翠屋での休憩を終えた俺は、住宅街や小型店の建ち並ぶ歩道を円と一緒に歩いていた。
 主目的は俺の新しい衣類を購入することと、お礼として円の雑多な買い物に連れ合い、荷物持ち役となること。
 夏休みも後半だし遠からず秋物の服は必要だが、俺は一人だと面倒臭がって中々買いに行かないのを、円は数年の付き合いからすでに分かっている。だから自分の買い物ついでに、引きこもってゲームしようとしていた俺を外界へと引っ張りだした。
 今の俺に服を選べと命じても、そこら辺の安物掴んで「じゃあこれ」とレジへ持っていく体たらくっぷりを遺憾なく発揮するので、たぶんその防止策として円が選んだ服を無抵抗に購入することになる。ここら辺、本当に子供と変わりないよなぁ、俺。
 それに荷物持ちと表したところで、海鳴市は元々オフィス街のベッドタウンとして発展してきたために、大した大型デパートはない。現在向かっている服屋だってブランドより値段重視の小さな量販店であり、何軒も店を回って最後は両手いっぱいに紙袋下げるなんてはめにはならないだろう。
「たっ君もう宿題は全部終わった?」
「後はアサガオの観察日記が手付かずなだけだな。まずは種を蒔かないと」
「そんな宿題ないし、あったらもう手遅れだよね!?」
「そこはあれだ、トトロを召喚すれば良し! 大きくなあれ!」
「名作を現実逃避の道具に使っちゃ駄目です」
 そんなたわいない雑談などしながら、目的地への経路を半分過ぎた辺りだった。
 まず響いたのは鈍い鉄の音。それからすぐ男の怒鳴り声が鼓膜に不快な振動を与える。
 これがギャルゲーなら、ほぼ間違いなくイベント扱いだよな。それで音のした方に行くを選ぶと、美少女が不良に絡まれているわけだ。
 そこでさっそうと現れて美少女を救う俺! まさしく俺、参上! 不良どもをあしらって美少女を助け出し大丈夫ですかと声をかけるが、美少女の無事を確認すると名前も告げないまま俺はクールに去っていく。
 しかし美少女は去り際、俺に小さな傷を見つけて呼び止める。美少女は俺の拳に包帯代わりのハンカチを巻いてくれたのだ。
 ハンカチを見つめる俺に美少女はお礼を告げて、今度こそ俺と美少女は別れたのだった。俺が美少女の名前を知るのは、夏休みを明けて転校生がクラスにやってきた時である。
 そんな妄想をしていたら、隣の美少女は音が聞こえたと思われる方角へさっさと走り出していた。俺に見てこいとも一緒に行こうとも告げずにダッシュしちゃうあたりが円らしいよ。
 俺も円の後を小走りで追いかけ始める。普段なら考える余地もなくパスするだろうリアルイベントだが、円が行くと決めたのなら友達として付いていくしかない。
 円は俺が追いつく前に、男のダミ声が聞こえてくる狭い路地へと入る。これじゃ走ってる間に円を追い抜いて先に立てないじゃないか、ちょっと失敗だ。
 路地に入った時点で男の声ははっきりと聞き取れるレベルになった。「ぬぁめんじゃねぇぞコラ」など脳みそをちゃんと使用しているとは思えない安い言葉が、所々に落ちてるゴミくらいには不愉快さを煽ってくれる。
 逆に言えばここまでは大した音量でもなかったのだが、円はしっかりと聞き取ってここまでやってきた。恐るべし、円イヤーは地獄耳。
「やめなさい!」
 そう声を張り上げたのはもちろん俺でなく円だ。俺は後ろから敵対する人数を確認する。
 囲んでるのは俺とそう変わらない身長の、いかにもガラ悪い野郎共が三人。一匹がそこら辺に落ちてたと思われる、汚れた鉄パイプを装備している。
 そいつらに囲まれるように壁際にいる人間も、性別は雌ではない方だった。うわぁ、もう見なかったことにして帰りたい。
 囲まれている男はかなりの大柄で、二メートル近くはありそうな身長に、ごついと証するのが分かりやすい無骨な肉体。不良達の脇から覗けるだけでも首や腕の太さから、むしろお前らこいつらのボス何じゃないかとツッコミいれてしまいそうになる。喧嘩したら三人くらいあっさり倒してしまえるのではなかろうか?
 だけど巨体は自身に似合わぬきょどりっぷりで、いきなり現れた少女にも動転しているようだ。
 被害者と救援の男女を入れ替わるべきだよ、監督人選ミスです! と誰かに文句を言いたい気分で、円の前に身体を割り込ませる。「あんだテメェら!」
「貴方達こそ、何やってるの」
「うっせぇんだよ! かんけぇねぇ奴はすっこんでろ!」
 もう滑舌が滅茶苦茶過ぎて、脳内で漢字変換できる場所がとても少ない。しかも一々声を荒げるので、ビックリマークのバーゲンセールだ。
「関係有るよ。その子は私の友達です」
「あぁ!? だったらテメェが、こいつのせいで汚れたズボン弁償しろやコラァ!」
「ズボンですか?」
 眼前で絡まれている大男は円にとっては友達らしいが、俺にとっての友達ではない。しかし、少なくともそいつがどこの誰かという最低限の認識はある。だから俺のやる気がアップするという、熱血はイベントはございません。
「大ちゃんのズボンは特注でたけぇんだよ!」
「そうそう。最低でも三万円はするからな、ほらさっさと払え!」
 取り巻きの二人も元気良いなぁ。でもこいつらの方が聞き取りやすいので、通訳としては使える。なんたらこんにゃく要らずなのはありがたいと、素直に存在を認めておこう。
「そのズボンが高いなんて嘘でしょ。それにちょっと泥が跳ねたくらいじゃない。丁寧に拭けばそれくらいすぐ落ちるよ」
「るっせぇんだよ、女だと手ぇ出さないとってんのか、ぬっころすぞ!」
「そこのあんちゃんも何か言えよ、おい! 彼女頑張ってるのに、前に出ちゃっただけでビビっちゃってんのかぁ?」
 リーダー格っぽい大ちゃんとやらの発音が、分かりにくい通り越して軽くオンドゥル化してきたぞ!
 しかも取り巻きに話を振られてしまった。ここは俺のスキル、口八丁の見せ場だな。友好的に接して、なんとか平穏無事に事態を抑えたい。
「え、あの、別にたっ君は恋人ってわけじゃあ……」
 ママンったら、シリアスに不良と敵対してるの照れちゃった!
「ここでその反応かよ! 事態をややこしくした上にKY発言は流石に俺もどうかと思うぞ」
「俺の話を無視してんなよおいぃ!」
 いけない、ツッコミ優先で男をスルーしてしまった。おかげで襟首掴まれて、飛んでくる唾が俺の不愉快ボルテージのゲージを上げまくってくれる。
「やめて、たっ君に乱暴しないで! すぐに手を上げる人は小物だって、たっ君が言ってたよ!」
「円さんってば実はそのKY、不良使って俺を始末するためにわざとやってる?」
 円の主張により、不良達の憤怒は俺へと集中された。これはめんどくさい。
 もはや穏便な解決も望めそうにないので、ちょっと予定を修正するかなっと。
「これは暴力じゃなくて自己防衛だから、後で文句は無しだからな」
 それだけを円に告げると、俺は襟を掴んでいる拳を右手で抑え、掴まれている服の少し下部分を力ずくで引き抜いた。
 いとも容易く腕を外され虚を突かれた男。その腕に手を添え、一歩前進し手首を順手側に折り曲げる。さらに右肘をフックのようにぶつけて、男の右足の甲を踏みながら真上から投げ落とした。柔術でいう小手返しのちょっとした変形版だ。
「かはっつぅ!」
 技をかけられた男もとい取り巻きその一は、低く唸りながら転がった。投げるほうは加減してできる限りゆっくり落としてやったので、捻挫しただろう足を押さえて苦痛に顔を歪めている。
 そして一人戦闘不能にしたことにより、囲まれていた大男へ至る道が開けた。俺は無理やり大男の手首を握りこちらへ引き寄せて円いる後ろへと送り込もうとする。
 味方が瞬殺されて呆気に取られていた不良は、明らかに出遅れた。リーダー格が慌てて大男の左腕を捕るが、もう遅い。俺の引っ張った勢いがすでに慣性となり、容易くリーダー格の束縛は外れて要救助者は円へとパスされた。
 これで円がやりかったろう本懐は遂げたろう。後はこいつらを安全圏へ逃して後始末を行うだけ。
「先に店へ行け。俺もすぐ追う」
 瞬間的に円を見てそれだけを伝えると、俺はチームからコンビとなった不良に向き直る。
「わかった、約束だよ。やり過ぎても駄目だからね」
 俺か不良かどちらを心配しているのか微妙な言葉を残して、円は大男と共に逃亡を開始する。俺を置いていくのに迷いが無いのは、それだけで信頼の証だ。
 ならば俺もお姫様の信頼に報いないとな。
「てんめぇ調子こいて何曝してんだあっるぁ」
「あぁ、腕解いたので破れた俺の服、高いから十万弁償ね」
 さっきのやり取りの時に無理やり引き抜いたため、俺の服は横向きに小さく裂けている。まぁこれから新しく買うから破損してもいっかと思ったので、実行したんだけど。
「っざけんなクソがぁ!」
「折角だから教えといてやるよ。お前らみたいな奴が生き残るために必要なのは、自分自身の力より自分以上に強い者とやりあわないための嗅覚だ」
 路地裏の喧騒を数分で沈黙させ、俺はすぐに約束の店へと向かった。
 衣料品店の前に到着したが、二人の姿はない。それもそのはずだ、ここへ来る途中にメールが入っており円と大男はすぐ隣にあるたこ焼き屋で、たこの小麦粉包み焼きを貪っているはずなのだから。
 店内で食べていると言っても、客のほとんどはテイクアウトで店内には四人用のテーブルが二つあるだけ。それだけでも内部スペースの大部分を占めているのだから、いかに中が狭いかわかる。
 俺が入店すると、その貴重なようでそうでもないテーブルの一つを円達が占拠していた。余っているテーブルに客はいないので、実質貸しきり状態だ。
「大丈夫だった、たっ君? 怪我してない? それと大きな怪我させてない?」
「俺は無傷だし、あいつらも大した怪我はしてないさ。一人は無傷にして、残り二人を介抱できるようにしてある」
 扉からテーブルは数歩の距離でしかないため、入るとすぐに円がすっ飛んできて俺をチェックした。
 俺は飛行機に乗る前に金属品チェックされてる気分で肘曲げてバンザイしながら、円の問いかけに答える。
 無事に済んだのは取り巻きその二で、あいつはリーダー格が戦闘開始すぐに前蹴りで撃沈して戦意を失ったため、喧嘩らしい喧嘩はしていない。要するに、よくある生かしてやるからこいつらを片付けろ役に抜擢されたのだ。
「そっか、助けてくれてありがとう」
「いいさ、代わりに服は格好良いのを選んでくれ」
 俺が服の破れを指でつまんでアピールすると、円は満面の笑みで頷いてくれた。
「うん、約束する! っと、その前に皆でたこ焼き食べちゃお」
 テーブルにはそれぞれに三個入りのたこ焼きがジュースとセットで置いてある。全員分手付かずなので、待っていてくれたのだろう。円が引いてくれた椅子に座ると、すぐに対面する大男が座ったまま頭を下げた。
「たずけてくれて、ありがとうございまじた」
 ただお礼を言っただけなのに挙動不審で、やたら濁った重低音が少し早口で紡がれる、特徴的な大男の声音。視線も合ってはすぐ外され、泳いではまた合っての繰り返し。自分に自信が無い人間の典型例みたいな奴だ。
「別に気にしなくていい。あんた、確か藤堂(とうどう)巌(いわお)だったっけか」
「ぞうでず」
 大男改め藤堂は、初対面の俺が自分の名前を知っていたことに対して特に驚いた様子もなく、素直に事実を認めて浅く首肯する。
「たっ君も藤堂君を知ってたの?」
「そりゃま、有名人ではあるからな」
 うちの高校、風芽丘学園はあまり大きな特徴を持たない。まさしく平凡な学校だ。
 フェイトが通う学校のように、特別高い成績とそれに比肩する学費が必要なわけでもなければ、不良がグループを作ってカツアゲに精を出すほど治安に問題を抱えてたりもしていない。さっきの不良達はたぶん近くの市外から来た連中だろう。
 そこそこ自由な校風で程よく活気もある、そこいらの高校と変わらない退屈さが個人的な魅力だ。
 校舎で火事が起これば、避難訓練の怠慢を理由に数人逃げ遅れてしまいそうな平和ボケした平穏さを、俺は気に入っている。
 総合的に見ても悪くない学校だが、それでも全てが俺に都合が良いわけではない。その最たる平穏の例外として、うちの高校には三奇人と呼ばれる変わり者達が在校している。
 この三人にはそれぞれ直接的な繋がりはない。あってもお互い有名人だから顔くらいは知っている程度だろう。それでもこいつらが横に並べられているのは、それだけ単体の非凡性が高いためである。悪くと言うか、直球に言い現せば変態だ。
 その一人は言うまでもなく北城鏡。もはやコメントの必要もない三奇人中でも頭一つ抜けた変態オブ変態。
 二人目は真紅恋馬という三年で剣道部の部長だ。インターハイレベルの剣技に、特徴的なウニの如く尖った頭髪。規律が高いはずの剣道部で、どうやってあの頭ができるのかはわからない。
 真紅恋馬は恋という言葉に並々ならぬ想いを持ち続け、ついには恋による人体発火を成し遂げた最初の人類である。なにより修一をして強敵だったと語らせた、魔導師としても一定の実力者。海鳴市連続怪死事件で戦闘した敵では、今のところ唯一自分の能力を使いこなしていたと思われる。
 そして最後が二年の藤堂巌。こいつは他の二人とは少々タイプが違う。
 鏡と真紅は自分から望んで三奇人のポジションを獲得したようなものだ。
 けれども、こいつだけは他人が付けた評価だけで三奇人の仲間入りを果たしている。それは本人の意図ではないが、藤堂の体格に似合わぬ小心さからくるギャップで、最後の椅子に腰をかけさせられた。
 普通でいたいのに周りが普通の評価を下してくれずに、奇人として扱われている。そういう意味では同情すら感じてしまう奴だ。
「駄目だよ、そういう言い方しちゃ。藤堂君だって好きでこうなったわけじゃないんだから」
「事実は事実って奴だろ。お前こそ、藤堂と友達とか言ってたよな」
「それはね、去年の話になるんだけど藤堂君がクラスの子達に学校でからかわれていたのを見て、私が割り込んだの」
 そう言えば去年の円は藤堂と同じクラスだったか。このヘタレ臭漂う木偶の坊に、駄目人間は放っておけない円のレーダーが働いたのは当然かもしれない。
 去年は鏡も円クラスだったはずだから、さぞ混沌としていたのだろうなぁ。
「ずみまぜん」
「何故ここで謝る」
「だって、俺が円ざんと同じクラズになったから迷惑を……」
「あんたと円が同じクラスになったのは、別にあんたのせいじゃないだろ」
 とりあえず自分が悪者になって、話をまとめてしまう事なかれ主義者。これだって何でもかんでも自分が悪いんだと思ってしまう自信の無さが起因しているのだろう。