彼女はそれまでと変わらない穏やかな笑みではっきりと言った。

「どのタイミングで気付きましたか?」
「確信したのは今回の事件の説明をリンディ提督がやると言い出した辺りです。直接話してありもしない尻尾を掴もうとしてきたのかと」

 更に言うなら、きっかけは話が始まる前に感じたあの違和感だった。あれは、わざわざこの部屋に通されたことへの警戒と、リンディさんから感じる視察みたいなものだった。
 人を信用できないような場所で育った少年は、他人の猜疑心に対して敏感になっている。生きるため、自然に身についた技術なのだが、ホントはこんなスキル発動させなくてもいい生活を送りたいんだけどなぁ……。

 ともあれ、俺を疑っているリンディさんの本意を引きずり出した。けれど、これは失敗だったかもしれない。何故彼女はあまりにあっさりと認めた?

「あら、拓馬さんも私達の内情を探るために、わざと際どい発言してるかと思ってましたよ?」

 やはりこっちの腹黒さもばれている。つまりリンディさんは俺が仕掛けてくるのを待っていたわけだ。
 普段ならもう撤退しているレベルの戦いではあるのだけど、今日はここからまだ踏み込まないといけない。

「ちょっとした好奇心ですよ。なんたって魔法の世界ですからね。ファンタジーな世界が現実に広がってるのですから、興味を持つのは当たり前じゃないですか。話を聞いてみたら、どちらかというとSFみたいですけど」
「昨日所持していたゲームのような世界がお好みですか?」

 予想外の凶器で殴られた。どんなけ引っ張られるんだよこのネタ! 最近の大人は、思春期の少年の心を弄ぶのが趣味なのか!?

「昨日のバラバラにされちゃった荷物ですか? あれ、ファンタジーのゲームだったんだ」
「そ、それより最初の質問に答えていただけませんか?」

 話を戻そうとしただけなのに、思わず噛んじゃった。しかもフェイトちゃんまで興味を持ってしまったようだ。この子にまでバレるのは精神的ダメージが測り知れないので、とっとと流して先へ進む。

「疑っている理由は、貴方のその性格と行動です」
「行動?」

 性格については、まぁ今更否定するだけ無駄だろう。行動方面で思いつくものはといえば、こっちは一つしかないな。

「野矢正樹は、拓馬さんは鴉で脅しつけても顔色一つ変えなかったと供述しています」

 あのクソメガネめ。あの行動は、相手の度量を計りながら警戒心を持たせるためによくやる、言わば癖のようなものだ。特に意識することなくやってしまった。我ながら詰めが甘い。

「彼の言うことを鵜呑みにするつもりはありませんけど、この嘘で野矢正樹が何か得るものがあるとは思えません。だから供述については半信半疑でしたけど、今までの会話で充分確信の領域に入りました」

 あらら、平穏に帰還どころかむしろ追い詰められてないかい?
 問題は俺がどこまで包囲されているかだ。すでにチェックメイトの段階とまでは思えない、自分の状況を確認しつつ、突破口を探る。

「俺を怪しいと踏んだのなら、何故初めから自分で説明せず、フェイトちゃんにもこの作戦を伝えなかったのですか?」
「貴方の性格を利用して真実を探ろうと思いましたから。フェイトさんは少し素直過ぎるところがあります。先に真実を伝えてしまうと、拓馬さんが私の考えているタイプの人間だった場合、むしろ振り回される可能性が高いと思ったので伏せておきました」

 フェイトちゃん御本人は俺達の会話に真剣に聞き入っている。もう自分が割り込む話ではないと理解しているのだろう。それでも根がかなり真面目な子だ。二転三転する状況を、自分なりに把握しようとしているように感じられる。
 昨日はこの直向さを利用して散々振り回しているので、リンディさんの判断は正しい。

「逆に何も教えず説明させれば、俺の警戒を解きやすくなるってところですかね」

 これならフェイトちゃんが下手に真実を知っているより、この事情聴取の本質を探るのは難しくなる。この状態で振り回されそうになれば、横にいるリンディさんが話の矛先を変えればいいだけの話だ。俺に話の内面にある罠を悟らせず、自滅を誘うつもりだったわけか。

「そうです。それで尻尾が出ればひょいっと捕まえちゃうつもりだったんですけどねぇ」

 リンディさんが、空中で何かを掴むような動作をする。だが、その手は何かを掴むことはない。唯一手の中にあった空気は狭い空間からすり抜けて去っていき、行動は徒労に終わった。そう信じたいが、現実から目を逸らすつもりもない。
 俺は警戒のラインを上げつつ質問を続ける。

「それで、今度はリンディ提督御自身が説明してみせて、様子を見ようと?」
「自然な行動で警戒が解けないのなら、逆に不自然な行動を起こせば尻尾が出るんじゃないかなと」
「付け入る隙のある会話も、疑っていることを認めたのも、このジョーカーための布石だったわけですか?」
「はい。そうですよ」

 リンディさんは楽しそうな声色を上げつつ、満面な笑みで頷いてお茶を啜る。縁側に置けば絵になりそうな態度だ。どうせならこんな少年を追い詰める仕事などしないで、日がな一日日向ぼっこでもしていて欲しい。

「だとしたらそれは――」
「拓馬さんが考えるように危ない賭けでした。失敗すればこっちの情報だけ持ち逃げされるわけですから」

 こっちの考えは全て見透かしてると言いたげな話し方で、リンディさんが言葉を終えた。
 事実、俺は最後にした質問の時点でリンディさんは全てのカードを切ったと思い込んで攻めに踏み切ったのだから、否定など出来ない。
 刺された。俺の腹に、リンディさんの白刃が突き立てられたのだ。

 俺の中では屈辱がこみ上げている。リンディさんの手の中で動かされていた、甘っちょろい自分に対する憤りが。
 それだけじゃない。リンディさんがこんな危険な賭けを実行した理由。それはつまり、実行してなお勝てる見込みがあると考えられているということだ。

「そんな事は考えてないですよ」
「あら、違ったかしら?」

 リンディさんは指をあごに当て小首をかしげた。予想が外れたことが意外なように見えるが、その奥はこれからどう詰ませるかを考えているのだろう。

「だとしたらそれは、とことん無駄な空回りです。と言おうとしんたんですよ」
「この期に及んで、まだ言い逃れするおつもりですか?」
「この期? 俺はただ、メガネ相手に一番生き残れる可能性が高い行動をとっただけですよ。リンディ提督はその行動が勝手に怪しいと言ってるだけじゃないですか?」

 突き刺さった刃は、だがまだ仕留められる深度には達していない。戦闘は続行可能だ。よって、これからもう一度この盤上をひっくり返して、俺は逃げ切る。
 なんてことはない。今のリンディさんはさっきの俺と同じなんだ。全ては状況証拠でしかなく、どれだけ集めても俺を捕らえる絶対条件には満たない。

 危険な賭けに出るということは実行可能以外にもまた別の意味があり、それは相手陣の状況を考えればわかる。既にこの事件の死者は三人だ。
 にも関わらず犯人の情報はゼロなのだから、リンディさん、いや時空管理局は間違いなく焦っている。だからこそ、こんなリスクの高いアクションに出た。

「だいたい、そんな都合のいい展開があるわけ無いじゃないですか。俺は魔法さえ使えない普通の人間なのに」
「それは貴方が隠しているだけなのかもしれませんし、そもそも私達の世界でも全ての人が魔法の素質を持ってるわけではありません」
「魔法については、調べたいなら喜んでどうぞ」

 俺は余裕を示すように、オーバーリアクションで両手を広げてみせた。それを見たリンディさんも、口元に手を当て上品な笑みで返す。

「それじゃ、後で遠慮なく調べさせてもらおうかしら」

 俺に魔力の素質なんぞない。それは誰より俺が一番よく知っていることだ。ホント俺はつくづく魔導師に向いてないよな。得意科目も身体そのものもさ。
 唯一の証拠となりえる“相棒”は、現在管理局の手の出せないところにある。リンディさんもああ言ってはいるが、俺がノーガードな時点で無駄なことだと内心わかっているはず。

 さぁ、これでリンディさんの勝ち手は潰した。相手に不利な状況を連続で叩きつけて、負けを認めさせる空気を作る。さっきわざわざ自分の手をひけらかしたのも、今の俺がいかに不利な状況を見せ付けるため。一種のブラフだ。
 さらにリンディさんの所有している俺についての情報は、メガネだけ。最も重要な、俺が事件とどういう関わりがあるかの検討が付いていない。

 俺の正体をわかっているなら、さっき追い詰めた時に不利な理由作りとして出しているはずだ。
 これを出されれば、俺だって未だこんな余裕を持った対処はできてない。突きつけられた繋がりをどうやって見つけたか探るために、かなり四苦八苦する羽目になる。それこそ、最終的に詰まされかねない勢いでだ。

「話を戻しましょうか。今まで言われてきたこの性格と行動は、今までの厄介な人生で身についたもの、いわば副産物なんです」
「それ、差し支えなければ詳しく教えてもらえますか?」
「説明して俺の疑いが晴れるなら」
「それはお話次第ですね」

 後はこの性悪な性格と行動の説明をすればいい。そうすれば、管理局が俺を疑える理由は消える。少なくとも、今この場で俺を拘束することは不可能だ。
 ここで撤退できれば、こちらの体勢を立て直すのは難しくない。事実上の勝利と呼べる。

「俺が六歳の頃、交通事故で家族を全て亡くしたんです。それで親戚に引き取られたんですけど、あまり歓迎されなかったんですよ。一言で言うならドメスティックでバイオレンスな毎日でした。それでもしぶとく生きてたら、相手の性格や動向を探る癖が付いてたんです。
 そんな家ですから、また面倒なごたごたがあって、別の親戚に引き取られました。そっちは割と自由奔放に育ててくれまして、今はバイトしながら一人暮らししてるんですけど、あの時の癖は今も健在と言えばいいでしょうか」

 フェイトの視線が急激に痛々しいものになる。たとえ嘘の可能性があろうとも、ここの連中はこういった話に弱い。
 特に自身に同じ経験のあるフェイトちゃんや、そのフェイトちゃんを引き取ったリンディさんは、他人の振りが出来ないだろう。
 ちなみに、この大嘘の裏付けは、この町に住みながら“こういう時”のために色々偽造したから何も問題無い。

「それで相手に拳銃を突きつけられている様な状態でも、飄々としてられたと言うことですか?」
「人じゃない鴉だけならどうしようもないですけど、人質の時は相手が見えてました。ああいう輩は力で抑えこめれない相手には弱い。でも持ち手の武器が強力過ぎて全力での行使も無理だから、己と相手の武力差をちらつかせた威嚇する」

 初めに鴉に襲われた時にしょうがなしに悲鳴を上げたのは、相手が化け物オンリーで相手の意思をはっきりとは感じ取れなかったからだ。
 手加減されているとわかってはいても、それが自分の中で確信に至らないなら調子こくべきではない。

「死なない程度に撃たれるとは思わなかったと?」
「下手にびくびくしてると、相手の被虐心そそるだけですよ。ああいう連中の心理はわかってますから。伊達に虐待されていたわけじゃありません」

 事実として相手になめられないことは重要だ。虐めや虐待にリンチなんてのは、相手を見下しているから起きる。こいつはどこか危険かもしれないと警戒心があれば、相手はおいそれと手を出さない。
 人間関係を対等以上に保とうと思うのなら、まずは相手になめられないことが一番大事なのだ。

「他にも、人質時にはさっきの怪談話も思い出してましたから。火の無いところに煙が立ち昇らないのなら、少なくともそいつは殺されていない。それでも内心はドキバクでしたけどね」

 本当にドキバクなのは今この時だけどな。心でそう呟いて、俺は話を締めくくった。

   ●

 アースラから無事解放された俺は、尾行や盗聴に警戒しながらさっさと家に帰った。
 なんとか生き残った……というところか。疑われたままなのはわかっちゃいるが、こっちも管理局側の内情を得たので痛み分けということにしておこう。

 念のため魔力資質のテストも受けたが、これは見事赤点を獲得し晴れて自由の身となったわけだ。資質については赤点と言うよりはゼロ点と言った方が正しいかもしれない。
 これで全ての疑いが解けたわけではないのは百も承知だが、そこはもうこれ以上事件に首を突っ込まなければ問題はない。むしろこれ以上関わってたまるかよ。

「後はこっちか……」

 もう一つ残っている大きな問題にうんざりしながら、ボスに任務完了の電話をかけた。
 任務……こいつが無ければ今日こんな危険な目にもあわずに済んだのに。

「もしもし、暁です。ええ、カツ丼は出ませんでしたけど仕事はしましたよ。今から相棒の回収ついでに報告へ行きます。これで約束通り、俺はこの事件に関して金輪際関わりませんからね」

 ボスから了承の言葉を経て、俺は電話を切った。
 で、この約束は半月も経たないうちに破られましたとさ。ほーりーしっと。