また、画面が砂嵐に変わり、場面が転換される。
 三年ぶりの我が家とも言える基地兼実験施設は、三人の少年により壊滅状態だった。

 どれだけ堅い防壁を貼ろうが、修一が振るう虚数刃が相手では適度に溶けたバターにナイフを差し込むようなものだ。
 兵の数はそれなりに多いが魔法を使えない者が多いため、高い魔力資質を持つ鏡とベルカ式のアームドデバイスが次々と蹴散らしてく。

 俺はというと、部下を見殺しにしてでも自分だけは安全圏へ逃げようとする、ある意味お約束通りなお偉さんの暗殺に精を出していた。

「懐かしいな、おっさん」
「貴様は……」
「なんだよ、忘れてしまったのか? 感動の再開シーンが台無しだな」

 俺も襲撃の前の資料で辛うじて思い出したレベルの相手だけどな。

「や、止めろD-12!」

 この基地の司令官で元上司とも言えるお偉いさんは、立ち塞がる俺に狼狽しながら腰を抜かしている。
 かつては優秀な兵士だったらしいが、時と地位と金は人を堕落させるものだ。相変わらず顔はモザイクで見えやしないが、さぞ情けない面をしてることだろう。
 今のところ顔にモザイクがかかっていないのは、輪廻さんと鏡と修一の三人だけだ。この意味はわらかないが、何故だか自然と考える気も起きない。

 おっさんはただ今、死んだ近衛兵達と共に恐怖で地べたに這いつくばっている。
 もちろん近衛兵を殺害したのは、恐怖で震えるターゲットを見下している俺自身だ。

 思い出すのには苦労したが、三年前と基地内部の構造は概ね変わっていなかった。ならば隠れるのも容易い。
 近衛兵二人は突然の奇襲に戸惑いなかがらもデバイスを構えたが、既に俺の手首から流れる血を浴びており、敵に攻撃されたことすら理解することもないまま緋色のナイフを顔に生やして逝った。もう身体に染み付いてしまっている、いつもの暗殺パターンだ。

「なんだ、“そっちの名前”ごとまだ覚えていてくれてたのかい? その番号は今の今までさっぱり忘れていたよ」

 なんだか無駄に懐かしい。本当、無駄にだが。
 そんな俺の感慨もおっさんには関係がない。こっちの言葉はほぼ無視して必死に両手を広げ振りたくって延命のため言い訳を開始した。この手の人間にはよくある話だ。

「頼む、止めてくれ! 私だって好きでお前達を虐げていたわけじゃないんだ! 仕事だったんだよ! 本当は私だって心苦しかったんだ、信じてくれ!」
「自分の認識番号は忘れたけど、血反吐を吐く俺を、あんたらが嗤って痛めつけて憂さ晴らししてたのは、まだ憶えてるよ」

 それもあんた見つけて思い出したんだけどな。多分来年辺りにはこのおっさんの存在ごと完全に忘れてる自信もある。
 だがそれでいい。別に重要な記憶でもあるまいし、今の一言で司令官は震え上がったので、思い出した記憶は役目を果たしてくれた。もはや暗殺というよりは、狩りになっている。趣味じゃないんだがな。

「許してくれ! いや、許してください! 私には妻と娘がいるんです! 私が死んだら家族が……」

 涙と鼻水が混じった液体がぽたぽたと零れて床を汚す。きっとこれは真摯な懇願なのだろう。他人は平素から虐げ下卑た笑いを浮かべながら処分するくせに、自分は死にたくないという人間らしい純粋さじゃないか。

「安心しろよ、俺は別にあんたを恨んではいないからさ」
「本当か……!?」

 司令官の声に少しだが安心が見えた。
 こうなると人間は脆い。本人は自分で逃げる手段を考えてると思い込んでいるが、実際は死の恐怖に振り回されてまともな思考などありはしない。
 それは普段命を握り、振りまわす側でも同じようにかかる。真に諦めていない人間なら、恐怖の中でも目をギラつかせて何とか隙を見つけ反撃に転じようとする。
 だがこのおっさんはただただ脅え、生き残ることしか考えていない。逃げることしかできない負け犬だ。それは人間なら当然の反応だろう。

 しかし、こと戦場において覚悟を持つものと持たざるものでは、どちらが生き残れる確率が高いかなど一考の余地もない。

「だから、じわじわなぶり殺したりはしないさ」

 言葉と共に手首に一振りし血の飛沫を司令官の顔に付着させた。
 不意の行動で、精神的に追いやられていた司令官は短い叫び声を上げる。

「っひぃ!」

 それが、俺達の心と身体を散々弄んだ親玉の断末魔だった。思うこともないのだから、他の連中同様に一瞬で終わらせるだけ。

 こいつを殺しても胸に去来するものは特にない。
 俺にとっては顔面にナイフが刺さった死体が一つ増えたに過ぎなかった。いつもの仕事をいつも通りこなしただけである。

「二人共、こっちは終わったよ」

 連絡用のトランシーバーを使って鏡と修一に連絡を取った。念話は敵の撹乱のために輪廻さんが制作した連絡遮断用の妨害電波機により使用不能になっているためだ。

『こっちもあらかた片付けたわよ。数いる割にいまいち歯ごたえがないわね』
『≪歯ごたえがないにゃ≫』

 先に返事が来たのは鏡の方だった。おまけに付属された一言は、あいつの使用しているデバイスだ。何がしたいのかよくわからない語尾のためだけに、わざわざ日本語仕様になっている。
 注文した鏡と、それを了承して作った輪廻さんもどっちも変態だからしょうがない。

『こっちの区画も掃除は終わりったぜ』

 ワンテンポ遅れて、残る修一からも仕事終了の返事がきた。これで全員任務は完了したらしい。ならば後は輪廻さんと連絡を取り帰るだけだ。

『拓馬、終わったな』
「何がだよ?」
『何がって……。ここはお前が散々実験動物にされて虐げられてきた場所なんだろ?』

 修一はわかりやすい性格と感性から、俺がここで積年の恨みを晴らしたと考えているようだが、そいつは単なる勘違いだ。

「別に」
『何だよ別にって』

 答えてやる義理もないしテキトーに流そうと思ったのだが、この様子だと答えるまでは会話が終わりそうにない。ここの連中はどうしてこうめんどくさいのが多いのだろう。

「修一、お前一週間前の晩飯の献立を憶えているか?」
『鰤の照り焼きとわかめの味噌汁だったはずだけど、それがどうした?』

 たとえ話失敗。そこは空気読んで憶えてないと答えろよ。普段はそんな高精度で発揮された試しのない記憶力を、ここで披露してどうする。

「それじゃあ、昨日鏡がわざわざスカートをたくし上げて俺達に自慢してた新しいパンツの柄は憶えてるか?」
『いんにゃ、さっぱり』
『ブチ殺すわよ貴様等。白と水色の縞パンよ、二度と忘れるな!』
『黙れ歩くセクシャルハラスメント。話が逸れるだろうがって言うか、いい加減少しはそういう行為を自重しろよ!』

 そもそも忘れる前に一度たりとも憶える気がない。ツッコミは修一が請け負っているので、俺は説明の続きを優先した。

「人間、興味の無いものはすぐに忘れる。過去の恨みとか復讐とか、俺は別にどうでもいいんだよ。そんなことに興味はない」
『興味無いって……結局意味わかんねぇ、神か仏かお前は。どうやったらそんな境地を悟れるんだよ』
「簡単だよ、そんなの。昔のことを覚えておく余裕がないくらいに、今の方が面白くて、面倒で、厄介だからかな」

 輪廻さんに会うより昔の事でまともに記憶しているのはスパルタ教育の訓練くらいなものだ。これは恐怖とかマイナス感情が起因ではなく、生きるために必要だから憶えてるだけである。
 一方的に蹴られ殴られた記憶だの、憶えていてもこれといって得はないし楽しくもない。それより、こいつらと過ごしてきた日々の方がよっぽど充実していて、得るものが大きい。

 スウィンダラーと共に潜った死線も、馬鹿共との馬鹿な会話も、研究所の記憶よりずっと憶えておく意味があるように感じる。だからそうしてるだけだ。

『拓馬……いや、何でもねぇ。きっとそんなだから輪廻さんはお前を雇ったんだろうな』
「さあな。何年経っても、あの人を読みきるなんてできないさ」
『違いない』

 修一と二人して自然に小さな笑いが零れた。まあ、諦観とか呆れが多分に混じっているけども。あの人は手がつけられないのだけは、俺達の共通見解だ。

『だったら私のパンツを忘れるな!』
『≪忘れるにゃ≫』
「確かにお前の存在、厄介という意味では間違いなくトップクラスだ」

 せっかく綺麗に締めれたはずだったのに、変態野郎とそのデバイスの一言により全てぶち壊されたのだった。

 まだ砂嵐は起きずに、時間はついさっきやらかした元我が家の一件と地続き。
 任務を終え、俺達は輪廻さんの所有する艦船『リインカネーション』に帰還した。

 リインカネーションは時空管理局の大型戦艦『アースラ』を基に、輪廻さんが設計した小型戦艦だ。
 見かけはアースラに近いが、色は赤とマゼンタが基調で戦闘用の兵器類もあまり積載していない。基本的に移動基地みたいな扱いで、どちらかというと防御面や次元航行能力に力を入れているためだ。

 俺がここに参入した頃、何故戦闘能力が低い割にやたらと攻撃色なのかと輪廻さんに聞いてみたことがあり、あの人は自信満々に「武士は喰わねど高楊枝なのだよ!」と答えていた。要するに見栄を張っているだけらしい。
 その意地っ張り艦で三人揃って任務の詳細を報告し終えた時、輪廻さんから予想外の質問をされた。

「ところで拓馬君、君は何を目的として生きているんだい?」
「目的……?」

 ここでこの問いかけをされる理由を鑑みるに、どうやら俺達の通信を聞いていたらしい。この人まで俺にそんな動機付けを追求するのか。

「君が復讐を目的にしていないのは知っていたけど、それなら何を目的として生きているのか。ふと気になったのだよ」

 俺の生きる目的……。
 ついさっき事の成り行き上でたまたま滅ぼした連中。そいつらに檻の中で飼われていた時から今まで、戦う目的なんて一度も考えたことはなかった。

 強いて言うなら、生きることそのものが目的だったと思う。
 ここに入ったのは輪廻さんに興味がったあったからだが、それは生きる目的というよりはその場の勢いが大きい。

 何よりあそこの組織から抜けられるという事実は、隊長だけじゃなく誰でも欲する多大なメリットだ。逃げた後で自分を匿える後立てとしてもここは機能してくれている。

「おいおい、んな深く考えることなのか?」
「呆れた……生き残ることには敏感なくせして、その先は考えてなかったわけ?」

 今回は修一と鏡にも何も言い返せない。それぐらい本当に何も考えてなかった。
 二人には明確な生きる目的がある。
 修一は純粋に己を磨く剣の道。
 鏡は快楽と刺激を求める闘争の道。

 こいつらは戦闘狂として戦いそのものを目的に、欲望を満たし続けている。
 だけど俺にはそれらが該当しない。ただ必要だから戦い、死ぬ道理が無いから生きていただけ。

「ふふ、修一君の言う通り、そんなに難しく考えることは無いのだよ。拓馬君は何かやってみたいことはあるかい?」
「やってみたいこと、ですか?」

 ――私には妻と娘がいるんです! 私が死んだら家族が……。

 俺には思い浮かぶような理由なんてないけれど、輪廻さんの一言ででふと記憶に蘇ったのは、自らが殺めてきた者達の最期の言葉だった。

 ――嫌だ、助けて! お母さん!
 ――死にたくない! 家に帰りたい!

 返り討ち、奇襲、騙し打ち。
 あるいはターゲットの家族を盾にしたり、恋人同士のキスシーン中に後ろからナイフを突き立てたてたり。
 様々な奴らを、様々な手法で殺してきた。

 悪人もいたし下種もいた。逆に善人もいた。殺す相手を選んだことはない。
 たとえ自分の生活や家族を守るために必死で戦う人間であっても、俺達にとっては単なる障害の一つにしかならない。そんな話も珍しいことじゃなかった。
 修一が入ってからはあいつがリミッターとなり、排除方法が殺害から再起不能のレベルに落ちることは多くなったが、それでも今日みたいに仕事内容から殺人がなくなることはない。

 殺害した連中に同情や罪悪感なぞは湧かないが、こいつらにはほとんど帰るべき場所があった。

 ――俺はこの任務が終わればユーシアとけっ……こん……
 ――オリカ、愛していたよ……。出来れば君ともう一度故郷を歩きたかった。
 ――よくも……よくもテニアを! うああああああ!

 彼らが死の間際に心から望んで願ったもの。
 それは、必ずしも命を生きながらえることだったけど、同時にそれだけではなかった。

 故郷だった。
 恋人だった。
 親友だった。
 家族だった。
 母だった。
 父だった。
 兄弟だった。
 子供だった。
 妻だった。

 ――俺は自由が欲しいんだ……。

 彼らの願いは、形は違えど平穏に繋がるものが多かった。平穏な生活とはどんなものだったっけ……。
 俺にとって平穏は忘れてしまうくらい遠いものになってしまっている。
 ならば俺は、今の自分でもう一度平穏を見てみたいと思う。

「俺は、俺の故郷で平穏に生きてみたい」

 俺の言葉で、辺りの空気が一辺に凍りついた。皆が何を言ってるんだこいつという目で俺を見ている。

「…………マジ?」

 修一がようやく絞りだした一言がこれだ。たぶん三人共通の疑問なんだろう。

「そんなに変か?」
「いや、余りに予想外の答えに少々驚いただけだよ」

 それでも、いち早く冷静になったのは輪廻さんだ。表情もいつもの微笑と何も変わらない。
 この対応の迅速さはボスの広い器として評価すべきポイントだろうか。

「ふむ。これはこれで面白い。ちょうど地球に用があったところだしね」
「なんでまた、あんたは今更普通の人間みたいなこと言い出したのよ?」

 鏡の疑問は至極当然だ。輪廻さんの質問がなければ、俺だって考えもしなかっただろう。
 これは聞かれるだろうと思っていたし、答える義務もある。

「普通の人間とやらの生活を見てみたいと思っただけだ」
「退屈で死ねるわよ?」
「別にずっとそこで暮らし続けるわけじゃないさ。お前の言うような不要物なら、すぐ飽きるだろ」

 それに死ぬ程の退屈なんて体験は初めてだ。これはこれで興味がある。一度体験してみようじゃないか。
 後悔する可能性の方が高そうなのは自分でも感じているけどな。

「ま、いいんじゃねーの? 確かにこいつが平穏な生活なんて想像はつかねえけどさ。輪廻さんの言う通り、逆にそれはそれで面白そうだしな」
「決まりだ。今の件を片付けたら次は地球に向かおう。そこで君達はそれぞれ好きなように暮らせばいい。ある程度なら援助もしよう。もっとも、仕事はいつも通りにこなしてもらうよ」
「当然だ。その為の『生きる目的』でしょう?」
「よろしい」

 そう話をまとめて、輪廻さんは俺達を見回し満足げに頷いた。
 修一と鏡も異論は挟まず、むしろ妙なニヤケ面から、二人共俺が地球でどう過ごすかに期待し始めているように感じられる。
 かくして俺達の地球行きが決定したのだった。