悪人でも、日陰の道でも、前に進むならそれは強さだろう?

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 アースラでのリンディさんとの舌戦から時は進み、夏休みへと突入した。
 あれから時空管理局との交流はなく俺は毎日平和でそれなりに楽しく生きている。
 殺人鬼の犠牲者がさらに二人ほど追加されてはいるが、赤の他人の命がちょっとくらい減ったところで俺の平穏は揺るがない。

「ナンパだァ――!」
「幼女だァ――!」

 予定通りプールに来た海パン野郎二人が、テンション上げて叫んでいる。
 それぞれ貴重品入れるための袋を持っており、中身は財布やらいざという時のための戦闘用アイテムやらだ。
 周りは人、人、人。流石オープンしたてだけはある。
 ウォータースライダーやら滝やら売店やら、設備的にも目白押しというやつだ。

「存外普通の味ね……。もっと化学的な風味を期待したんだけど、ハズレだわ」

 際どい女性用ビキニの少年のみ、早くも白け始めているが気にしない。
 プールそっちのけでまず売店で飲み物買ってどうなの? しかも変な方向に辛口な批評だし。

「いやあ、しっかし広いねぇ。ここなら必ずや運命の出会いが待ってるはず! フラグは逃がさねぇぜ!」
「エロゲー脳め」

 逆にここまで3Dに積極的なオタクも珍しいか。とても生き生きと辺りを見回す茶髪のナンパ野郎は、しばらく放置しておくことにした。
 鏡の方を見ると、右手に持っていた青かったドリンクが赤色に変わっている。いつの間にやらおかわりしてた!

「うまいか?」
「赤の方が“らしい”味をしているわ。実に化学的なイチゴ味よ。これならメロン味も少しは期待できるかもしれないわね」

 赤色をストローでちゅうちゅう吸いながら、もう片方の手に持っているの緑色をしげしげ見つめている。目つきとか、かなり真剣なモードだ。

「そうか……」

 こいつ、ここのオリジナルドリンク全部制覇する気だよ! ホントにプールそっちのけでドリンク目当てに来てるとは。施設側からしても本末転倒な客だろう。金払いはいいので迷惑ではないから、まぁいいか。
 うむ、こっちはこっちで触れずに置いておこう。

「おい、二人共あれを見ろ!」

 修一レーダーに何やら大物が引っかかったらしい。まぁそんなに期待はしてないが、一応見てやるか。
 そうして修一の指す方に目を向けると、赤が強い桃色ポニーテールの女性が、金髪ツインテールの小さな女の子と親しげに話しながら歩いている。

「見よ! あの整端な顔つきに完璧なるボディバランス! 特に、全てのパーツに一切無駄な脂肪が無い! あれこそまさに美の天使、いや女神!」
「キメェ」

 もう感動で泣き出さんばかりに興奮しているぞ、こいつ……。鏡も修一の力説っぷりに、鏡までドリンクを飲む手を緩めて突っ込んだ。

「俺は隣の子供の方が好みかな。美の女神はあの子だろ。いやむしろ夏の妖せ……って言うかなんでいるんだよ!」

 うん、どこからどう見ても時空管理局員のお二人さんである。
 輝くような金髪に、キメ細かそうな白い肌。少女の肢体とは対象的な黒いビキニが、幼い体とは思えない色気を醸し出している。やっぱりフェイトちゃんはかわいいなぁ。
 はっ! いけない、これでは俺まで修一と同種の馬鹿じゃないか!

 フェイトちゃんの隣にいるのはヴォルケンリッターのシグナムさんか。しかもこの距離なら運が悪ければ見つかりかねない。せめて彼女達の目の届かないところまで移動しないと。
 むしろとっとと帰るべきだろうか。いやでも管理局がいるのに、こいつらだけ置いていくのもそれはそれで危険だし……っと、近くの女の子達も可愛いなあ。
 栗色の髪にさっきの子と同じツインテールがトレードマークの、高町なのはちゃんだ。薄いピンクの水着が、健康的な子供らしさをアピールして実に愛くるしい。

 もう一人もなのはちゃんと同じ髪の色をしていて、ボブカットに切り揃えられている。金髪のヤンママ風なきょにうさんが手を持って、拙いながらもバタ足で水を叩く少女の表情は、遊びとは思えず真剣だ。
 そのすぐ横でもう一人、一番幼い赤いおさげ髪の少女がボブカットの少女を応援している。

 なのはちゃんとヤンママきょに……もういいや。医務室にいたシャマルさんに、実際に見るのは初めてだが、はやてちゃんとヴィータちゃんに間違いないだろう。
 はやてちゃんの呪いはずいぶん前に解けてはいるが、足の完治には程遠い。長い間使用できなかったため、筋肉も退化していて自由に歩けるようになるまでは、まだまだ時間がかかるはず。彼女にとってこのプールはリハビリの一環か。

 フェイトちゃんグループが、なのはちゃんグループに合流した。
 はやてちゃんが一旦バタ足をやめて、シャマルさんに抱き上げられながらなのはちゃんとフェイトちゃんに近寄る。
 まるで子猫のように三人の美少女が無邪気に戯れる様なんてもう、辛抱たまらん。

「かがやん、しゅーやん。妖精さんが三人もいるよ」
「通報するわよペド野郎!」
「普通に容赦ないな!」

 鏡の口からとても冷たい言葉が発せられた。修一の時との温度差が酷っ!

「とはいえ、この前の件があるから、今彼女達と接触するのはあまりよろしくな……ん?」

 いつの間にやら鏡の持ち物が右手のみドリンクから別の物に変わっていた。バスケットボールサイズの謎の黒い球体を掌に乗せるように持っている。

 そいつを見た瞬間、ぞくりと背筋に嫌なものが走った。何かは分からないが、俺の心の中では警報が鳴り響いている。それは、ここにあってはいけない存在だ。
 あくまで直感でしかないが、今までくぐり抜けてきた修羅場が、直感を確信に変える。
 俺の様子が変わったことで、修一も球体の存在に気付いた。修一の表情も強敵を前にした戦士のそれに変わっている。

「良い面構えね。説明が楽そうよ」

 大当たりかよこん畜生。止めなくては。あれは確実に俺の平穏を破壊する。

「止めるんだ。今はとても平和じゃないか。一体何が不満なんだ!」
「やっぱりちょっと落ち着きなさい。私は、今そこから落ちてきたのをキャッチしただけよ」
「落ちて来たって、そんなのやる人間なんて一人しかいねぇだろ」

 修一の言葉に俺は同意した。
 すぐにでも逃げ出したい気分の俺達とは違い、鏡は一人落ち着き払い球を地面に置いて、二つ折りの紙を俺達に差し出す。

 そしてこいつ、この間ずっとストローから口を離していない……。お前はあれか、常に水分とらなきゃ干からびて死ぬみたいな設定でも付加したいのか。

「紙は説明書だったわ」

 俺はとりあえず説明書を受け取って広げた。横から修一も覗き込んでくる。

『みんな楽しんでいるかな? 皆の美上司、黄泉塚輪廻だ。楽しむついでに、一つ実験に協力してくれたまえ。
 この球は魔力吸収機で、起動すると自動的に魔力を持つ生物を探索し、攻撃を行い魔力を奪いとる仕組みになっている。
 私が君達の元にこれを届けてから五分経過すると自動で起動し、さらに三十分経つと停止するようにセットした。君達は時間まで適当に逃げ回ってくれればいい。それでは健闘を祈るよ』

 一通り読み終えて視線を球に移した。球は既に不気味な光を放っていて、もう手遅れですよーと自己表現しているようにしか見えない。
 俺は一度大きな溜息をついてから、叫んだ。

「球を破壊しろおおおおおお!」
「駄目だ! 間に合わねぇ!」
「ヒャッハァー!」

 狼狽する俺と修一を無視して、鏡がお前はどこのモヒカン野郎だというテンションで球を拾い上げぶん投げた。それも、なのはちゃん達のいる方へだ。
 あーもう! 肩に棘ついたアーマーでも付ければいいよ世紀末馬鹿野郎!
 球は放物線を描きながら落下していたが、さっきより強い光を放ち途中で静止して……巨大化した。

「なんだありゃあ!?」

 修一が驚きの声を上げたが、俺と恐らくは鏡も同じ気持だっただろう。
 球は直径四メートルくらいになり、その上に半球が生えてくる。半球には黒い横長の長方形が二つ並び、その下に楕円形の穴が開いた。顔を模しているみたいだ。なんとも覇気の無い面構えである。

 左右からも胴体より小さい球が数珠みたいに繋がっていき、先端には二回り程大きい球が付着。考えるまでも無く腕だろう。
 場所が場所だからだろうか、足は無なく浮遊している。
 球体改めやる気の感じないロボットは腕を上げながら肘っぽい位置で曲げて、ポーズを決めた。合わせて後ろから『ピシャーン!』と稲妻が走った……ようなイメージが浮かだ。

 これは酷い。逃げよう。今すぐ逃げよう。ここはなのはちゃん達に任せればきっと何とかなるよね。
 俺は回れ右して駆け出そうとしたが、すんでの所で腕を掴まれる。振り返ると、修一が怒った様子で俺を睨み付けてた。

「いや待て、お前なに一目散に逃走しようとしてんだよ」
「逃げるに決まってるだろ。やってられるかよあんなの」
「俺達が出したんだから、俺達で片付けるのが筋だろうが!」

 修一の目や言葉は真摯で曇りなく真面目そのものだった。こんな時だけ正義感出すなよ真面目っ子め!
 むしろ立場的には時空管理局とは真逆の立場にいるのが俺達だろーが。

「俺は関係なーい! おいおいおいおい、それ以上に、俺達だって十分被害者側だろ!」
「拓馬、言い争ってる場合じゃないわよ」
「なんだよ」

 今度は鏡が話に割り込んできた。
 すでに事態を察した人達は逃げ始めている。えぇい、時間が経てばそれだけこっちがバレる可能性が増えるってのに……。特に俺は管理局にグレーゾーン扱いされてるんだ、あんなのが出現した所で発見されたら今度こそアウト。否応無しに正体をつきとめられる。

 だが、鏡は俺の思考を軽く停止させる予想外の発言を、なのはちゃん達の方に指を向けて放った。

「おっぱい」

 逃走、辞め。
 愛と勇気を尊重する少年達が、突如発生した怪奇な事件に立ち向かうと決めた瞬間だった。嘘だけど。