鏡の家庭教師を引き受けている魔導師がいた。
 彼女はまだ二十三歳という若さだが、今までに何人もの魔導師を指導してきたその道のベテランだ。その中にはAランク以上にも成長し、時空管理局でエースと呼ばれるレベルの実力を身につけた者までいる。
 彼女の名はエミリア。優秀な指導者が少ないことが問題の一つとして指摘されている時空管理局では、彼女をスカウトする動きもあった。それくらいにエミリアは貴重な人材だ。
 それでも彼女は時空管理局に一度たりとも在籍しておらず、引き抜きも全て丁寧に断っている。
 何人もの魔導師達をいっぺんに指導をするよりも、一人に付っきりで技術や知識を叩き込む方が細かい部分まで見れるし、人としての繋がりも濃くなるとエミリアが考えているためだ。
 他にも特徴として、エミリアは幼い少年少女に指導することが極端に多い。ある程度成長した魔導師というのは、戦闘に癖がついていたり、戦術に変なこだわりを持っている場合がある。こういうものは中々矯正しにくいケースも多く、後にエースオブエースと呼ばれる教導官すらも、指導で突撃志向がある部下の暴走を止められなかった程だ。
 しかしまだ魔法を覚えたての幼子ならば、癖がつく程の経験も無いし、教えられたことを素直に学べる純粋さがある。子供の方が外国語の発音を聞いたたまま発声し、大人よりナチュラルに発音できるのと同じ原理だ。
 それともう一つ、彼女には密やかな趣味があった。
「うふふ。可愛いですよ“鏡ちゃん”」
「ホント、先生?」
 鏡は楽しそうに、大鏡に自分の姿を映しながらその場をくるくると回る。それはまるで新しい洋服を買ってもらい、はしゃいでいる少女のようだった。
 実際、鏡の衣類は男性のそれではない。
 彼が一回転するごとに、鏡の履くスカートと長髪のカツラが華麗にはためき、エミリアを歓喜させる。
「ええ、本当に可愛いわ」
「えへへ」
 本来ならば今は教導時間のはずなのだが、エミリアが少し早く指導を切り上げて、鏡の部屋にて彼にご褒美をあげていた。
 中世の貴婦人を連想させながら、頭部の大きなリボンや大量のフリルなど古典的な少女趣味を全面に押し出した装い。
 幻想性さえ感じさせる少女趣向の感性。極度の性的指向が生み出したような衣装を、地球ならまだ小学生にも上がっていない少年が着ている。
 このゴシック・アンド・ロリータ衣装の持ち主は鏡自身ではなく、エミリアだ。彼女が持ってきた衣装を鏡に着せていた。自らの教え子の中で気に入った者を、こういった服装で着飾るのが彼女の趣味である。
 女の子はそこまで反発する場合は少ないが、男子は初めこの衣装を嫌がることも多い。しかしエミリアの選んだ子は全て美少年と呼べる愛らしさを持っており、皆が彼女の手により少女そのものとしか思えない変身を遂げる。
 ほとんどの者が、エミリアの手練手管により自分ではないような感覚に魅せられ、段々ともう一人の自分を受け入れていった。これも、幼さが生み出す純粋さと呼べるかもしれない。
 鏡は特に適応が早かった。一度目の変身から、自らの姿を受け入れ女装を楽しんでいる。エミリアも今まで着飾ってきた少年少女の中でも屈指の愛らしさを持つ鏡に、酔いにも似た快感を味わっていた。
 いっそこのまま食べてしまおうか、そう思ってしまうくらいに鏡は美しい。もっとも、彼女には心に決めた大人の男性が既にいるし、倫理的な問題もあるので流石にそこまでは手を出さなかったが。
 ともあれエミリアの、これはこれでとてつもなく高度な技術により、鏡は女装することの楽しさを覚えていった。
「そろそろ時間だから脱ぎましょうか」
「えー、もうなの?」
「鏡ちゃんが一生懸命頑張れば、また着せてあげますから」
「約束だよ先生」
「はい、約束です」
 エミリアは、自分が鏡へ着せた衣装の脱衣を手伝う。
 下着も女の子のものに履き替えているので、全部脱ぐと当然裸になるのだが、鏡はまだ一糸にまとわぬ姿に抵抗を感じるような年でもない。エミリアは多少己の趣向がそっち方面にもあるので、溜まるものは溜まるが、暴発させるほど見境なしなわけでもなかった。だからこそ、生徒とのアブノーマルな行為に及びながらも、個別で教導の仕事を続けられているのだ。
 そのまま鏡が元の服に着替えてる間、エミリアはふとテーブルの上にある描きかけの絵に目がいった。
「これは“鏡君”が描いたのですか?」
「うんそうだよ。今日の練習後に、完成させようと思って置いてるんだ」
 白い画用紙の上に描かれているものは花畑だ。おそらくは庭に咲く花達を見て描いたのだろうと、エミリアは解釈する。
 このぐらいの子供が描いた絵ならば、そもそも何を描いたのかろくにわからないことも少なくないだろう。しかし鏡の描いた絵はそれとわかるだけでなく、大人が全力を傾注して描いたといわれても疑わないくらいに、高い完成度を持っていた。
「素晴らしいです。鏡君は魔導師だけでなく、絵の才能もあるのですね」
「うーん、そうかな?」
「ええ、とてもよく描けてますよ。間違いなく先生より上手です」
 エミリアがそう評価したのは、別にエミリア自身が絵を苦手としているからではない。ほぼ直感的に鏡のセンスには勝てないと悟ったからだ。
 鏡は、普通の子供が抱いている感覚からは少し離れたところにいるのではないだろうか。と、常々エミリアは思っている。
 それは彼の訓練での動き方などからも、時折垣間見えていた。鏡の使用する魔法自体はほとんどが彼女に教わったもので、一般の魔導師と大きく変わるものではない。それら魔法の扱い方やタイミングに独特なセンスが感じられるのだ。これらを悪癖と断じて直してしまうのは難しくない。しかし鏡の感性を上手く活かして育てられれば、むしろ彼だけの個性として強力な武器に発展するのではないか。そこまで考えて、エミリアはそのまま教導を続けている。
 流石はミゲル提督が目をかけた少年。この子がこのまま成長すれば、間違いなくエース級にまで達するでしょうね
 というのがエミリアの予測であり、そしてその予測は日に日に確信へと変わってきている。
「でも、何か違うんだよ。庭のお花畑が綺麗だったから描いたんだけど、違うの」
「違う? 私は一目見ただけで、庭のお花達かなと思いましたけどね」
「形は似てると思うだけど、綺麗じゃないんだ。僕の作りたい花は、これじゃないような気がする」
「難しいことをいいますね……本当に芸術家みたいです」
 うんうんと唸りだした鏡の頭を、エミリアは優しく撫でた。ああ、かわいいなぁ。と、内心少しだけ興奮しながら。
「うみゅ?」
「ふふふふ。鏡君がここまで一生懸命考えて描いているんです。きっといつか鏡君が求めるお花が描けますよ」
「うん! 先生、僕頑張るよ」
 両拳に力を入れて握り、鏡は自分の意気込みを示した。その様子を見てエミリアも、完成すると良いですねと呟き、微笑む。
 それから数日後、このお花畑は鏡の奇抜なアイディアでもって、完成に至る。それも屋敷の誰にも想像し得ない、奇抜にして奇怪な方法でもって、だ。