ひたすら楽しみにしていたアマゾンズ完結編。
公開初日で観て参りました。

前日に予約したのですが結構込んでいて、
劇場内はほぼ満席状態でした。

ビルドの劇場版やエグゼイドのVシネ上映より人が入るアマゾンズ。

総集編の『覚醒』と『輪廻』があったとはいえ、
まさかここまでとはと驚きでした。

Amazonビデオがメイン放映なのにこの人気とは思いませんでした。
なお、客層も通常よりかなり年齢が上がっていました。

私の近くでは中高生もいましたが、
どう見ても四十代以上の夫婦(子供無し)もいましたね。

ストーリーはシーズン1の延長線上

千翼とイユは名前すら出てきません。

話の主人公は悠であり、
迅との決着までが描かれます。

話の設定も舞台をその流れを整えるため、
という要素の大きさは見て取れました。

なので話としてはシーズン1からの延長線上、
弱肉強食、食うか食われるかの世界で生きる者達の倫理観と、その中に生じる正解のない正義。
それとどう向き合って生きていくか、あるいは食い合うかに戻っていました。

ただし、ストーリーを読み解いていくと、
彼らの存在、特に千翼は悠と迅の両方に大きな影響を与えています。

それに話の落とし所についてはシーズン2の重要なキーであった、
千翼の出した結論にも大きく結び付きます。

シーズン1は純粋な食物連鎖と弱肉強食の物語。
人間が食物連鎖の頂点から引きずり降ろされ、
食われる側になった時に生じる倫理観。

人間より高等な生物ならば、
人間を食糧にしてもいいのか。

アマゾンには法律なんて意味がない。
ただただ人間より強い上位種が、
生きるために人間を食らう。

生物ピラミッドの頂点で、
安全に他の動物を食べている人間に、
倫理観を越えてその意味を問う。

平成初期にまで遡ってもこんな話できねーよ!
という話を真正面から挑んでいました。

シーズン2ではシーズン1とかなり毛色が変わっています。

自己の存在をあらゆる者達から否定された千翼と、
一度死に道具として蘇生されたイユ。

生命として許されない枷と業を背負った者達によるボーイミーツガール。

社会的に殺されるしかなく、
自身にもその自覚のある千翼。
それでも生きたいと醜く足掻く姿は、
シーズン1とはまた違った観点から、
『生きる』というテーマを扱っていました。

劇場版では1の流れを重要視しつつ、
最後はシーズン2の生に対する倫理観も踏み込む。
まさに集大成と言える名作であったと思います。

以上が未視聴な人向けの感想。
以下からはネタバレになりまっす。

アマゾン牧場の倫理観

アマゾンズはとても挑戦的な作品だというのは、
ネタバレなし部分でお話しましたが、
いきなりそれをひっくり返します。

昨今、人間が食べられる側になる話自体は、
別段そこまで珍しいネタではありません。

『進撃の巨人』ではかなりショッキングに、
食べられる側の人間を描いています。

孤児院が実は子供を食糧として提供している、
という話なら『約束のネバーランド』があります。

エグい話や、そこにまつわる葛藤や戦い、
それを通して反抗や生を解く話は、
割とスタンダードなサバイバル物と言えます。

今回のアマゾンズが恐ろしいのは、
そこに描かれている倫理観です。

アマゾン牧場で生活する子供達は、
騙されてここにいるわけではなく、
自分達の意志で生活を営んでいます。

彼らは毎日の糧に感謝し、
食糧として買われることになった仲間を、
心から祝福して送り出します。

子供達にとって食べられることは、
自分以外の誰かの命を繋ぐ行為。

誰かのために自分の命を捧げる。
その行為を素晴らしいもの、
美しいことだと心から信じているのです。

一見すると宗教的で異常に感じるかもしれません。
しかし本当にそれだけでしょうか?

例えば赤信号で飛び出してしまった子供がいるとします。
それを偶然見かけた誰かがいて、
その人は咄嗟に子供を突き飛ばして、
代わりに自分が車に撥ねられる。

その結果子供は奇跡的に助かり、
自分は死んでしまった。

もしそれを目撃していた人達がいたら、
その人の行為を堂々と批難することはまずないでしょう。
むしろ子供を救った英雄として警察に語り、
マスコミがニュースに取り上げる。
結果、死んだ人は日本中から喝采を浴びるかもしれません。

月の兎だって旅人に扮した神様を、
自分が食糧となって助けたことが由来です。

基本的に自分の命を他人に捧げるという行為は、
古来より美談として受け入れられているのです。

つまり子供達が命を捧げる行為が尊いものである以上、
彼らを救おうとする悠の行為は、
ヒーローではなく自己満足に成り下がってしまう。

その結果ムクは被食者になることを受け入れるも、
そこで食べられることの本質と現実を見て心代わります。

人間にとって食事は多くの場合、
感謝の感覚なんて薄い当たり前の行為です。

いやいやいただきますってのは
食糧となってくれた相手に感謝する意味で、
僕らは日々糧となってくれた動植物に感謝しているよ!

と反論する人はいるでしょうが、
食事のあいさつの度に心から感謝し
奪った命を噛み締めながら食べている人が、
現実に一体どれだけいるでしょうか?

美味しければそれでよし、
多かったり不味かったりすれば残す。

そういう実際の現実を突きつけられて、
死を恐怖する感情が芽生えます。

しかしここで生じる生きたいという意志は。
それは奉仕を拒絶した自分勝手な行為、
醜い感情とも取れるのです。

何故なら生きる行為は他者を食らうこと。
捧げるという美談の対局に位置するからです。

本作において生きる意志とは身勝手なもの。
だからこそ『自分のために生きて』と、
生き残った子供達は伝えられます。

それは自分が最悪の病原体だと知って尚、
それでも生きていたいと願い
最後まで自分の人生に足掻き戦った千翼と同じです。

そして、そんな彼を最後に殺したのは、
他でもない悠と仁でした。

特に子供達を救うために戦った悠にとっては、
痛烈な皮肉とも言えるでしょう。

悠の曖昧な倫理と正義感

悠は人間の社会を護るため、
千翼という病原菌の根源を殺しました。

社会的に見れば悠の行為は、
先生理論で英雄的行為と言えます。

しかし倫理的に正しいかは別問題。

けれどそう産まれた千翼自身に罪はなく、
ただただ生きることを願っていました。

また悠が他のアマゾンを殺すルールも、
人を喰わない=襲わないことです。

人を食べたい感情は全面的に認めても、
行為自体は絶対許さない。

どちらの論理も突き詰めると、
大勢のために少数を犠牲にすること。

これらのルールは一見正しいように見えても、
線引は悠の中にしかありません。

その自分ルールを押し通すために、
悠はアマゾンの力を振るう。

悠自身にだって力があるだけで、
権利はないのです。
ぶっちゃけ暴君です。

ニチアサ仮面ライダーの主人公ならば、
ヒーローとして十分な覚悟と決意です。

しかしアマゾンズでは彼の曖昧な線引から
生まれる正義感は容赦なく叩き壊されました。

物語の終盤、悠は生きるため戦うため、
ムクを食らって生きることを選択させられます。

それは自分から自分の禁忌を破る行為であり、
悠にとってはこの上ない罪と罰でした。

仁の止まれない覚悟

軸があやふやなまま決意を固めている悠に比べて、
鷹山仁の殺意にはブレが一切ありません。

彼は失い続けました。
正気を失ってもアマゾンを殺す意思を押し通した結果、
心から愛した人を殺して、
血の繋がる息子を殺しました。

そこまでやった以上、
アマゾン牧場の子供達だって殺すしかない。

彼にとって血の繋がった息子も子供なら、
アマゾン達もまた自分が作った子供なのです。

だから止まらない。
だから止められない。

彼にとってアマゾンを殺すことは、
人間を守るためという理由が根底にありました。

しかし今回は遂にその『理由』ですら、
アマゾンを殺すために殺したのです。

つまりアマゾンを殺すために、
邪魔する人間を殺した。

もはやアマゾンを殺すという行為が、
目的そのものに変わっている。
狂気そのものです。

彼は七羽の幻影が見えるのも、
彼がアマゾン殺しを正当化する理由に、
私は見えました。

七羽が見ているから、
彼は鷹山仁を貫かねばならない。

そうでなければ彼女を殺したことに、
自分自身で落とし所が見つけられない。

言い換えると七羽が見ているから、
彼はアマゾンを殺し続けられるのです。

しかし彼の論理にはどうしようもできない、
大きな矛盾がありました。

七羽がアマゾン化したのは仁が原因であり、
千翼が病原体として産まれたのも、
元はと言えばやっぱり仁の責任です。

そしてアマゾン牧場の子供達も、
仁の細胞を採取して作られていました。

要するにどれだけ根絶を目指しても、
その当人がいる限り新しいアマゾンが産まれる。

それを理解してしまっているから、
仁は悠に自分を殺させようとしたのです。

「生き残るのはどっちか一人だ! 選べ!」

悠と仁の決着

悠は自分の守るためのルールを自分で侵すという罪を背負いました。
仁はアマゾンを殺すために守るべきはずの人間を殺すという罪を背負いました。

最後の戦いは罪を背負った者同士の戦い。
そして最後に残った二匹のアマゾン。

草食ではなく肉食として戦い殺す最後のアマゾンの決着。
それはなんていうか、二匹しかいない恐竜が、
殺し合って最後の一匹になるようなものです。

残る一匹は最後に一人だけ全てを背負って生きねばならない。

仁は最後にその役目から開放されて、
愛する人に優しく看取られる幻想と共に死にました。

悠は罪の意識に耐えきれず自害しようとするも、
大事な人の幻想によって呼び止められて生き続けなければならない。

『決着』に勝利したのは悠ですが、
さて果たしてどっちが幸福だったのでしょうかね。

悠は何故最後に一人で去っていったのか

他の殺すべきアマゾンが消えても、
悠はC4に追われ続けるでしょう。

しかしそれは孤児院の草食アマゾン達も同じ。
C4は仁と同じアマゾンを根絶するための組織であり、
草食であっても彼らが殺されない理由はありません。

事実として草食でも人間は容易く殺せるし、
ふとしたきっかけで肉食になってしまう不安定さです。

そんなのは考えればすぐわかることですが、
悠は彼らの元には行かず一人で去りました。

彼はムクを食べました。
草食アマゾンを一度でも食らった彼は、
もうあの孤児院に居場所はないのです。

そして仁を殺したことで、
全てのアマゾンの業を背負った。

まさしく彼は最後の一匹であり、
死ぬまでその罪を背負って生きていかねばなりません。
最後に仁のバイクで走り去るのも、
それを示しているのだと感じました。

彼は前向きな理由から生き残り、
自分の意志で孤独の中を生きていくのでしょう。
目の前にある坂を上るように。