの日記を書いていよう。
 わたしもなおちゃんみたいになりたい。
 皆に期待されて、その期待に応えられるわたしになりたい。
 どうせ負けるなんて声を聞きたくない。
 どうせ負けると思う自分になんてなりたくない。
 なおちゃんの後ろじゃなくて、隣を走れるわたしになりたかった。
 けど現実はわたしの前に皆がいて、わたしの後ろには誰もいない。
 必死に走って手を伸ばしても、わたしはそこに辿りつけないんだ。
 あれもない。
 これもない。
 わたしにあるのはわたしが描いたヒーローだけ。
 わたしが作った空想だけ。
 わたしが望んだ世界が、わたしの逃げ場所になったみたいだった。
 ああ、もう時間だ。
 それでも、今日という日からは逃げられないから、体育祭からは逃げられないから、わたしは学校にいく。
 行かなきゃいけなかった。
 苦しいよ。

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 六月三日

 今日の日記はなんて書けばいいんだろう。
 書きたいことがたくさんありすぎて、だけど言葉にしようとすると、上手くまとめられない。
 描きたいものはイメージできてるのに、うまく線が引けない時みたいなもどかしい感覚に似てる。
 皆、精一杯頑張っていた。
 皆、全力を尽くして走りきった。
 わたしも、たくさん抜かれちゃったけど、最後まであきらめず走った。
 走って走って、皆がわたしを応援してくれた。
 クラスの皆が、わたしに声援をくれた。
 わたしのために。
 わたしのことを。
 自分の最後は、実を言うとあまりよく覚えていない。
 しんぞうが飛び出そうなくらい息を切らせて、苦しくて、それでも皆の声援がわたしの背中を押してくれた。
 それだけしか覚えてない。
 それだけはしっかりと覚えてる。
 わたしはバトンに自分の気持ちを全てを込めて、なおちゃんへと渡した。
 ううん。わたしだけじゃない。
 あのバトンには四人の心が込められていた。
 そんな大切なバトンを受け取ったなおちゃんはとても力強くて、どうしてかは自分でもわからないけど、お父さんみたいだと思った。
 お父さんのことは、もうあまり覚えてないはずなのにね。
 わたしはみゆきちゃんに支えてもらって、なおちゃんの走る姿を見守った。
 なおちゃんは本当に速くて、わたしが抜かれた選手達を、次々と抜き返していく。
 そして最後の一人、リレーが始まってずっと一位だった選手まで……なおちゃんは抜き去った。だけど、そのまま一位でゴールすることは叶わなかった。
 最後の最後、なおちゃんはつまづいて、倒れてしまったから。
 なおちゃんは、すぐ立ち上がって走り出した。
 だけど、他の選手は全員次々とゴールしてしまっていて、わたし達のリレーは最下位という結果で終わった。
 わたしは泣いた。
 皆も泣いた。
 それはビリだったからじゃない。
 もう順位なんてどうでもよかった。
 なおちゃんが最後まで、わたし達の想いをバトンでつないでくれたから……。
 あの時のなおちゃんは、誰よりも一生懸命で、誰よりも輝いていた。
 最後の瞬間まであきらめずに、どこまでも真っ直ぐ全力で。
 だから、わたしの頑張りは、わたし達の絆は、きちんと最後まで切れることなくゴールまで届いた。
 あきらめなかったから、わたし達はここまで来れたんだ。
 わたし達はなおちゃんに抱きついて泣いた。
 なおちゃんは悔しくて泣いたけど、わたしは嬉しくて泣いた。
 みゆきちゃんもあかねちゃんもれいかちゃんも嬉しくて泣いた。
 わたしの心は一つになって、クラスメート達もそれは同じだ。
 皆がわたし達をたたえてくれて、わたし達は五人で肩を組んで、泣いて、そして笑った。
 いつも泣いた後は、なんであんなことで泣いたんだろうって自分が嫌になるけど、今日の涙を後悔する日なんて絶対に来ない。
 ずっと近くにいても遠くに感じられたなおちゃんが、今はとても近くに感じる。
 それは、きっとなおちゃんも同じ気持だって、自信を持ってそう言える。
 なおちゃんは教えてくれた。
 大事なのは結果じゃない。
 どんなに辛くても、あきらめないこと。
 最後まで走り抜くことが、何よりも大事なんだ。

 家に帰るとお母さんが「よく頑張ったね」と抱きしめてくれた。
 ここでも少し泣いちゃったけど、これはわたしだけの秘密。
 努力は報われる。それは目に見える結果だけじゃない。
 流した涙と触れたぬくもりだって、かけがえのない大切な想い出になっているから。

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 わたし、黄瀬やよいには憧れの人がいる。
 だけどわたしはもう憧れているだけじゃない。
 一緒に走って、絆をつなぐことができる。
 わたしの隣には、みゆきちゃんがいて、あかねちゃんがいて、れいかちゃんがいて、そしてなおちゃんがいる。
 わたし達は五人揃ってプリキュアだ。
 なおちゃんには皆がいるけど、わたしにも皆がいたんだ。
 遠いのも近いのも、わたしが勝手にそう決めてただけ。
 そうして、わたしは今日も明日も窓から外を眺める。
 サッカーのフィールドを走り回るなおちゃんは、今日もヒーローだ。
 あの日の悔し涙はもう流し終えて、今日は今日の汗を流してる。
 あの日のなおちゃんの姿は、今でもしっかりとわたしの心に残っている。
 そして、あの日があったから今日がある。
 悲しい想い出も明日のための力に変えて、なおちゃんは、わたしは、今を一生懸命に頑張る。
 今までも、これからもずっと……なおちゃんだけじゃなくて、わたしもそうやって自分の道を走っていく。
 わたしは、わたしのヒーローになりたいから。
 わたしはもう、ヒーローになることをあきらめたりなんかしない。
 頑張って頑張って、今日を昨日に、明日をもっといい今日に変えていく。
 皆で。
 五人で。
「わたし達の心はいつも一緒だもんね」