「あのお方の救いが、だいぶ効いているようだな。それでいい、お前の救いは、戦いの中にこそある」
「随分と余裕こいてるじゃないか」
 意識が回帰し、崩れたコンクリートにまみれる俺を見下ろす秋折を睨み付ける。俺が動けないと知って、こいつはわざわざこの距離まで近付いたのだろう。
「痛むんだろう? 傷ではなく、心が」
「笑わせるな」
 砂利を掴んで投げつけ、秋折がそれを払った刹那に、起き上がり様の上段蹴り。
「小賢しい」
 伸ばした脚は鉄球で受けられた。意識が混濁していて次の手にすぐ移行できない。秋折は次のカードを読み込む。
≪ソードアーム≫
「お前の戦い方は熟知している」
 鉄球は両刃式の剣に変化し、そのまま脚を外側に払い除けて返し刃で俺の身体を狙う。
「それがどうしたよ」
≪スカーレットアーム≫
 秋折の剣を装甲で被った右腕で受けつつ、もう一方の腕で切り裂きにかかる。野獣を象る緋色の両腕だ。俺の爪を紙一重で避けつつ、秋折も反撃の手は緩めない。正面からの攻防に、ぶつけ合った金属から火花が散る。
「いいのか、そのコンディションで打ち合いなんかして」
 秋折の忠告した通り、乱打の最中にもヴィジョンが映り込む。
 多少強引にでも前に出て、二本の腕で一刀を受けているから、やっと対応できているようなものだ。
 ああまた、俺の世界が入れ替わる。そこに現れるのは、どれもこれも、姉さんとの思い出ばかりだ。
 姉さんの笑顔。
 剣を受ける。
 姉さんの涙。
 爪を振るう。
 一緒にいれる時は、いつだって一緒だった。姉さんは優しくて、俺とエノクはそれに甘えてたんだ。あの頃の俺は、泣くことしかできなかったから。
 腕二本じゃ捌ききれなくなってきた。足にも装甲を施し、抵抗を試みる。
 姉さんは俺より六歳年上だったけど、所詮十四歳かそこらの少女だ。それで俺達を守りながら戦っていたのだから、あまり表に出さないだけで身も心も俺よりぼろぼろだったろう。
 意識が飛ぶ頻度が多くなり過ぎて、対応が間に合わない。
 強い人だった。優しい人だった。あの人のような大人になりたいなんて、願っていたんだっけ。ああこの記憶は、ずっと一緒にいようねって、俺は姉さんと指切りしたんだ。大きくなったら姉さんと結婚するんだって駄々をこねたりもしたっけ。
「どうした。泣いているぞ?」
「うるさい」
「だいぶ攻めが単調になってきたな」
 戦況はほとんど防戦一方になっていて、自分が泣いてる自覚すらなかった。
 どんなに辛くとも姉さんは俺達を優先しながら生きる人で、そして僕はそれに依存して生きてきたに等しい。違うだろ、生きてきたじゃ現在進行形だ。それは事実であっても、今はもう誰に頼らずとも俺は生きていける。
「それでもお前くらい倒せる」
「倒して、それでお前は幸せになれるのか?」
 愚問だな。俺は幸せになるために戦っているんだ。
 だけど戦い続けてきた今は、決して幸せじゃない。痛くて辛くて、泣いてしまいたい。ああもう僕は泣いているんだっけ。姉さんの腕はとても暖かくて、僕が泣き止むまでずっと抱いてくれた。
 だが、今はもう俺を守ってくれる人はいないし、一人で戦っているんだ。
「痛いだろ? 苦しいだろ? 傷ではなく、心が」
「うるさい」
「もういい、もう暁拓馬は、休むことを許されたんだ」
「お前はもう黙れ!」
 力任せに秋折を振り払う。まるで駄々っ子の姿だ。
 でもそれが僕じゃないか。恐くて恐くて、震えて泣いてるだけ。そしてアストラルお姉ちゃんは、僕に優しくしてくれた。血の繋がってない僕を弟と呼んで、僕はお姉ちゃんが大好きだよ。
「うああああああああああああああああああ!」
 誰だよ今のは。あいつは違う。僕は俺じゃない。
 僕はここにいるのに? お姉ちゃんは何処?
「あのお方の愛を受け入れろ。そうすれば戦いに生きたお前の恐怖は清められ、安らぎだけが残る」
 嫌だ。俺は僕を失いたくない。え、僕? 君は僕だよ。けれど僕は俺じゃない。僕は僕。僕は君で、ここに生きてる。
 それなら、俺は何処にいる?
「これで終わり。いや、これが始まりだ」
 秋折の剣が僕を切り裂いて、僕の身体から赤が流れる。痛くて生暖かい。恐い恐い。僕の大嫌いな赤だ。
 僕の記憶がまた開かれる。ああ、この記憶は見たくないな。だって僕の大好きなお姉ちゃんと、永遠のお別れをした日だから。
 夜の闇に包まれた森の中で、僕達は息を潜めて隠れていた。
 緊張と恐いので、心臓がズキズキする。
「気を付けろよ。俺やお前が死んで、一番悲しむのは姉さんなんだからな」
「うん。エノクも、気を付けてね」
 与えられた任務を終えて後は帰還するだけだったのに、僕とエノクは敵に見つかり、お姉ちゃんとは離ればなれになってしまった。そして僕達は二手に別れて逃げることを選んだ。
 だけど、僕はあっさりと見つかってしまう。
「居たぞ!」
 一人ぼっちで、敵に捕まったら殺されちゃう。そう考えたら、僕の身体はガクガクと震えが止まらない。寂しくて不安な中、僕は走る途中で小枝を踏んでしまい、自分から敵に居場所を教えてしまった。
「手間取らせやがって、クソガキが」
「覚悟はできてるよな?」
 五人の大人が、バリアジャケットを着て武器を手に僕を囲んでいる。
 どうすればいいの、誰か助けて。エノク。お姉ちゃん……!
「う、あ……あ……」
 僕は泣きながら武器を構えるけど、震えが止まらない。恐い恐い恐い恐いよ。
「ははは、そんなブルってちゃ、この距離だって当たらねぇよ」
「おら、落とし前を付けてもらうぞ!」
「さっさとしろ。逃げたネズミは、もう一匹いるんだ」
 僕の視界は涙で滲んでしまいぼやけているけど、一人のライフルが僕に向けられるのはわかった。これから僕は殺されるんだ。とろくて失敗ばかりで、何をやっても駄目な僕は殺されて当然なのかも。それでも、やっぱり死ぬのは恐くて諦められない。
「嫌……」
「嫌じゃねえんだよ!」
「ぎゃう」
 ライフルを持った男の人は僕のお腹を蹴って、その痛みに僕はうずくまる。ライフルを見るのが恐いから、頭を抑えてぎゅっと目を瞑った。真っ暗だ。僕が死んだら、僕の意識も、こんな真っ暗になるのかな。
「けっ。ホントはもっといたぶってやりてえけど、これで殺してやるよ」
「や……」
 死にたくない。僕は死にたくないよ。死ぬのは恐い。恐いのは嫌だ。
「死ねクソガ――ぎえあああ!」
 僕を撃たずに、男の人は叫びを上げた。目を開けると、男の人は肩から血が出ていて、皆後ろを見ている。その視線の先にいたのは、
「拓馬に手を出すな!」
「アストラルお姉ちゃん!」
 お姉ちゃんだ。お姉ちゃんが、僕を助けに来てくれた!
 やっぱりお姉ちゃんは、どんな時でも僕を助けに来てくれるんだ!
「あれがもう一人か!」
「痛いてぇぞ、くそアマがああああ!」
 撃たれた男の人が怒鳴りって、お姉ちゃんに引き金を引く。でもお姉ちゃんはシールド魔法で攻撃を防いで、魔力弾を発射しながらこっちに走ってくる。
「全員身を守れ、誘導弾だ!」
 男の人達もシールドで魔力弾から自分を守り、お姉ちゃんは僕の下へ。お姉ちゃんはいつものように、僕を抱きしめてくれる。
「拓馬、怪我はない!?」
「うん、大丈夫……」
「良かった、間に合ったんだね」
 恐くてまだ上手く喋らないし、蹴られたお腹はずきずきするけど、それは黙っておいた。
「小賢しい真似をしてくれる!」
「こんな豆鉄砲で、よくもこけにしてくれたな」
「てめえは絶対に殺してやる!」
 シールド魔法を解いた男の人達が、次々とライフルを構える。皆がさっきより険しい顔付きだ。
「お姉ちゃん……」
「貴方は逃げなさい。絶対振り返っちゃ駄目。わかった?」
 お姉ちゃんが僕の身体に触れると、全身を赤い魔力が包んだ。これは防護魔法の一種だと、昔お姉ちゃんが教えてくれたことがある。暖かい、お姉ちゃんと同じ温もりだ。
「でも……」
「いいから行きなさい!」
 お姉ちゃんが叫んだ瞬間、光が弾けた。男の人達が撃った魔力弾が、お姉ちゃんのシールド魔法にぶつかったから。
「僕一人じゃ無理だよ」
 恐いから。僕は弱いから、あらゆるものが恐くて仕方ないんだ。
「貴方は私の弟で、男の子でしょ? だから大丈夫、拓馬ならやれるわ」
 お姉ちゃんの後ろで光は弾け続けて、僕を抱きしめるお姉ちゃんの腕が震えている。そうか、お姉ちゃんも恐いんだ。僕がいるとお姉ちゃんが上手く戦えないから、僕は恐くても離れなきゃ。
「わかったよ、お姉ちゃん」
「うん。拓馬は良い子だね」
 お姉ちゃんの身体が離れて、僕は立ち上がりすぐに逃げ出した。これでお姉ちゃんは自由に戦える。
「ずっと一緒にいてあげられなくてごめんね。エノクと二人で、私の分まで生きて」
「え?」
 お姉ちゃんは、僕の背に向けて最後にそう声をかけた。それがとても気になったけど、お姉ちゃんと約束したから僕は振り向かすに走る。
 走って走って、けれどお姉ちゃんの言葉が気になってしまい、様子を見るため、離れた木陰から覗いてみた。
「お姉……」
 お姉ちゃんはうつ伏せに倒れている。たくさんたくさん、血が流れて。お姉ちゃんが動かない。どうして、お姉ちゃんは強いのに。これまでだって、僕とエノクを守ってくれたんだよ?
 ここから男の人達の声は聞こえないけど、皆お姉ちゃんを見ながら話している。一人が笑ったかと思うと、お姉ちゃんを仰向けにして、服を脱がせ始めた。そのままお姉ちゃんの胸を触ったり舐めたりして、だけどお姉ちゃんは怒ったり嫌がったりもしない。
「やめ」
「バカか、大人しくしてろ」
 お姉ちゃんを虐めないで! 叫ぼうとしたのに、誰かが僕の口を後ろから塞いで声が出せない。
 僕を止めたのはエノクだった。怒っているけど声は小さくて、僕の耳元で囁いている。
「だってお姉ちゃんが」
 お姉ちゃんは着ているものを全部剥がされ、裸で乱暴されている。そんなの酷すぎる! やめて、やめてよ!
「何のために姉さんがあそこに残ったと思ってる。お前が行っても同じだろ。ここで俺達が見付かって殺されて、姉さんが喜ぶと思うのか」
 僕の口を手で覆い続けながら怒るエノクは、僕と同じように泣いていた。
「うう……ううううううううぅ」
 あの日、姉さんは戦場で俺を庇って死んだ。
 姉さんに生かされた俺は木陰に隠れながら、命を奪われた姉さんが貞操まで奪われ辱められる姿を、泣きながら見ているしかできなかった。