認知症が本当なら、加世さんが犯人はまずあり得ない。
「ごめんねえ、耶徒音。助けてあげられなくてごめんね」
「加世さん?」
 加世さんは、まだ私を耶徒音だと思ってるみたいで、何度も何度もごめんねと繰り返して謝り続けている。
 何があったのかさえわからない私には、加世さんにかける言葉を持っていない。だけど、ずっと謝り続けている加世さんだって、すごく辛いのは私にもわかる。だって、さっきの話をそのまま受け取るなら、もう耶徒音は……。
「耶徒音も詩都音も、苦しかったろう。ごめんね」
「加世。その人は耶徒音じゃないんだ。耶徒音はもう死んだんだよ」
 やっぱり、耶徒音はもうこの世界のどこにもいなかった。加代さんのごめんなさいは、もう届かない。
 でも、だとしたら詩都音が探していた妹は、海鳴市に恐怖を与え続けるシリアルキラーは一体誰!?
「詩都音さんも辛かったというのは、どういう?」
 たっ君の疑問は、私にもあった。耶徒音がもうこの世にいないにしても、詩都音はちゃんと生きている。それでも苦しんだというのなら、二人の身に何が起きたのだろう。
「もう一年近く前になります。息子達が孫と一緒に海へ遊びに行ったんですよ。そこで事故が起きましてね。助かったのは、詩都音と、家で留守番していた儂らだけでした」
 義直さんはどこか遠い目をしながら、思い出すように語っている。とても寂しそうな目だ。
「そして奇跡的に生きてくれた詩都音も、しばらくは入院生活を余儀なくされました」
「事故とは、どのような事故でしたか?」
「それは……。うく、すみません。少し当時を思い出してしまって」
 義直さんは続きを話そうとしたけど、目頭を抑えて、うずくまってしまう。義直さんにとっては、二度と思い出すのも嫌な記憶なんだ。
 だけどたっ君の顔は、質問の意図が決して興味本位などではないことを語っていた。耶徒音の存在が闇に消えてしまいかけている今、この事故に関する情報は何よりも重要だ。だから私も止められず、事態を見守るしかない。
「お辛い記憶でしょうが、今生きているの詩都音さんやご家族を守るためなのです。ご協力をお願いします」
「……電車の脱線事故でした」
「去年のニュースでも付近のこの脱線事故は大きく取り立たされてましたね。あの事件ですか?」
「そうです。ああ、耶徒音、お前が幽霊になって人を襲っているのかい?」
 事故の話を語っただけで、義直さんは酷く憔悴した様子だった。それだけ精神的にも辛かったんだと思う。義直さんも口に出さないだけで、加代さんと同じくずっとごめんなさいを背負って生きてるだろうから。
 いるはずのない耶徒音は、事件の被害者だけでなく、耶徒音の家族まで苦しめ続けている。彼女の広める哀しみは私の想像よりずっと深く美濃家を襲っていた。
「たとえ魔法でも、死者が生き返ったり幽霊になるなんてありえません。故に、耶徒音はこの事件の犯人ではない」
「なら、誰が犯人なのですか? 誰がこの家にいるのですか!?」
 義直さんがかなり興奮した様子で、たっ君に詰め寄る。耶徒音について話し始めてから、義直さんの中にある不安と恐怖が、一気に噴出してしまっているようだ。
「重要なのは詩都音さんです」
「詩都音は、わしの孫で、普通の女の子です。人なんて殺せるわきゃありません!」
「詩都音さんには事件当夜家にいたというアリバイがあります。まだ犯人が誰かという断定はできません。しかし詩都音さんがこの事件についての鍵を握ってると、私は確信しています」
「どうして詩都音が?」
 この連続殺人事件で、唯一犯人と思われていた耶徒音の存在を直接見ているのは、詩都音だけ。そしてそれこそが、私達が耶徒音を疑い消息を追う理由だ。詩都音と直接耶徒音について話ができれば、それがどういう方向であれ、事件は進む。
「私が前回ここに来た時、彼女は大きく動揺していました。そして明らかに何かを隠してことは、一緒にいた義直さんも見ていたはずです」
「ええ、あの時はどこか不安そうでしたが」
「警察を相手にして不安がるのはあり得る話ですが、彼女は部屋に入ろうとする私を、決定的なまでに拒んだ。ああいう時は不安がりながらも、自分の潔癖を証明するために大人しく従うのが、通常の反応です。実際義直さんもこちらの話を聞いて、部屋を通してくれたでしょう?」
「えぇまぁ、うちにそんな殺人犯と関係があるなんぞ、思っても見ませんでしたしねぇ」
 警察官が捜査で尋ねてくるというプレッシャーは大きい。ほとんどの人は下手に捜査を邪魔して疑われるより、自分の無実を証明する方を選ぶ。たっ君は警察官の姿をしてここに乗り込んだのは、そういう理由もあった。
「それでも詩都音さんがあそこまで拒否したというのは、何か隠しておきたい事実があったためと考えます。二人分の飲み物があった理由も気になりますしね」
 知られたくない何かが、やましい理由があるから人は隠し事をする。とても当たり前で、隠すからこそ私達は調べなければならない。だから、
「もう一度詩都音さんの部屋の捜索と、詩都音さんと話をするための協力をお願いします」
 真実を知るために、たっ君はそう依頼した。
 初めて見る詩都音の部屋は、特に変わった部分のない、普通の女の子らしい部屋だった。特徴といえば、机の上にある手を繋いだ人形と、小さめの冷蔵庫くらいだろうか。
 この義直さんの許可を得て入っていて、義直さんは出かけている詩都音に帰ってくるよう電話をしてくれている。
「人が隠れられそうな場所は限られそうな部屋だね」
「真っ当に忍び込むならと思って、前回は押入れ漁ったんだけどな」
 たっ君にとって詩都音の部屋は二度目だ。一度目は警察官として身分を偽って入ったから、押入れくらいしか探せる選択肢がなかったんだろう。
「とにかく、何か耶徒音に繋がる事件の手がかりを見つけないとね」
 と言っても何から手をつけていいのかわからない。例えば犯人が変身魔法を使っていたのなら、人間じゃ限定されるこの空間でも、かなり自由に隠れられる。
 今の状況じゃ犯人は幽霊かもしれない状況だし、未だに一番大事な部分については何も分かっていない。
 一度私もたっ君と同じく押入れを開けてみた。中には畳まれた布団に、玩具箱や雑誌や女の子向けの漫画が、丁寧に積まれている。
「それだけだよね」
 やっぱり、押入れに人なんていない。こうなったら手当たり次第に見ていくしかないのかな。
「たっ君は何を見てるの?」
「算数のノート」
「女の子の私物を見たいだけじゃないよね?」
 たっ君の行動は、想像の斜め上だった。少なくとも、現場の痕跡を探すつもりはないらしい。
「“だけ”ではないよ」
「その目的はあるんだ」
 想像の斜め下かも……。だけど、ここまで来て目的を見失うたっ君ではないだろうし、いつもみたいに私が遊ばれてるだけの可能性が高いんだろうな。
 耶徒音はゴシックロリータの服が好きみたいだし、もしかしたら洋服の中に紛れてないかな。
「たっ君はどこまで犯人の目星が付いてるの?」
 タンスの引き出しを一つ一つ順番に調べていきながら、私はたっ君に問いかけた。何か見当が付いてて、ノートを調べているのかもしれないし。
「七割くらいかな」
 算数のノートを見終えて、次から次に別のノートをめくりながら、たっ君は気負いもないように、軽く返事をした。
「そんなにわかってたの!?」
 美濃家に入るまでは、持ってる情報は同じだったはずだ。いつのまにそこまで解き進めていたのか、さっぱりわからない。
 それに、そこまでわかっていて、私に何も教えてくれないって酷いと思うんだけど。
「ただ耶徒音の能力が何かはまだわからない。ここを解明しないまま、耶徒音らしき何かと対峙するのは避けたいんだがな」
「そうだね、これまでみたいに、追い詰めても逃げられたり、こっちが倒されるかもしれないし」
 耶徒音の正体を暴いても、耶徒音の力を突き止められるとは限らない。これはまた別の独立した問題として、私達に立ちはだかったままのようだ。
「やっぱりたっ君は凄いね。私はただ見てるだけだし」
「適材適所だよ。それに、フェイトが執務官を目指すなら、すぐにこれくらい身につくだろうさ」
 今の私じゃ、こういう仕事ではたっ君に到底敵わない。なら私は、将来のためにたっ君を見てしっかりと勉強しよう。いつか執務官となって、私一人でも事件と向き合えるようになるために。
「フェイトは何か見つかったかい?」
「ううん、ゴシックロリータの服があるかもと思ったんだけど、見つからない」
「そっち手伝おうか? これでもかというくらい捜査しまくるよ!」
「ここは私が調べるから、たっ君は駄目」
「冗談なのに」
 気合が入りすぎてて、冗談には聞こえないよ。この余裕は七割の解答を導き出したからだろうか? 読んでたノート全部しまってるし。
「それで七割の回答を教えてくれないかな、たっ君」
「もうっちょと俺の中で情報をまとめたいから、少し待ってくれないか?」
 こう言われてしまったら、下手に邪魔をするより大人しく答えを待つしかない。追求はせずに、大人しくたっ君が話してくれるのを待つのみだ。
「うん、わかったよ」
 タンスのチェックも終わったし、次はどこを調べようかと思った時、ノックと共に部屋の扉が開いた。入ってきたのは義直さんだ。
「詩都音には電話しましたから、じきに帰ってくるでしょう。一度居間に戻りませんか?」
「わかりました。詩都音さんにも事情をお話する必要がありますしね」
 まだあまり部屋の捜査は進んでないけど、あっさりとたっ君は引き下がった。これ以上は詩都音が必要だと感じたから?
 そういうわけで、再び始めに通された居間へと戻って来てた。
「それで、詩都音の部屋で何か見つかりましたか?」
「いえ、あまり時間がなかったので、まだそこまで有力なものは。再度詩都音さん立ち会いの元で、調査を行う必要がありますね」
「そうですかぁ」
 これは多分、嘘だ。たっ君が詩都音の部屋からすぐ引いたのも含めて、詩都音と再度向きあい、直接決着を付けるためだと思う。耶徒音の能力を含めた残り三割をそこで埋めて、答えを掲示してしまう。それくらいの無茶なら、たっ君は迷わず実行してしまうから。