それが親として、同時に管理局員としてのミゲルが背負う責任だった。
「あっぶないなぁ。こんなの当たったら死んじゃうよ」
 が、駄目。
 ミゲル渾身の一撃は鏡の寸前で激しい抵抗にあい、余剰魔力を散らしながら停止した。
「ぐぬぅ! 貴様、読んでおったな」
 抵抗の正体は極少のシールド。
 予想外の防御方法に、ミゲルが僅かな数瞬ではあるが無防備となる。そしてそれは、敗北への致命的な原因へと繋がった。
 地に足をつけて、すぐまた鏡は全力で地を蹴りデバイスを前方へ突き出す。
 刺突の先にはミゲルのデバイス、その核となる部分。相手のデバイスを無効化するならば、デバイスを構成する核を狙う。これは鏡がエミリアの教えに従った戦略的な武器破壊である。
 かつてミゲルに父が使い込んできた自慢の逸品として、見せてもらったこともあるデバイスである。無力化するためには何処を破壊すればいいのかまで鏡はしっかりと記憶していた。
「あは。これでお義父さんの武器はお終いだね」
「馬鹿な!」
 ミゲルは一歩後ずさり、使用不能となった自身の武器を見つめて、苦々しく吐き棄てる。こみ上げる悔しさは、ただ敵であり犯罪者である息子に、敗北したからだけではない。
「こんな虚弱なシールドで私が止められるなどッ!」
「魔力の盾だけじゃないよ、大気を凍らせたの。二つを合わせれば、小さな盾でも一撃くらいなら止められるんだ」
 魔力の物質変換を使用した物理防御であり、エミリアもまだ教えていない守り方。これもやはり、エミリアが認めた鏡の類稀なる感性の発露である。
 意表を突かれたミゲルに防御の術は無く、また戦闘を続ける術も失った。事実上の敗北だ。
「そんな技術をいつ学んだのだ、鏡」
「水って冷やすと、氷になって硬くなるでしょ? だから、空気を凍らせればぶつかる魔力を止められるかなぁって」
 鏡の本能が、その場でミゲルを墜とすための戦法を導き出した。幼き天才の素質は、実戦の中で次々と覚醒されていってるのだ。
 大気冷凍で魔力攻撃をとめようとする発想は、魔導師としても稀有だろう。しかし、何らかの手段でミゲルの斬撃を防ぐかもしれず、次の一手を思案するのはミゲルとっては当然の思考だったと言える。それをミゲルは怠った。
「これはお前が守りを固めていると読めなかった、私のミスか……」
 ミゲルはとっくにピークを過ぎているとは言え、体力も技術も幼い鏡に比べれば遥かに上をいく。何より、魔導師としての年季が鏡とは比較にならない。
 けれどもミゲルは自身の積み上げられた経験より、今現在の感情を優先してしまった。それはすなわち、焦り。
 幼子が放つ圧倒的な狂気。それに気圧され勝負を急いだのだ。鏡の能力を把握し切れないままにトドメを刺そうとした。その結果に生まれた失態が、この敗北である。ミゲルは鏡に負けるべくして負けたのだ。
「さてっと、お義父さん。言うこと聞いてくれないから、お仕置きだよ」
 鏡が妖しく笑みを浮かべて、ミゲルへ次々と魔力弾を撃ち出す。
 それらをデバイスがないままシールドを張りつつ掻い潜り、ミゲルは逃げ回る。だが、そんな悪あがきは、すぐに限界を迎えてしまう。
「うお!?」
「そーこだ」
 無理な体勢で受け止めた魔力弾の反動で体勢を崩したミゲルを、鏡は見逃さない。躊躇いなく振るわれた魔力刃が、ミゲルの右腕を肩口から切断した。
「嘘……でしょ? あなた!」
「ぐううぅぅ!」
 落とされた腕から鮮血が噴出し、辺りを一色に染め上げていく。ミゲルは歯を食いしばりながら、腕の損失による激痛に耐えている。そんな意地も、鏡が次に起こした行動により一気に破壊された。
「うがああああああああ!」
「あーほら、動くと危ないよ」
 じゅうっという肉が焼ける音がミゲルの切断面から鳴る。鏡が、血の吹きこぼれる肩に魔力刃を押し当てたためだ。
 ミゲルの悲痛な叫びに、ミゲルの妻は両耳を押さえてひたすら首を振り続けてひたすら逃避する。受け入れられないのなら、逃げるしかない。
「これで血は止まったよ。僕だってお義父さんを殺したくなんてないんだよ。僕はお義父さんのことが大好きなんだから」
「うおおお、ぐががが」
「これでわかったでしょ? 大人しくしててよね」
 脂肪の焼けた独特の臭いが立ち込める中で、しかし、
「まだだ、まだ終わるわけにはいかん」
 ミゲルは懐から新たに凶器を取り出し、ゆっくりとその凶器が持つ刃を煌かせる。
「そんな小さいナイフでどうするの? そんなんじゃ戦いにならないよ」
 意図が掴めず小首をかしげる鏡。
 ミゲルは自分の首筋へとあてた。そして――
「お前を止められぬなら、せめてお前という怪物を生み出した責任を取らねばならぬ。すまない、お前」
「あなた、嫌ああああああ!」
 ミゲルの首から激しい血が迸り、力なく前のめりに倒れる。そこにずっと後ろで二人の行方を見守っていた妻は、夫の最後を目の当たりにしショックを受け止めきれずに気を失った。
 それを見つめる鏡は気の抜けたようにその場へ立ちつくしている。
「どうして? 僕が勝ったから僕が正しいんでしょ? 責任って何なの? ねぇ、教えてよお義父さん」
 鏡の問いかけに答えることが出来る者は、この場には誰一人として存在しなかった。
 ミゲルの妻、つまり鏡の義母が目を覚ましたのは暗い地下室の片隅だった。
 それに気が付いた鏡は、倒れた母を労わろうと近付いていく。
「あ、起きたんだね。お義母さん」
「っひ!」
 義母は目覚めて薄ぼんやりとしたの中で、何があったのか記憶の糸を手繰ろうとした。だがそれより先に血塗れの鏡が視界に入り、その必要性は無くなる。彼女は思い出してしまったのだ。自分が気絶する前に起きた惨劇を。悲劇を。地獄を。夫の死を。
「ねぇ、お義母さん」
「近寄らないで! あなたなんか私の子供じゃないわ!」
 義母に否定され、鏡はあからさまに表情を沈ませた。鏡にとっては自分の過去を思い起こさせる、ともすれば義父の自殺よりも大きな傷になり得る言葉だ。
「そんなこと言わないでよ。やっと出来たんだよ僕のお花畑。ね? 綺麗でしょ? 凄く大変だったんだよ、お花作るの。お義父さんとお義母さんに見てもらいたかったの。お義父さんは死んじゃったから見せられないけど。でもね、だからお義父さんもお花に――」
 鏡が全てを言い終える前に響いたのは義母の絶叫だった。心の底から徹底的なまでに現実を否定し拒絶する、そんな悲鳴だ。
 その姿を見て、再び鏡は思い込んで悟ってしまう。自分はあの頃と同じ、ずっと孤独の中にいたのだ。これまでの愛は全て上っ面だけの偽物だったと。
 北城家もボウレッグも、鏡を愛していた。どちらの家族愛にも偽りはない。壁を作ったのは鏡のあまりに底が見えない狂気であるのだが、実際に突き放された鏡には、そんなことはもはや関係ない。大事なのは、孤独という現実であり、過去の事実ではないのだ。
 ああ、やっぱりそうなんだ。誰も僕を受け入れてくれない。理解してくれない。褒めてくれない。僕が本気で何かすると皆が皆、それを否定する。
「じゃあもういらない。誰もいらない。“私”は一人で私のお花畑を作り続ける」
「ひぃぃぃぃ!」
 鏡の深い深い沼に沈み込んだような、どろりとした瞳が義母を見つめる。
 義母は逃げようとするが、身体が思うように動かない。必死に地面を這っているのだが、声だけが高くなり、とても鏡からは逃げ切れるような速度ではない。焦りが逆に移動の邪魔をしているのだ。たとえ彼女が万全であったとしても、鏡から逃げ切れる可能性などないのだが。
 鏡はただただ歩くだけ。それでも義母との距離は徐々に縮まっていく。
「嫌嫌嫌嫌いいいいいい痛っ!」
 そうして最後の足掻きも、鏡にスカートの裾を踏みつけられて徒労に終わった。
 義母を見下ろし、言葉も表情もなく鏡はデバイスを振り上げる。一際甲高い絶叫を響かせて、屋敷の住人はただ一人となった。独りとなった。
 されども第二の狂宴はまだ終わらない。幼い狂気は続行され、侵攻する。