学校の剣道場では、早く着いた奴らが竹刀を素振りして回数など数えている。
 必死に声を張り上げているのは主に下級生。上級生という時に顧問よりうざい監視者がいるからだろう。
 一時的に人間関係の序列というピラミッドの頂点に立っている3年生は、肩に竹刀を乗せ下級生を1人1人見て回っている。
 ちなみに、この妙な表現は拓馬が個人的に吐いていた毒を基に構築してみた。すらすらと出てくるあたり、俺も何か感染してきてるのか?
 俺は所詮ゲストだし、邪魔にならないよう小さく挨拶し部屋の隅で体育座りする。たぶん数分間スルーされればこのまま寝ちまう自信有り。良い子の皆、夜更かしはよくないぞ!
 それを許さないのはやはり上級生。それと部活の本格開始までに規定のトレーニングをこなした、同クラスの2年生だ。
 1年坊主の頃からたまに拉致されて置物係を仰せつかってきたので、同級生以上の奴とは全員面識がある。
 俺を見受けた連中のとる行動は数パターンに分類可能だ。
 1年以上もの間、しつこく勧誘を続ける奴。
 毎回変人に拉致され監禁される俺を哀れむも奴。
 自分の団体戦レギュラー入りを阻むになるかもしれない俺に、疎ましそうな視線を投げつける奴。
 残りはたまに視線が合うだけでいない子扱いする奴。
 意外かどうかはわからんが、哀れみ票が最も多い。
 ここに来る度に、お前も災難だななんて言われる。
 だけど救いのハンドを垂れ下げてくれた者のは、未だかつて現れていない。
 それだけ俺を捕縛する人攫いは、変人でおっそろしい奴なのだ。
「おおぅ、修一恋してるかぁ?」
「恋って単語は、おはようでもこんにちはでもこんばんはでもないですよ、真紅先輩」
 突如後方から参上した、不躾な生き物に肩を抱かれた。
 これが女子ならちょっと強引な先輩の、嬉し恥ずかしいスキンシップ! なのだが、対象物は雄なので不快感がしか沸き起こらん。 おまけにやたらと刺々しい髪が、頬をつついて痛い。
「いいんだよ。男なら、いや人類なら挨拶代わりに恋をしろ!」
 どんなけ猿なんだよ。
 このウニでも被ってんのかと思わせる頭髪を所持する恋愛中毒男こそが、学園三大奇人の一角である真紅恋馬(しんくれんま)その人だ。
 俺をひっ捕まえてるのも、剣道部の現部長もこの人。
 たぶん真紅先輩の人生は恋と濃いと剣道で出来ている。
「本日の恋愛イベントは、残念ながらここへの呼び出しで破壊されました」
 平面恋愛だけどな。寂しくないぞ、コラ!
「嘘吐けよぉ、お前に彼女がいるわきゃないだろ」
「断定してんじゃねぇよ。つかなら聞くなや」
 下級生の毒を、この先輩は背中バシバシ叩き笑って流してしまう。無茶な人ではあるが、気のいい人でもある。だから俺は流されているとわかっていても、付き合ってここにいるわけだ。
「うわっはっはっは。“それ”が俺なんだからしょーがねーだろ。人間、恋が大事なんだよ」
 この人にとって恋という言葉は二酸化炭素の付属物だ。つまり言葉が空気を振るわせる度に吐き出される。
「じゃあ剣の道に引きずり込まないでくださいよ」
「剣も大事だ」
 剣はではなく、剣“も”かよ!
 これだと恋の方が大事っぽいニュアンスじゃね?
「こんな男むさいのに、モテる要素があるんすか?」
「勝ってモテろ!」
「あんた全国出場者のくせに彼女いないじゃんかよ」
「そーれーをー言うなぁ!」
「締まる締まる締まるぅ」
 剣道部のくせに攻撃はヘッドロックだった。
 つかガチで痛い。頭蓋骨が軋む!
「その辺にしておけ真紅」
「おいーっす先生」
「うおぉう……ガンガンしやがるって、シグナムさん?」
 俺から恋馬先輩を離してくれたのは、最近毎日顔合わせするメンバーで、最も手合わせの多い人だった。……全敗してっけど。
 特徴的な赤いポニーテール、少しきついが凛とした顔立ちはそこら辺の男共を軽く一刀両断できる。要は超美人だ。
「お前はここの学校だったのか」
「ええ、まぁ。剣道部員じゃないんですけどね」
 シグナムさんは剣道用の胴着に着替えており、これもまたよく似合う。
 和服の似合う西洋人さん。思わず萌え萌えっときゅんきゅんしそうだ。
「シグナム先生、修一と知り合いなんですか?」
「ああ、何度か手合わせもしている。というか部員じゃないのに何故ここにいる」
「俺が連れてきたんですよ。できれば入部させて戦力にしようと。こいつめちゃ強いでしょ?」
「そうか。修一の実力については否定しない。なんにせよ来たのならせっかくだ、練習していけ」
 ここまで俺の意志が完全に放置プレイなのはどうしてだろう?
 どうせ返事は、はいかイエスか恋がしたいです以外はまかり通らない人だから、諦めてるけどさ。
 シグナムさんも、元々些末にゃことには拘らない人だからか、部外者が来たのにたいして気にしてないし。
「俺よりも、どうしてシグナムさんがここに?」
「私は剣道の非常勤をしていてな。ここの剣道部で顧問をしている方に夏休みだけ教導を依頼されたのだ。もっとも顧問の先生は先日腰を悪くされて休養されているのだがな」
 理由を聞いてしまえば案外普通だな。
 ったく、それにしてもなんてサプライズイベントだよ。
 まぁ同じどやされるならおっさんよりお姉さんのが良いに決まってるけど。
「くっそぅ、知り合いだったのは予想外だぜ。シグナム先生に恋させて釣り上げようぜ作戦が!」
「夏休み限定の人材で何を狙ってるんですか」
 でも、もし俺がシグナムさんと初対面だったら、揺れていたかもしれん。女体とはかくも恐ろしいものか!
 いつぞやのプールでも痛いくらいに証明されたから、疑う理由はないんだが。
「だが俺の恋はこれで終わりではない!」
「また失恋でもしましたか?」
「違う! そしてまたとか言うな!」
「そうだな、いつまでも外で待たせるのもよくない」
 とりあえず恋のせいで、言葉の意味がおかしくなっとるぜ。
 正しくは、まだ「俺のバトルフェイズは終了してないぜ!」のようだ。
 先輩のモンスターカードはどこまで続くんだろう? 早く魔法カードでも引いてくれねぇだろうか。
「さぁ入ってきてくれ、新たなる恋の嵐!」
「もうセクハラっすね」
 これで恋人でも紹介するんならノロケだが、要は新入部員だろ。
 わざわざ入り辛い空気を作ってどうする。
 もし部屋に進入せず入り口で回れ右していたら、連れ戻すの言い訳に俺も脱出してやろうか。もちろんその後はその女の子とふわふわ時間(タイム)を満喫するぜ!
「失礼します」
 残念なことに女の子は特におもしろ反応は見せずに、返事をする。
 中々気丈だ。いったいどんな子だろうという、わくわくはもちろんある。真紅先輩も太鼓判を押してるみたいだし。
 しかし俺の邪念は入ってきた部員を見た瞬間、粉になるまで砕かれた。
「むふふ、どうよ修一」
 真紅先輩が自信満々に肘でつつくが、俺の両目は接着剤でも塗りたくられたように固められていて、その自慢げな顔は拝めない。
 染めることは軟弱者と信じており、他の色に染まることは未来永劫ないだろう黒い長髪。それを結うリボンも素っ気ない白。
 背筋が伸びて、張りつめたような空気は平常時だけで比べるならシグナムさん以上だ。
 真剣さが滲み過ぎて、殺気を放ってるんじゃないかと思うデフォルト顔もご健在らしい。他のパーツだって高水準の整いっぷりだから、もう少し無表情なら日本人形とか言ってやるのに。
 全身から妖気でも放ってるような雰囲気だから、人形にすると夜な夜な髪とか生えそうで怖い。
 もう10年くらいは会っていないはずなのに、確信までには秒もいらなかった。
「希咲(きさき)……」
「久しぶりだな、修一」
「え? は? また知り合いかよ!?」
 俺の幼なじみ、獅童(しどう)希咲がそこにいた。