「儂は何より詩都音が心配で心配で」
「お気持ちはお察しします。大切なお孫さんですものね」
 その大事な孫の詩都音の私物を狙い撃ちにする気で、部屋を調べていた人とは思えない態度だ。たっ君のこういう姿は、まさにペテン師だと思う。
「儂みたいな老い先短いじじいには、もう孫は一番の宝物なんですよ。もし詩都音がいなくなれば、儂は何のために生きていけばいいのかすら、わかりゃしません」
 大切な子供と、孫の耶徒音を失い、加世さんも段々と大切な思い出を失っていく。義直さんにとって、詩都音はもう最後の希望なんだ。
 自分を照らしてくれる大事な光が、不条理な事故で家族を失った時と同じく、また失われるかもしれない危機に陥ってる。私なら、そんなの怖くて不安で、きっと耐え切れない。
「どうか、詩都音だけは、詩都音だけは、助けてやってください!」
「ええ、わかりました。必ず彼女だけでなく、義直さんと加世さんも、私達が保護して殺人鬼を捕まえてみせます」
 たっ君が義直さんに向け、力強い口調で誓いを口にした。義直さんは「お願いします」と頭を下げるばかりだ。この誓いに、私の気持ちも乗せて頑張らないと。
「私も全力で犯人を逮捕します」
 義直さんに合わせて、私も目を瞑りお辞儀して下を向く。と、突如玄関のドアから物音がした。ドアを思いきり開き、勢い余って壁にぶつかった音だろう。続けて間髪入れずに廊下を走る音。かなり急いでいて、音が大きく間隔はとても短い。
 私は反射的に目を開けて、たっ君を見た。たっ君はあくまで冷静なままで、
「どうやら詩都音さんが帰ってこられたようですね。しかも随分と慌ててるようだ」
「たっ君!」
「行くよフェイト」
 私達は立ち上がって、横開き式になっている居間の扉に手をかける。
「あの、儂は……」
「危険かもしれません。義直さんはここでじっとしていてください」
 それだけ忠告するように答えると、たっ君は扉を開けて走りだした。私もすぐ後ろに続いて急ぐ。
 詩都音の部屋はすぐそこで、扉は開け放たれていた。さっき詩都音の部屋を出た時は、私が戸締りを確認していたら、家に入ってきた誰かが開けたのは間違いない。
「詩都音! 詩都音なの!?」
 彼女の名前を叫んで、私は部屋の前に立つ。
 そこには、
「ああ、そんなところにいたんだね、耶徒音ちゃん」
 そこには……。
「私の耶徒音ちゃん。愛しい耶徒音ちゃん。大好きな耶徒音ちゃん」
 そこに居たのはやはり詩都音だった。
 だけど、詩都音だけじゃない。
 詩都音の胸の中にもう一人詩都音がいるから。
 詩都音は愛しそうに、抱きしめていた。自分と、同じ顔の首を。首だけを。
「耶徒音ちゃん。耶徒音ちゃん。大好き耶徒音ちゃん」
 そして詩都音は、首だけの自分を、耶徒音と呼んで口付けを交わした。立ったまま自分の目線まで持ち上げて、生首とキスをした。
 どうして、何がどうなってるの?
 どうして、詩都音が耶徒音の首を持っているの?
 抱きしめているの?
 キスしているの?
 どうして?
 どうして?
 どうして?
 どうして!?
「落ち着くんだフェイト」
 一瞬だけ心が途切れる。
 誰かが私を呼んだ。
 誰かが私に触ってる。
 二つの手。それが私の肩に乗り、掴んで、私を呼んでる。
 手がお喋りなんてするわけない。だから私を呼ぶのは人だ。
 誰?
 振り返る。スーツと本の形をした紋章。
 少しだけ上を向くと、あ、たっ君だ。たっ君が私を見ている。
「呑まれるな。気をしっかり持って」
 呑まれる……。そうか、私は詩都音の雰囲気に呑まれてたんだ。
「でも、詩都音が」
 これが本当の狂気なんだ。暗く冷たい。物凄くドロドロとした闇の底を覗き込んでしまったような後悔が、心を蝕んでいく。
 怖い。私は詩都音が怖い。
「ちゃんと犯人の正体を見極めるんだ。未知が恐怖なら、理解してしまえばなんてことはないもんさ」
 理解する? 詩都音を、理解する。
 あの闇の中にいる耶徒音を。私なんかが理解できるんだろうか?
「ここを切り抜けるのは、俺じゃない。フェイトの役目だと思うよ」
「え……?」
 たっ君は、ほんの少し優しげに、私へ笑いかけてみせた。
「俺はここに耶徒音を逮捕しに来た。フェイトもそれだけなのかい?」
 私がここへ来た理由。
 それはたっ君と同じで、犯人を捕まえるため。これ以上、海鳴の街で殺人鬼のせいで悲しむ人を増やさないため。
 だけど――
「私は……」
 私は、それだけじゃなくて、
「私は、犯人を捕まえるだけじゃなくて」
 そうだ。そうだったんだよ。この光景を見たせいで、私はとても大事なことを忘れてしまってた。
「詩都音を助けたい」
 ここまで進んで自分から調べておいて、嫌なものを見たから逃げる。そんな自分勝手はあっちゃ駄目だ。
 恐怖を抑えつけて、もう一度詩都音を見る。詩都音はまだ首を抱き上げて、口付けをしたままだ。
 私達も視界に入らないまま、耶徒音と呼んだ首を愛している。
 すぐに目を逸らしたくなるけど、肩に置かれたたっ君の両手に支えられながら、私はそれを見つめ続けた。未知の恐怖を乗り越えるために。
「あれ……?」
 違和感は思ったよりすぐに見つかった。耶徒音の首の途切れた断面部分が黒くて、血も出ていない。
 まるで初めから首だけの存在として作られていて、見る必要のない首の下は作られていないような。
 そこに気付いただけで、詩都音への恐怖心は、自分でわかるくらいに薄らいだ。
 手品の種を見て、なんだそんな仕掛けだったのかと、呆気ない気持ちになるように。
 お化け屋敷の準備部分を見ると怖くないように。
 それが何なのかを実際に理解してしまえば、未知は未知じゃなくなる。たっ君が言いたかったのは、こういうことだったんだ。
 でも、それでも。詩都音に渦巻く暗い心への恐怖は、まだまだ残っているけど。
「まさか」
「俺も同じ予測だよ」
 考えてみれば当たり前だ。耶徒音は一年前に死んでいて、そもそも首なんて残ってるわけがない。
 詩都音の脇にある冷蔵庫が開いている。ということは、耶徒音の首はそこに保管されていた?
「ようやく出会えたな。本当に会いたくなかったよ美濃耶徒音」
「やっぱりお巡りさんが耶徒音ちゃんを捕まえに来たんだ」
 耶徒音から唇を離して、詩都音が私達を睨む。たっ君が話しかけて、ようやくこっちの存在に気付いたみたいだ。それだけ耶徒音に夢中だったんだろう。
「私達の話を聞いて詩都音!」
「フェイトちゃん……。フェイトちゃんも嘘吐きさんだったんだね」
 詩都音がたっ君への視線は憎しみに満ちていたけど、私に対して向けた目は悲しそうだった。
「違うの。これには理由があって」
「違わないよ! お友達になれるかもしれないと思ってたのに! フェイトちゃんなんて大っキライ!」
 私は詩都音を助けたいと思っている。だけど詩都音から見れば、信じていた想いを私に裏切られたようにしか見えないんだ。何を言おうとしても、全て言い訳にしか聞こえてない。
 だけど話を聞いてもらえなくても、耶徒音を詩都音から離さなくちゃ。あれが本物の耶徒音なのかすらわからないけど、何を起こすかわからない危険物であることだけは間違いない。
「詩都音、お願いだから耶徒音をこっちに渡して」
「嫌だよ。誰にも耶徒音ちゃんは渡さないから! 私と耶徒音ちゃんは二人で幸せになるんだもん!」
 私が部屋に一歩踏み込むと、詩都音を中心にして、室内に風が吹き荒れる。周りも色を失って独特の感覚に襲われた。封鎖結界が発動したんだ。これは――詩都音が魔力で風を起こしてる!?
「詩都音!」
「これは危険だ、下がるんだよフェイト」
「でも」
「耶徒音は、ヴォルケンリッターと修一を倒してるのを忘れたのか?」
 たっ君に今度は両肩を抱かれるように廊下の端まで下がらされる。たっ君はシグナム達を倒した魔法の正体を暴いてから、耶徒音と対峙するつもりだった。
 だけどこれじゃ、私達が先に仕掛けられてしまってる。たっ君はそれを警戒し、耶徒音との距離を取った。
「耶徒音ちゃん。うん、やろう。二人で耶徒音ちゃんを虐めるお巡りさんを殺すんだよ」
 詩都音が、私達を殺すとはっきり口にした。もう説得じゃ詩都音は止められないの?
 そして詩都音に応えるように、風に紫色の小さい何かが、混じり始める。
「これって、薔薇の花びら」
「どうやら仕掛けはこれからってわけだな」