GODZILLA 決戦機動増殖都市

先にランページ観たかったので、
一週間遅れでアニゴジ映画の第二章を観てきました。

優先して小説書いてたので、
記事にするのは遅れたんですけどね……。

一週間経ってるのにかなり満員。
前日にチケット購入してなきゃ結構危なかったかも。

感想を簡単にまとめると、
一章より怪獣映画らしくなりました。

前回一番残念だった人物描写も、
今回はかなりガッツリ描いてます。

一本の映画としての完成度も
かなり高まっていると思いました。

特にアニゴジはアニゴジで怪獣とは何か。
ゴジラに勝つというのはどういうことなのかを独自の視点で語っているのが面白いです。

というわけで以下からネタバレになります。

怪獣の新たな概念

アニゴジ第二章の主要部分は『ゴジラVSメカゴジラ』編でした。

なお、メカゴジラ自体がある意味ゴジラよりも話の主軸になっていて、今回の主人公と言えなくもないです。

そんなメカゴジラさん、本作では登場しておきながら登場していません
未視聴の人は何のトンチだと思われるかもしれませんが、観た人はこれ以上に相応しい表現はなかったとご理解いただけるはず。

ゴジラが地球で二万年進化し続けていたのと同じく、メカゴジラも独自の進化と発展を遂げていました。

メカゴジラを形作っていた金属が、まるで意思を持つようにあらゆるものを侵食してその金属を増殖していたのです。
そして広がった金属は一つの都市を構築していました。

もはやメカゴジラとは一個の都市を指す言葉となっていたのです。

前作に引き続きものっそい変化球を繰り出してきました。
前同様これもかなり賛否両論あると思います。

『GODZILLA 怪獣惑星』がゴジラっぽくない理由とは?

こういう捻り方は個人的に好きなので、
私は肯定的な立場です。

それでもメカゴジラはメカゴジラとして出してほしかったという思いはあります。
せめて要塞化していない一個の兵器としても、
登場させることは出来なかったろうかと。

他の新型機動兵器をだしているので、
設定上、別に不可能じゃないと思うんですよね。

本来メカゴジラは人が運転するものです。
末端用の機動兵器として『怪獣型』メカゴジラは運用してくれたら、一作の目からの流れという意味で、二作目としての評価はほぼ完璧なものでした。

独自路線を展開するにしても、
ここは外せない要素だったのではないかと。

人間がゴジラに勝てない理由

本作では人間がゴジラを倒せない理由にも踏み込んでいます。

それはとてもシンプルで、
『ゴジラは人間を超越した存在だから』です。

人間のうちビルサルドの人達は、
ゴジラを倒す最も合理的な作戦として、
自らをメカゴジラに取り込ませます。

脆弱な体を捨て、
自己の処理速度を最大化して、
メカゴジラのパーツとなる。

ロボットアニメでも強敵を倒すために、
マシンと一体化してパワーアップ!
みたいな展開と同じです。

それはゴジラを倒すという理屈の上では最善策でした。
しかし同時に人間を辞めています。

またビルサルド的にはこれが合理的かつ当然の方針。
つまり迷いも葛藤もなく、
むしろ推奨してやっています。

人間は怪獣に勝てない。
なら、なっちまえばいいじゃん。怪獣に。

という餓狼伝における工藤の羆化理論を、怪獣でそのまんまやったのです。

現在のゴジラは生態系の頂点であり、
地球の神にも等しき存在。

メカゴジラがゴジラを倒したら、
今度はメカゴジラが自身の特殊金属による侵食で、地球を改造するでしょう。

自己進化に自己増殖……

デビルガンダムかお前は。

それはとどのつまり、
生態系の頂点がゴジラではなく、
メカゴジラになっただけ。

そもそもビルサルドは怪獣を否定していない。
怪獣とは進化の行き着く先であると肯定しています。

これは怪獣という存在に対する、
新しい概念と言えるでしょう。

事実、作中に登場するフツアは、
人間と昆虫が融合して進化した種族です。
そして彼らの源流はほぼ間違いなくモスラ。

もっとも彼らは人間と在り方は大きく変わらず、モスラを信仰の対象としている点では、ビルサルドと大きく異なります。
それ故に、ビルサルドとフツアは基本的に思想が合わないまま終わりました。

怪獣思想と結び付く心情描写

今回のアニゴジでは、
キャラクターの心情は各種族の思想と大きく繋がっていました。

前回のアニゴジはストーリーを展開するためにキャラを駒として動かしていました。
今回はキャラの心情が思想を作り、ストーリーの要を補強しています。

それぞれの思想や迷いが、
最終局面の構図を形作っていました。

前回、とにかくエレン思想でゴジラ絶対殺すマンだった主人公のハルオ。

彼はゴジラに大敗して仲間を大量に死なせたことで、自分の思想は正しかったのかと自問するようになりました。
盲目的だった一章より人間的で、
この手のひら返しは好感が持てます。

結局、ハルオの盲信は家族を殺された私怨と、ゴジラや怪獣達に直接挑んだことがなかったことが起因しているように思えました。
もっと上のおっさんや老人達は、怪獣に街を破壊されて、何やっても倒せないゴジラの恐さを骨の髄まで味わった結果、地球から逃げたのです。

ハルオは幼い子供だったが故に、この敗北感と恐怖が心に刻まれていなかった。
要するに映像のゴジラに敵愾心を燃やし、俺なら勝てるとイキってたわけですよ。

そしてリアルゴジラの圧倒的破壊を前にして、ようやく怪獣に挑むということの恐ろしさと、そこに出る犠牲を学んだ。

彼は迷い悩みながらも人間の尊厳と、犠牲になった者達のためにも前へ進みます。

しかしメカゴジラという怪獣の暴走によって、彼は怪獣を倒すために自らも怪獣となる選択を迫られました。

ハルオが出した結論は、
メカゴジラとの決別。

それはつまり概念化した怪獣の否定し、
人間は人間としてゴジラを倒す。

地球人は人間としての挟持を貫くという宣言です。

鬼になるということは
鬼にならないということ

というヒビキさんの言葉を思い出しました。
第二章で主人公としてハルオのキャラクターはしっかり肉付けされたと思います。
これで安心してハルオを応援できる……。

ただし、この決断が遅れたせいで、
彼はメインヒロインを目の前で失うのですが。

この精神的にいじめ抜くスタイルは、
虚淵玄脚本だなあと思わされます。

キングギドラと疑心暗鬼

そして第一章のラストにメカゴジラが出てきたのと同様、第二章のオチとして『ギドラ』の名前が登場。
三章予告のイラストでは三首なのでキングギドラであることは疑いようもありません。
単にシリアスな空気に合わせ、名前の響きでギドラにした可能性が高そう。

それよりもメカゴジラでここまで盛大にちゃぶ台返したされた上、モスラも控えているし、何より次で話を畳まないといけない。

そもそもギドラがゴジラすら小物扱いという特級扱いなので、もうまっとうにキングギドラが出てくるとは到底思えません

メカゴジラのせいで、
こちとら身構えまくりですよ。

実際、ギドラが完全にゴジラを超える存在だとしたら、それはそれでゴジラの『怪獣王』というアイデンティティが揺らぐので、なんだかなあという不安もあります。

通常のゴジラならVS形式でゴジラの強さを示す、言ってしまえばプロレス的要素として、強敵キングギドラの登場は喜ばしい存在です。
しかしアニゴジは全く新しいゴジラを目指していて、話の方向性も随分違った路線に進行しているため、正直ここは期待より不安の方が大きいというのが本心。
ていうかメカゴジラで思いきりやられた疑心暗鬼の音は深い。

そもそも、まっとうにキングギドラとモスラを出してしまったら、来年公開されるハリウッドゴジラ2とダダ被りになってしまいます。
日本では先にこちらが公開とはいえ、二番煎じという感は拭えません。

キングギドラとモスラを最後に持ってきたのは期待感を煽るためなら絶対的に有効な方法ですが、その分ゴジラファンのハードルは上がるのです。

ただ一本のアニメとしては良い出来なものがくる、
という部分に疑いはありません。
次回も楽しみにしています。