今度こそ三度目の砂嵐。

 それが終わると、俺は中学校の制服を着て一人の少女と校舎の中を歩いていた。少女も同じく学校指定の制服姿だった。
 表情は何が楽しいのか満面の笑みだ。つまりモザイクはない。

 モザイクだらけの入学式とその後控えるモザイクだらけのホームルームが終了して、一人教室を出ようとしたら現在住んでいるマンションの隣に住む少女、小野宮円に絡まれてしまった。

 この町に引っ越してからまだ一週間なのにも拘らず、こいつとの遭遇回数は既に十を超えている。
 一応今日は修一と鏡の二人と帰る予定だったのだが、この乱入者も含めて早々に俺の計画は破綻していた。

 廊下にて修一を発見するも俺の横にいる奴を見るなり、微笑ましい面をして逃げるように俺を置いて帰ったのだ。
 鏡はあまりに当たり前の如く女子の制服を着ており、本物の女子に溶け込んでいたのでこちらからスルーした。
 このまま奴の性別がバレるのは一向に構わないが、それで発端者となった俺が鏡や女子達から何しか知らの逆恨みを買うことになるかもしれない。

 それ自体は別に気にしやしないが、あいつのせいで理不尽な目に遭うのはごめんだ。。
 それに、バレなければバレなければで俺と鏡の関係を変に誤解される可能性がある。これは考えうる最悪の展開だった。

 後者の意味では小野宮も同じなんだが、こいつは誤解されるからあまり近寄るなと言っても、「言いたい人には言わせておけばいいよ」と、涼しい顔して下校を続ける。言い切ったのはもう実行した後だからだ。

 見かけの華奢な体躯に似合わず意外に図太い奴。それがこの同い年の小娘に対する今の評価だ。
 しかしもう既に一人修一という手遅れな奴もいるし、放っとけば確実にあらぬ噂が広がって変な詮索をする馬鹿が出るだろう。

 さてどうするかと考えるも良い対応策が思いつかず、結局ずるずると校舎まで一緒になっていた。
 そして俺が結論を出す前に始まったのが、横を歩く問題児の好奇心に満ちた質問攻めだ。

「ねえ、暁君は引っ越して来るまでは何処に住んでたの?」
「外国。ガキの頃からずっとな」

 後の厄介を考えれば日本の何処かにしたいのだが、俺自身に日本人としての常識が欠如している。
 食事に箸を使うとか、靴を脱いで家に入るとかの文化レベルの話じゃない。幼かったとはいえ、元々日本に住んでいたのだからこの程度なら憶えているし、たとえ知らなくても地球に来るまでにすぐ憶えられる。

 問題は最近の流行や娯楽関係で、今の日本人なら知っていて当たり前のテレビ番組やゲームについては現在学習中だ。
 こんなことで変に勘ぐられるのは面倒なので、初めから知らないことにしておく方がマシと考えた。実際知らないのだから。

「外国に住んでたの? 凄いね!」

 むしろ凄いのはお前のよくわからないそのハイテンションだよ。
 俺が俺として生きるようになって以降、女でここまで俺に歩み寄ってきたのはこいつが始めてだ。
 研究所時代は、人付き合いの悪さからあの八方美人の隊長すら話しかけはするが一歩引いた位置にいた。女性組などまともに会話したことすらない。

 我ながら根暗で嫌なガキだった。今もだが。
 輪廻さんは遠慮がないと言うより、天上天下唯我独尊我に敵無しの精神で我が道を突き進む人間だ。あの暴君に歩み寄りの精神などあるわけがない。
 それに修一と鏡だって我の強い連中である。距離を詰めつつ自陣を広げてくることを忘れない。
 俺にとってもそういう人間の方が気楽に付き合える。

 そのため性別関係無しに犬が尻尾振りながら突進するかのように関わってくる人間は小野宮が初めてだった。
 だからといって歓迎はできないし、してもいない。

 今は普通の学生のように暮らしているが、俺は元々息をするように人を殺せる類の人間だ。殺す人間は殺されることも覚悟しなければならない。突然誰かに襲われるリスクが日常のあちらこちらに潜んでいる。
 その時のことを考えると、友情であれ愛情であれ一般人と深い関係を築くのは、足枷を作ることと同じだ。自ら弱点を作る気はない。

「ねえ、外国ってフランス? イギリス?」

 それはお前が行ってみたい場所じゃないのかと思いつつ、あらかじめ用意していた答えを返す。最早事前の対応策は、こいつのためだけに使用されていた。

「そんな良い所じゃない。ジャングル奥地に住む色々な民族の調査だよ」

 本音は逆だ。ジャングルならどれだけ良かったことか。
 少なくとも強制的に身体を弄られて、戦争しているところに介入させられるよりはずっとマシな人生だろう。その人体改造が失敗に終わっているなら尚更だった。

「おろろん滞在記だ!」
「なんだそれ?」

 知らない固有名詞が出てきた。こういうのがさっぱりわからないから、俺は逃げ道として外国を選んでいるわけだが。そして知らないなら多くの人間は勝手に説明してくれたりする。

「ああそっか、ずっと外国にいたんじゃ知らなくて当然だよね。日本では有名なテレビ番組で、芸能人が文化の違う人達の所にお泊まりして、交遊を深めていって最後は涙でお別れをするの。ナレータの人の喋り方が凄く特徴的なんだ」

 死の恐怖に泣き叫ぶ奴はよくいたよ。だからどうという話ではないが。
 ここで二人の会話が止まった。
 会話とはキャッチボールだとよく言われる。自分の話に対し、相手が相槌を打つなり話題を盛り上げるなりしなければ、話は弾まない。
 全て流すわけではないが、最低限しかボールを投げ返さない俺とでは、会話がまともに成立するはずがないのだ。
 二人の間に気まずい空気が流れる。俺としては帰るまでこのままの方がありがたい。そうすれば、次から小野宮が俺に関わってくる回数も減るだろうから。

「あのね」

 だがこいつはそんなに甘くない。今までのパターン通りだから分かってはいたのだが、小野宮は新たな話題を持ち出してきた。
 引越しの挨拶から今日まで何度か小野宮と話すことはあったが、全部この調子だ。
 いい加減俺のスルーは意図的なものだとわかっているはずだし、それでも諦めない辺り、こいつも何らかの目的があって俺に関わっているのだろう。

「もう一つ、聞きたいことがあるんだけど……」

 さっきまでの元気は何処へやら。今度は沈んだようだが、奥では何かを決心したような複雑な表情になっている。
 この雰囲気だけで何が聞きたいのかは大体理解した。むしろこれが本題で、今までの笑顔は場を和ますことに徹していたからだろうし、そいつは見事に失敗している。

「死んだよ」
「え?」
「俺の両親は七年前に事故で死んだ。だから今は引越しの挨拶で一緒にいた輪廻さんが俺の親代わりだ」

 こいつが俺に関わったのはこれを聞きたかったからで、わざわざ引っ越す前の話題を振ったのもこの流れに乗せるためか。
 そりゃこの世界では中学生の一人暮らししているのだから、もの珍しいと奇異の目を向けられるのは仕方ない。しかもそんなのが隣に住んでるのだから、気にするなと言う方が無理な話だろう。

「ごめんなさい……」

 小野宮の顔から覚悟が消えて、代わりに後悔と懺悔の色が混じる。ああ、やってしまった。そんな顔と声だ。
 別に気にしてないと一言告げてやるか、何事もなかったように話題を変えてやればそんなにたいした傷にはならないだろうが、俺はあえてそれをしなかった。

 これでこいつは目的は果たしたのだろうし、この空気ならもう付きまとうこともなくなるはずだ。
 今度こそ、お互い無言のままの歩き続ける。
 俺達は既に校舎を出ていて、校門が視界に入っていた。出口に近付くにつれて他の生徒が増えてきている。

 二人が静かな分、周りの喋り声がやけに大きく聞こえて耳障りだ。自分で作り出した状況とはいえ、このままストレスを溜め続けたくはない。
 校門を抜けたところで、俺は帰路とは反対方向に進行した。

「俺、昼と晩飯の買出しがあるから」
「あ……うん、それじゃあ」

 さっさとこの場を離れたいという感情が強かったからわざわざ告げたのだけど、食糧の調達が必要なのは事実だ。これで今日は小野宮と顔を合わせずに済む。

「やっぱり待って。えっと……。もし嫌じゃなかったら私の家で、御飯一緒に食べない……かな?」

 小野宮から切り出した予想外の申し出に少しばかり面を食らったが、答えなど決まっている。
 あくまで俺は障害となる相手を突き放すだけだ。

「同情ならしなくていいし、されたくない」
「違っ……私はそういうわけじゃ」
「俺は一人で生きていける。下手に誰かと係わり合いを持ちたくもないんだよ。わかったら余計な干渉はしないでくれ」

 適当にあしらおうとしただけなのだが、思っているより辛辣な言葉になった。どうやら自分が思っていた以上に俺はイラついているらしい。

「そっか……うんわかったよ。無理言ってごめん。それじゃ、またね」

 小野宮は俯きながらそう伝えて小走りに去っていく。
 その両肩は、小刻みに震えていた。怒っているのか泣いているのか、どちらか読み取れる程俺と小野宮の関係は深くない。
 それにしても、何故俺はこんなにも苛立っているんだ?
 わからない……。わからないが、さっさとスーパーに向かおう。じゃないと周りの野次馬共の視線で余計にストレスを溜め込みそうだから。

 リインカーネーションの食事は当番制なので、料理は人並みに作れるのだが、とても料理をしたい気分ではないためスーパーでは昼食用と夕食用の弁当を買った。

 帰って早々、特に味わうこともなく昼食を胃に入れて、本棚から一冊本を抜き取り自室のベットに腰掛けた。
 本棚には教材といくつかのハードカバーが並んでいるだけで、空きの方が圧倒的に多い。
 ハードカバーは本屋で今話題と書かれたポップの立っている物を買った。
 長い間、世間から隔離されて飼われていたため、地球どころか次元世界に関しても随分と常識知らずに育ってしまった。最低限の教養くらいは訓練として叩き込まれたが、足りないことだらけだ。とてもじゃないがまっとうな人生を送れる知識量じゃない。

 そんな中、現代に順応するのに輪廻さんが大量に所持している本が大いに役立った。
 ネットという手段もあったが、リインカーネーションの一画を占拠する書斎の独特な雰囲気と匂いが気に入り、やることが無ければ一日中篭っていたことも何度かある。
 そんなわけで、今や読書は唯一の趣味といっても過言ではなくなっている。
 今読んでいる本も、流行の勉強と個人的な楽しみの半々だ。

 本の内容は、イギリスを舞台に天才的な魔法の才能を持つ少年が魔法学校に入学する物語。
 自分が経験してきた魔法とは違う。銃撃戦もなければ人がゴミのようにバタバタと死んでいくこともない、随分とファンタジーな作品だ。
 これだけでも多次元世界と地球の魔法に対する一般的な概念の違いがよく分かる。
 それにしてもこの物語は本来児童向けとは思えない完成度の高さだ。流石に一コーナー陣取ってシリーズ単位で積まれていただけはある。

 ようやくイラつきも薄れ始め、本に熱中したところで、携帯電話から着信を告げる音が鳴った。
 手持ちの着信メロの中でも、とりわけ疾走感の強い旋律は『Sheer Heart Attack』だ。これで登録している相手は修一だった。
 読書の邪魔だし無視しようかと思ったが、仕事関連だったら後が困るので渋々ながら出ることにする。

「はい、拓馬です」
「よっすー。俺だよ俺」
「なんだ詐欺か」
「日本に馴染んできたのは喜ばしいことだが、ちょっと待てやこの野郎!」

 間違いなく修一の声だ。大声でぎゃあぎゃあと喚き散らしてくれるので音量を最小に調節したいと思ったけれど、生憎まだ通話中での操作方法は憶えていなかった。

「で、何の用だ?」
「いやぁ、あれからどうなったのかなーっとな」
「切るぞ」
「おいおい、気持ちはわかるが照れんなよう」

 予想通り馬鹿は馬鹿の馬鹿な妄想を膨らませていた。この馬鹿め。
 小野宮と一緒にいる俺のげんなりとした様子で、あれが本位でないのはわかるだろうに。

「せっかく俺が空気読んで退散してやったんだぜ。そりゃもう苺のように甘酸っぱい下校イベントだったんだろ? 恥ずかしがらずに白状しろって。しかし入学早々とはお前も性格に似合わずやるもんだなあ」

 修一の勘違いは、おたまじゃくしが蛙になるかのように脳内で成長しているようだった。本当に救えない馬鹿野郎だ。こんなのが戦闘になるとああも豹変するのか。

「苦いったらなかったよ」

 そもそも小野宮とは校門で別れているので、まず下校イベントとやらが起きていない。それまでにあった会話は、炭を頬張るよりも酷い気分にしてくれた。

「何だそりゃ? どういうことだよ?」

 このまま未説明のままだと修一が飼っている蛙は、未知の生物へとさらなる進化を遂げてしまうかもしれない。俺は仕方ないと嘆息して修一と別れてから校門前での出来事までを説明してやる。

「お前、今すぐその子の家まで行って土下座して謝ってこい」

 その結果がこれだった。
 修一の声がさっきまでとは違い、抑揚のない声に変わっている。中々の迫力と威圧感があり、いつもこうなら他者の評価ももっと上がるだろうに。

「意味がわからん。何でそうなる」
「何でもかんでももねぇ。明らかにお前のこと気にかけてくれてんのに何してんだよ! 何より、女の子泣かす奴は死んじまえこの馬鹿野郎!」

 馬鹿から聞き捨て出来ない単語出てきた。むしろ話の内容よりこいつに馬鹿扱いされたことに納得がいかない。これは鏡にオカマ呼ばわりされるのと同義だ。

「謝罪? それこそ死んでもごめんだ馬鹿野郎」
「友達としての忠告だ馬鹿野郎」

 友達、ねぇ……。どうやらその場の勢いだけで言ってるわけではないみたいだが、俺からすればそんなのはまるきり余計なちょっかいに分類される。

「大きなお世話だ。俺は一般人にこっちへ踏み込んで欲しくないんだよ」
「お前、恐いんだろ」

 また修一の声色が変わった。激昂しているわけでも、威圧しているわけでもない冷静な声。こいつのこんな声を戦闘以外で聞くのは初めてだ。

「恐い?」
「そうだよ。お前はその子の優しさが信用できてないからな」
「当然だろ。俺からすれば人間の本質は全員悪だ」

 人に利を与えるのは、最終的に自分へより大きな利を返させるため。例えば会社が社員に給料を与える行為がそうだろう。与える分さらに社員を働かせて、結果的に会社の利益を上げる。
 善意の仮面は自分の欲を満たすためにこそ生まれ、自分の利がまず先にあってこその他人だ。
 そうやって人は人を利用して生きているし、その循環で俺は今まで生きてきた。生き延びてきた。

「拓馬、お前今まで善意だけで寄ってくる奴となんて会話したことなかったろ。勘違いするなよ責めてるわけじゃねぇ。あの頃の状況じゃしょうがない話だからな」

 修一の言う状況とは、隷属と殺すか殺されるかの世界だろう。
 あの世界では誰しもが打算抜きで生きられるわけがない。無闇な信用など容易く死に直結するし、そうやって死んだ奴なら何人も見てきた。

「だからお前は人の好意や優しさ、真心って奴が理解できないんだよ。それでも向こうは、無頼で生きてる独りぼっちのお前が心配で近寄ってきてくれた」
「その齟齬が俺にとっては恐怖の対象だと?」
「特にお前は相手の心情をさぐることがそのまま処世術になっているからな。出会ったことの無いタイプで靄がかかって余計に恐い。さて、ヒントはやったぜ。これからどうやってその子の機嫌を直すかは自分で考えろ」

 人は理解できないものを恐れる生物だ。理解できないから、わけのわからないままに苛ついてしまう。不明瞭な対象に触れるのが恐い。人間が死を恐れるのだって同じ理屈だ。

「俺があんな奴に脅えてるとは言ってくれるじゃないか。しかも言い出したクセに投げるのかよ」
「答えはお前自身で見つけなきゃ意味ねぇだろ? 情けは人のためならずって奴だ」
「そもそもにしてお前の仮説が正しいという保証がないし、諺の意味を取り違えてるぞ馬鹿野郎」

 情けは人のためならずの正しい意味は、『他人に対して親切に接していると、それは回りまわって自分へと返ってくる』である。それはつまり、自分の利がまず先にあってこその他人という俺の考えそのままなんだよ。

「第一、人を信用せずに平穏な暮らしもくそもねぇよ」
「信用しなくても利用はできる」
「利用の前に逃げてるじゃん。お前」
「相手を選んでるんだよ」

 自分でもわかるくらいに、自分の言葉が言い訳がましくなってきている。
 否定しつつも修一の言葉にどこか信憑性を感じるからだろう。少なくとも、俺が小野宮を信用できないことだけはあっているのだから。

「まあいいさ。ちゃんと明日結果報告しろよ」
「何の結果だ何の」
「じゃあな大馬鹿野郎」

 人の話を全く聞かないまま、最後にそう吐き捨てて修一は一方的に電話を切った。
 結果だって? そんなのは、もうあの校門で出ているんだよ。
 俺は携帯電話を電源を切り近くに投げ捨ててやる。そして再び本に目を落として、今度こそ邪魔の入らない読書時間を満喫した。