いきなりの奇襲から数分も経たず、完全に乱入者達がペースを掌握している。
 この期に乗じて逃げようかとも考えたが、あの少女はしっかりこっちも警戒しながら戦っている動き方だ。
 むしろ警戒をあけっぴろげにすることで、このタイミングでの逃走は無駄に体力を浪費するだけだと伝えてきている。

 なら戦闘に俺も戦闘に巻き込まれるまでは、止血をしてこの時間を少しでも回復に充てるべきだ。
 それに何より、場違い甚だしい格好の二人組が突然の奇襲。こいつらの目的が何なのかも気になっている。

「やぁ、初めまして」
「何の用だ?」

 白衣の女は、やたらと爽やかな面持ちで挨拶をする。とても向こうから攻撃を仕掛けてきたとは思えない穏やかさな微笑を浮かべていた。

「私の名前は黄泉塚輪廻。天才科学者をやっている者だ」

 なんてわかりやすい自画自賛混ざりの自己紹介だろうか。そこには恥じらいなど微塵に感じられない。
 けれどもその自惚れを許容してしまいそうになる華のような雰囲気が、この女からは発せられている。つまりこの態度が白衣の女にとっての平常なのだろう。
 断言できる、こいつは変態の類だ。

「今日はこの先でとあるジジイと会う予定だったんだけどね。そこに行く途中で戦闘してる魔力反応があったものだから、興味本位で寄ってみたんだよ。そうしたらビンゴ。面白いモノを見つけてね、ちょっかいをかけてみたわけさ」

 何となくの直感でしかないが、そのジジイとやらは俺達のターゲットな気がした。もしジジイを殺せていたら、こいつらと正面から戦うはめになっていたのかもしれない。
 俺達はもうとっくに、それどころではなくなっているが。

「面白いモノ?」

 それより輪廻の言う面白いモノが何か、俺には皆目検討がつかない。
 ここにいるのは、醜い争いを繰り広げる裏切り者と裏切られた者であり、後は死体が四つだけ。
 俺らの戦いそのものを見世物として愉しんでいたのなら、わざわざ中断なんてさせやしないはずだ。

「そんなものは決まっている。君自身だよ」

 変態どころかこの女は狂人だった。意味がわからない。
 魔法も満足に使えない弱者のどこに、わざわざ約束をすっぽかして接触する程の面白味があると言うのだ。
 さっきの予想が当たりでも外れでも、この付近で行われる会議や取引といった類のものはほぼ大金や命が絡む。そういう場所だった。

 早くもこの女の思考を読むのは無駄な行為ではないかと思えてきたが、次の一言は最早そんなレベルではなかった。

「私の部下にならないかい? と言うかなりたまえ」
「は?」

 今度こそ意味がわからない。ただただ呆気にとられるなんて何年ぶりだろう?

「その反応は交渉成立でいいのかな?」

 そんなわけあるか。
 自分が当事者であり未だ命の危機である以上、わからないならわからないなりにこの状況を整理するしかない。

「まさかそれを言うためだけに、変な服の片割れをぶつけてるのか?」

 俺は千切った布で傷口を圧迫しつつ、チラリと横目で二人の様子を確認する。
 そこに映ったのは、疲労から焦る隊長とそれを見下すかのように笑みを浮かべる少女だった。場は膠着しているみたいだが、あいつらの優劣は明らかだ。
 もしかしたら、少女はわざと決着を見送っているのかもしれない。

「そういうことだよ」

 そもそも何故俺なんだ? この女の考えがまるで読めない。
 ついさっきの隊長も、きっとこんな気分だったんだろうな。それは怒鳴りたくもなるだろう。

「意図がわからないな。俺なんぞにかまって、ジジイとやらはほっといていいのか?」
「私は人の持ち得る可能性を研究しているのだよ。君に、いや君の思考と精神に比べれば、あのジジイなんぞ、犬の糞にも劣るね」
「……さっぱり理解できないな」

 余りの意味不明さに、思わず軽く笑ってしまった。
 俺の思考回路は、普通ではないがただ途中で焼き切れているだけだ。狂っている自覚くらいはあるが、客観的に見ても評価すべき点が見つからない。

「私の下に来れば、全てわかる」

 そう言って女はずっと自分の手を収めていたポケットから、手に収まるサイズの緋色で菱形の宝石を取り出した。

「君は魔法が使えないんだろう? ならばこれを使いたまえ」
「これは、デバイスか?」

 今握っているデバイスだったものと同様に、ある程度魔力が初めから充填されているタイプなのだろうか?
 こんなものでも、まだ表の世界では流れてすらいない、データ集め途中の実験機だったりするんだけどな。
 一応マスター登録もされていて、持ち主が死ねば、それまでのデータが研究所へ送信され、こいつは自動で破壊される仕組みになっている。そうでもなければ、こんな捨て任務では扱えない。

「これは正しく呼ぶのなら疑似デバイスだよ。人間の血液を魔力に変換する機能がある。さらには魔力を物質に変換することも可能な優れ物さ。言うまでもなく、これを開発したのは天才たるこの私だ」
「えらくハイリスクなデバイスだな。持ち歩いてるのなら、普段はあんたが使ってるのか?」

 こいつを使用するということは、戦いながら自分のライフポイント削っているようなものだ。
 勝つために死に向かう武器なぞ、まず常人では使いこなせないだろうし、使おうとすら考えない。
 物質変換は使いようだが、わざわざこんなリスク払わなくたって、もっと効率の良い武器は他にいくらでもある。

「いや、これは魔力変換のちょっとした実験で最近作ったもので、せっかくだからどこかで使えないかと持っていただけだ。私は一切使ってないよ」
「そうか」

 これはこれで色々と問題が残る発言だ。
 しかしこの女相手では、まともな理を成立させる方が困難と思えるから追求はしない。ここまで意思の疎通をしたくないと思った相手は初めてだ。

「君にはこれを使って、あの少年を仕留めてもらおうか。それが私の部下になる条件だ」
「入れとかいう割にテストがあるのか」

 それ以前に了承さえした憶えもない。こいつ、重ね重ねなんて自己中心的な生き物なのだろうか。
 俺も自分の都合で任務を放棄したりと生存を優先してやりたいように生きてきたが、それは俺にとって生き残るための術であり、この女の傍若無人さはまた別領域だ。

「信頼の証を立ててもらうためと、実力の確認だよ。君ならば軽いだろ?」

 今までの出血量も馬鹿にならないんだがな。そんな言い訳なんぞ、この暴君は聞いてくれやしないだろう。

「拒否したら?」
「このまま帰るよ。もっと、もその場合はうちの子が個人的に君を襲うかもね」
「それを人は脅しと言うぞ」
「ならさっさと脅されるがいいよ」

 正直現段階では隊長を圧倒しているあの少女と戦って勝てるどころか、逃げ切れる気さえしない。
 要するに拒否権はあるが、拒否なんてさせないというわけだ。

「私の部下となって生き延びるか、それともここで死ぬのか、さあ、選びたまえ。死を怖れぬ生きたがりの狂人よ!」

 なるほど。と、俺はこの時僅かばかりでも安堵した。
 この女は少なくとも俺の本質を理解した上で、どこに続く変わらない蜘蛛の糸を一本垂らして誘っている。

「やっぱり俺にはあんたが理解できないよ。だが興味はある」

 俺は輪廻の手から、暗い赤の宝石を掴み取った。
 緋色が俺の未来を示すのなら、俺は俺の血を流してでも必ず命を繋いでやる。
 それを誰かが矛盾していると嘲るのなら、俺はペテン師とでも名乗ってやろう。

「そうこなくてはね」

 デバイスを手にし、生きる覚悟を示した俺を見て、輪廻はシニカルに笑った。まるで全てが全て、予定調和に進んでいるとでも言わんばかりに。
 いや実際そうなのだろう。少なくとも、今の俺はこの女に呑まれ流されているのだから。

「いくつかこのデバイスについて質問がある」
「なんだね?」

 デバイスを手に持ち、俺は輪廻に問いかける。一歩間違えば自滅しかねない危険物を扱うのだから、性能の確認はごく当然の行為で試験失格にはならないはずだ。

「このデバイスの血液から魔力への変換率と、それに変換できるのは体内の血だけか? 違うなら、変換可能な血液の状態と有効距離を教えてほしい。後は物質変換の種類は?」

 とりあえずここを切り抜けるために必要な項目を羅列しておく。
 一度答えを聞いてなお不足の部分があれば、聞き直すなり追加質問すればいい。

「質量が大きい程使用する血液の量は増えるが、ごく小ぶりのナイフ位なら十数滴もあれば精製できるよ。血液は内でも外でも可能だけど、バリアジャケットなど一部の特殊な魔法を除いて、魔力は変換したその場に精製される。射程はだいたい百メートルくらいで、他の液体と混ざったり乾ききったりしなければ変換可能だ」

 つまり、体内で魔力へ変換などすれば自分の身を傷つけて自爆する。体外の血液を使用して武器に変える戦闘が基本戦術となってくるわけだ。

「他に質問はあるかね?」
「いいや、今のところはそれで十分だ」

 今のだけでテストをクリアする条件は揃った。一旦輪廻への質問を区切って、隊長と少女のいる方へ振り向き、直線的に最短距離を歩き出す。

「選手交代かしら?」
「ああ」

 緋色の宝石を持った俺を見た少女は己が役目を終えたことを悟ったのか、あっさりと自ら戦闘を中止し輪廻の元へと戻っていった。

「クソっ! 変な女達の次はまたお前かよ!」

 状況は次々と目まぐるしく変わっているが、勝利を間近にの二人が現れてから、全てが隊長にとって不利な方へと流れている。悪態を吐く気持ちもわからないではない。

「ケリをつけよう。“元隊長”殿」
「ケリだと? こっちはお前を殺しても、まだあの女達がいるんだよ」
「でもないさ」

 隊長からすればこの状況、さらに自分が生き残り辛くなったと考えるだろう。
 しかし事実はそうでもない。今、少しだけ隊長にとっても悪くない目が出てきている。

「こいつらは俺が目的だったみたいだから、ここで俺が負ければ興味を失って帰るだろうさ」
「それを信じろというのか?」
「この嘘で何か俺にメリットがあるとでも?」

 今まで散々ブラフにかけてきたため、隊長はかなり警戒している。その警戒心をもっと早くに発揮していれば、こんな面倒なことにならずに済んだのにな。

「本当だよ。ここで君に負ける程度の人間なら、私の眼鏡違いだったってことだからね。君に止めを刺す理由もないし、全て見なかったことにして元の目的に戻るだけさ」

 自分から首を突っ込んでおいて、後は知らないと言ってるのだからこれもまた傲慢な発言だ。
 だが裏は取れた。嬉しいお知らせを聞いた隊長は、決着を付けんとデバイスの照準を俺へ定めて臨戦態勢を取る。

「一度はお前を仕留める寸前までいったんだ! 今度こそ、今度こそお前を殺して俺は自由になる!」

 隊長のやる気は満々だ。自由を手にするため自分を鼓舞するかのように叫んで、残った力を叩きつけるようにデバイスに魔力を集中し――――そのままうつ伏せに倒れて、死んだ。

「落ちている金を拾うようなギャンブルとはこのことだな」

 俺は隊長の死体を見下ろしながら、一言そう呟いた。
 隊長の顔にはナイフが一本、半ばまで埋まるように突き刺さっている。俺のやったことは目潰しに使った生乾きの血液をナイフに変えるという、ただそれだけの行為に過ぎない。
 単純だが、知らなければ防ぎようのない攻撃。暗殺には悪くない能力だ。それでも敢えて武器に血液を選択する必然性は、やはりどこにも無いが。

「ガキの癖に難しい言葉知ってるのね」
「それはわざと言ってるのか、ヒラヒラ」

 見かけの年齢は俺とさほど変わらない少女が俺へと突っかかってきた。見るからに風変わりな服装だけでなく、さっきの様子を見るに戦闘狂の類だろう。
 あの女はこんなのばかりを好き好んで集めているのだろうか。嫌な就職先だな。

「でもゴスロリは知らないんだ。私は北城鏡、自称九歳の天才魔導師よ」
「自称は天才じゃなくて年齢なんだな」

 しかも同い年か。俺が壊れてからは珍しく他人対して妙な嫌悪感を感じた。
 爛々と輝く瞳で見つめての舌なめずり。普通なら可愛いともとれる無邪気な子供の動作にも関わらず、相手を計るような視線が少女を獲物喰らおうとする肉食獣へと変貌させる。
 元々仲間意識なんてものは持っていないが、こいつとは特に馬が合いそうにない。俺の感じたこの少女への第一印象だ。

「だから言ったろう? 君なら容易いと」
「気付けば誰でもできるじゃないか」

 体外で変換可能で百メートルの射程。そして乾いてなければ使用可能で、変換したものは血液があった場所に生まれる。
 ならばこういう機能がネタバレさえしていなければ“向かい合っての不意打ち”みたいな戦い方も可能というわけだ。

 戦闘前に冷静に使用する武器のスペックを聞き出し、その特性を生かせるか。
 逆にここでそのことに気付かない、あまつさえ負けるようならば俺という存在は輪廻の見込み違いだったことになる。
 さっきの発言通りそんな凡夫は必要ない。このテストの真の課題はそんなところだろう。

「何でも良いさ、テストは見事合格だ。私達は君を喜んで迎え入れるよ」
「それはどうも」

 信頼されていた仲間までその手にかけて、自由を求めた隊長。そんな男が死に、代わりに俺が生き残り組織から離反することになった。因果な話だ。

「それではさし当たって、まずは君の名前を聞いておこうかな」
「ああ、そうだな。俺の名前は」

 俺はそこで僅かに逡巡した。別に渋ってるわけじゃなく大した意味もないのだけど、思うことがあるのも確かである。

「拓馬……暁拓馬だ」

 認識番号ではなく自分の名前を人に教えるのは、実に数年ぶりの出来事だった。