そういえば私物書きだった!
睦月の立ち直るシーンが少ない? だったら自分で書けばいいんだ!
四話までのネタバレ有り。
睦月のシリアスシーンを、自己解釈入れまくりで勝手に補完したお話です。
鎮守府の波止場で、一人の少女が膝を抱えて座っている。
緑と白が基調のセーラー服に、赤みがかった茶色で外跳ねのショートヘア。それが微かに風で揺れている以外に、少女にはずっと変化がない。
微笑むと相手を安心させる柔和さが魅力の彼女は、けれど色の抜けきったような無表情で固まっている。
少女の名前は睦月。
睦月型1番艦の駆逐艦。艦娘という、生まれながらに命懸けで戦うことを運命付けられた少女である。
夕日が海に溶けていくように赤く染まる海岸線を、彼女はじっと見つめ続けていた。
午後の授業が終わってからずっとここに一人で座っていいて、もう数時間は経過している。
睦月を知るものが今の彼女を見れば、その痛々しさに思わず目を逸らしてしまいたくなるだろう。
彼女はここでずっとある人を待っている。
最も自分に近しい、姉妹でもあり親友でもある睦月型2番艦の少女、如月の帰りを……。
けれど、願いにも似た睦月の行為が実を結ぶことはない。
如月は前回の作戦中、敵機に襲われ轟沈したのだ。
人間以上の頑強さと力を持つ艦娘達であっても、攻撃を受けて海へ沈むことはそのまま死を意味する。
当時行動を共にしていた他の艦娘達は、爆撃で一人行方不明となった如月を捜索し続けたが、深く深くへと消えていった彼女を見つけることは遂に叶わなかった。
敵である深海棲艦に対して行われた初の本格的な反抗作戦。敵に見つかり先手は取られたものの、互いの損害を比較すれば十分な戦果を残した戦いではあった。
だが犠牲というのは電卓のように軽く弾き出して納得できるものではない。
捜索は打ち切られて、すぐに如月の轟沈は鎮守府全体に通達された。
それでも睦月は如月の死を受け入れなかった。
如月が撃沈する瞬間を直接見た者はいない。その事実だけが今にも折れそうな彼女の心を支えている。
その支えがあるからこそ、睦月が解放されることもない。
出口のない迷路を、彼女は今もたった一人で彷徨い続けている。
潮の匂いを含んだ風が時折睦月の頬を撫でるが、そこに拭われるべき雫はない。
彼女にとって涙は如月が無事戻ってきた時に流すものだからだ。
悲哀が彼女の頬を濡らすことは、睦月にとってあってはならないことだった。
悲しむということは、如月の死を認めることに等しいからだ。
睦月にできることは、ただここで如月の帰りを待ち続けることしかない。
もう戻ることのない者に、献身的な愛を捧げ続けるのみである。
それに、如月の死を認めるということは、彼女の存在を薄めてしまうことでもあると睦月は思っていた。
形の良い爪や、ふわりと広がるような笑顔。彼女がよくする風に靡く髪を抑える所作。
そんな、なんでもないようなことが、流された涙から一緒にこぼれ落ちていくような気がする。
流れて流れて、いつか彼女の顔まで思い出せなくなってしまうのではないか。
そう考えると急に不安感がこみ上げてきた睦月は、思わずぎゅっと目を瞑り膝に額を擦り付けるように首を下に曲げる。
すると、闇の中から如月の笑顔が浮かんでくる。大好きな彼女の顔だ。
まだ忘れていない。優しさと慈愛に満ちた笑みがしっかりと浮かんだことに如月は安堵した。
すると次に浮かぶのは、彼女が生きて戻ってくる未来だ。
ボロボロになった露出の多いセーラー服姿で、少し照れたような笑みを浮かべて睦月の前に立っている。
(今戻ってきたわ。ごめんね、待たせちゃって)
ううん、いいの。如月ちゃんが無事に戻ってきてくれたから。
約束したよね。わたし、如月ちゃんに伝えたいことがあったの。
(何かしら、睦月ちゃん?)
大好きだよ。如月ちゃん。
(まぁ……)
突然の告白に対して如月は驚いたように瞬きをする。
大好き、だよ……。
本当は事情を説明するつもりだった。けれど、それ以上は詰まって次の言葉が出てこない。
睦月の一言には、あまりに多くの意味がないまぜになっていた。
それでも如月ははにかんで、睦月の大好きな優しい笑顔を返してくれる。
(わたしも……大好きよ、睦月ちゃん)
歩み寄ってくる如月の腕が睦月を包み込む。
大好きな彼女の優しい腕……けれどそこにぬくもりはなかった。
「如月ちゃん……」
気が付くと赤は全て海に飲み込まれ、深く静かな濃い青と、黒く染まった夜空がそこにあった。
どうやら顔を伏せている間に、少しうとうとしていたらしい。
「駄目だな、わたし……ちゃんと如月ちゃんを待ってないといけないのに」
如月が戻らなかったあの日から、学校や食事の時間以外、睦月はずっとここで彼女を待っている。
教室でこそ皆を心配させないよう明るく振舞っているものの、睦月の疲労は確実に積み重なっていた。
それこそ、自分のいつも通りを意識した調子が、かえって他の艦娘達を心配させていることにも気付かない程だ。
身体が心についていけないのも仕方のないことだった。
いや、その心さえとっくに悲鳴を上げているのだ。無自覚の内に空想の幸せに浸るくらいに。
それでも睦月は、ここで待つ他にどうすればいいのかわからなかった。
どうすれば如月がこの鎮守府に、自分の元へ帰ってきてくれるのか彼女にはわからない。
――ありがとう。大好き。素敵。嬉しい。……大切なひとへの大切な気持ち。
そんな言葉をかけられる未来はもうないという、心の何処かで呼びかけてくる自分の声にも、わからない振りをしていた。
「そろそろ戻らなきゃ」
ポツリと呟いて睦月は立ち上がり、もう一度だけ海原に視線を向ける。
「明日も来るからね」
それは誰に投げかけた言葉なのか、彼女自身にもわからなかった。
睦月は“いつもみたい”な笑顔を作って宿舎の方へと戻っていった。
●
想いは伝えなければならない。
ありがとう。
大好き。
素敵。
嬉しい。
伝えた言葉は魔法みたいに相手の胸にあたたかい光を灯す。
想いは伝えなければならない。
伝えられなかった想いは呪いになるから。
次の日も、睦月は波止場にいた。昨日と同じ姿勢で同じ服装。そして同じ無表情をずっと海へと向けている。
地平線に見えるものも昨日と同じだった。
何も変わらず、心もあの日のままで、今日もまた繰り返す。
どうしてわたしは、出撃前にあの言葉を伝えなかったんだろう?
その後悔は、この数日に睦月の中で何百何千回とぐるぐる回り続けている。
――わたし達艦娘は、存在した瞬間から戦うことを運命付けられています。
――今この鎮守府にいる艦娘達もどれだけが無事でいられるか……。
わかっていたはずなのに。
出口はないから、ひたすら回り付けるだけの問答だった。
けれど、その問いかけを繰り返しているうちは、他のことを考えなくて済む。
だから彼女は無意識にずっとその疑問を繰り返していた。
けれど、時折どうしてもその“先”を思ってしまうことがある。
言っていれば諦めが付いた? 何の?
考えたくない。
そこで思考を閉じる。暗闇の向こうにある何かには触れずに、ずっと穏やかな水面だけを眺める。
一時間が経った。
二時間が経った。
また今日も吹雪ちゃん達に心配されちゃうな……。
それでも腰は上がらなかった。
諦めちゃいけない。諦めたら如月を迎える者がいなくなってしまう。
そうしたらもう、如月は帰ってこない。
なら待っていれば如月ちゃんは戻ってくるの?
戻ってくるよ。
いつ?
いつか。
いつかって、いつ?
わからない。
どうやって帰ってくるの?
わからない。
本当に帰ってくるの?
わからない。
わからない。
わからない。
わからないからここにいる。
わかりたくないからここにいたい。
明日も明後日も。認めてしまったら、もう二度とあの言葉を伝えられなくなる。
それだけは間違いなくて、それだけは嫌だった。
そうだ。もう余計なことを考えるのはやめよう。
わたしはただ、ここで如月ちゃんが帰ってくるのを待てばいいんだから。
そうして、また空が茜色に染まるまで睦月は座り続けた。その努力が報われることはない。
今日も、如月ちゃんは帰ってこなかった。
小さな溜息と共に彼女は立ち上がり、鎮守府へ戻ろうと後ろを向き歩き出す。
その時だった。
背後に人の気配を感じたのだ。まさか……。
「如月ちゃん!」
慌てて彼女が振り向くと、そこにいたのは如月ではなかった。
睦月と同い年くらいの少女で、艶のある濃い茶色がかった髪をショートにした女の子。
如月が最も古い友達なら、彼女は最近知り合った新しい友達。
あの日も、一緒に如月を迎えに行こうとしてくれた子。
「ただいま。睦月ちゃん」
特型駆逐艦、吹雪だった。
彼女は夕日を浴びて立ちながら、笑顔で睦月を見つめている。
「お帰り、吹雪ちゃん……って!」
吹雪は傷だらけだった。
煤だらけで衣服の一部は千切れており、全身が海水で濡れている。
そこから露出した白い肌も傷付いており、傷口から滲んだ血が既に凝固していた。
「ちょっ大丈夫!? 怪我は?」
吹雪は出撃していたのだった。そして戦闘で小破したのにも関わらず、入渠もせずにここへやって来たのだ。
如月の行方不明になり誰かが傷付くことに殊更過敏になっている睦月は、慌てて吹雪に駆け寄っていく。
「うん、全然平気だよ」
「良かった。帰ってきてくれて……」
それは偽らざる本心だった。睦月にとっては吹雪もまたかけがえのない友達なのだから。
けど、それでも、如月ではなかったという事実は彼女を落胆させた。
「ほら、早く休まないと風邪引いちゃうよ」
罪悪感に苛まれながら、それを悟らせまいとして吹雪の両腕に触れながら吹雪は話しかける。
「睦月ちゃん……!」
突然、吹雪が睦月を抱きしめた。夢に見た如月の優しい抱き方には程遠く、ぎゅっと、力いっぱいに。
「急に、どうしたの?」
吹雪は何も応えず、ただ睦月を抱きしめ続ける。けれどその顔は何処か穏やかで、睦月はただただ困惑するばかりだった。
「吹雪ちゃん……痛いよ」
そう言いながら彼女は身を捩る。それでも吹雪はそのままで、決して離してくれない。
「離して……もう止めて……」
吹雪の表情は次第に硬くなってくる。そして、それ以上の何かがじんわりと睦月の胸に込み上げてきた。それは、
「だって、痛い……! すごく胸が痛いんだよ……!」
震える声で睦月が小さく叫んだ。
それは睦月が求めていたものではない。かけて欲しかった言葉でもない。
けれど、伝わってくるのだ。吹雪の腕と体から、空想とは違う確かなぬくもりが……。
受け入れてはならないはずの優しさが。
「う……」
言葉を交わしていないのに、吹雪の想いがしっかりと届いてくる。
睦月の瞳が潤み、自然と涙が溢れてきた。
――もう大丈夫だよ。全部、わかってるから……。
逃げられない状態で睦月の胸に響いてくる。
もう、止まらなかった。確かな痛みがそこにあるから。
「っく、ううぅ……うっ……うう……!」
ずっとずっと隠してきた。見ない振りをしていた心が一気に溢れ出してくる。
痛い。だって、これは失った痛みだから。
一番大切な人に、大切な言葉をかける前に失ってしまった痛み。
叶えられなかった願いが、呪いとなって睦月を苛んでいる。
「痛い……いだぁい……! ああ、うあああああああああぁ!」
睦月の泣き叫ぶ声に、吹雪の声も混じっていく。
少女達の涙は止まらなくて、止める必要もなくて。二人の哀しみは重なり合いながら空へと昇り、夕焼け空に溶けていった。
もう、いいんだ……泣いても、いいんだね。
だって、ここには受け止めてくれる人がいるから。
わたしの哀しみを一緒に背負ってくれて、泣いてくれる吹雪ちゃんがいるから……!
次の日の朝。
カーテンを開けて、睦月は昇る朝日を眺めていた。
それはとても眩しいけれど、その光を睦月は清々しい気持ちで自然に受け止めていた。
彼女が波止場で如月を待ち続けることは、もう無い。
それでいい。それでも失わない大切な想いが今の睦月にはあるから。
昨日は泣いて泣いて泣き尽くした。流し尽くした。
その先に、如月が自分に向けてくれた笑顔がしっかりと胸に刻まれていた。
だからもう大丈夫。
一足遅れて起きた吹雪に睦月は言った。彼女の柔らかい本当の笑顔を向けて。
「吹雪ちゃん……おはよう」
おしまい